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ダムと生きる~山梨・雨畑の声~(2)高齢化と堆砂進む 「なぜ放置」苦々しげに

 1枚のモノクロ写真がある。堆砂率が9割を超え、総貯水容量500万立方メートル以上の全国のダム約500カ所の中で2016、17年度と連続トップとなった日本軽金属雨畑ダム(山梨県早川町)。アーチ式コンクリートダムが雨畑川の谷をふさぐ前の様子がはっきり写し出されている。

現在の雨畑ダム湖。堆砂で水深はほとんどない。ダム建設前の谷の写真は向かって左側から堤体付近を地上から撮影したもの=8月中旬、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
現在の雨畑ダム湖。堆砂で水深はほとんどない。ダム建設前の谷の写真は向かって左側から堤体付近を地上から撮影したもの=8月中旬、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
雨畑ダムができる前の雨畑川の谷。いまは堤体すぐ脇のトンネルが崖の上に見える。河床は約70メートル上昇した。撮影年など不明(山梨県早川町制施行40周年の写真集より)
雨畑ダムができる前の雨畑川の谷。いまは堤体すぐ脇のトンネルが崖の上に見える。河床は約70メートル上昇した。撮影年など不明(山梨県早川町制施行40周年の写真集より)
現在の雨畑ダム湖。堆砂で水深はほとんどない。ダム建設前の谷の写真は向かって左側から堤体付近を地上から撮影したもの=8月中旬、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
雨畑ダムができる前の雨畑川の谷。いまは堤体すぐ脇のトンネルが崖の上に見える。河床は約70メートル上昇した。撮影年など不明(山梨県早川町制施行40周年の写真集より)

 写真は1996年に町が発行した町制施行40周年の写真集のワンカット。貴重な写真だが「原本の所在は不明」(町総務課)という。いまは堤体のすぐ脇にあるトンネルが崖の上に確認できる。河床は当時から約70メートル上昇した。
 「『硯(すずり)島の夜明けだ』と言ってね」。そう遠い目をするのはダムが完成した67年、雨畑地区の町立硯島中(現在は廃校)に校長として赴任した渡辺修孝さん(99)=同県南部町=だ。まだ6割くらいしか湛水(たんすい)しておらず、「きれいな湖だった」という。「飯場」と呼ばれるダム建設のための作業員宿舎や駐在所もあり、地区は活気にあふれていた。
 時期を同じくして、山梨の人々が「恩賜林」と呼ぶ県有ブナ林に対する県ぐるみの計画的な皆伐とスギなどの人工植栽が雨畑川上流でも始まった。チェーンソーがまだ珍しい時代、山奥には架線が縦横に張り巡らされ、大木が次々と切り出されていった。
 高度成長期まっただ中。渡辺さんの宿舎にもこうした作業に従事する同郷の現場監督が遊びに来て「大きな賭け(投資)だが、成功すれば大もうけになる」などと鼻息を荒くしていた。いま、当時の「人間」のこうした行いが山肌の崩落や雨畑川の濁りにつながっているとみている。
 半世紀が経過し、雨畑ダム湖はどす黒い土砂でいっぱいになり、人々に水害をもたらしている。一方、堆砂が増えるのと反比例するかのように雨畑地区は人口が減少し、高齢者が増えた。
 町によると同地区本村集落に住む約60人のうち65歳以上は5割超。高齢化率が山梨県内でトップの早川町内でも屈指となっている。1人暮らしの高齢者が多いのも特徴だ。
 孤立被害を出した昨年10月の台風19号の際、自宅の数十メートル先まで土砂が迫った本村集落の女性(73)宅。訪れた9月21日午後にはお彼岸の連休中にもかかわらず、重機が川から土砂を搬出するうねるような重低音が響いていた。女性は「音はうるさいが聞こえないと逆に不安。なぜこうなるまで私たちは放っておかれたのか。死ぬのを待っているのかな」と苦々しげだ。
 昨秋の被災直後、集落の高齢者を見て回った町福祉保健課の保健師佐野裕理さん(37)は「血圧が上がっているお年寄りがいるのではと心配したが幸いにも予想とは違った」と振り返る。そのうえで「とにかく何があっても自分の家で過ごせるという環境はとても大事なんだとあのとき痛感した」と語った。

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