全介助状態の子 男手一つ 見通しなき過酷な日々【障害者と生きる 第1章 誕生㊤】
きっかけは重症心身障害者の個性を学ぶ勉強会の取材だった。2月22日、静岡市清水区の渡辺裕之さん(58)は参加者13人のうちの1人として、その会場にいた。「私は約2年前に妻を亡くし、男手一つで重症心身障害者の息子を介護しています」。裕之さんは短く自己紹介を済ませた。

この話をもっと詳しく聞くべきではないのか-。記者になって2カ月足らずだったが、裕之さんが置かれた境遇の根底に、何か社会の課題が潜んでいる気がしてならなかった。
思い切って取材を申し込んだ。裕之さんの家に通うようになると、想像したよりもはるかに過酷な人生と苦労の日々が見えてきた。
裕之さんの息子、隼(しゅん)さんは記者と同い年で、12月に24歳になる。先天性の筋強直性ジストロフィーで、たん吸引などの医療的ケアを必要とし、意思疎通をとることができない。食事や排せつ、入浴など日常生活のあらゆる動作に援助者が必要な「全介助状態」だ。
隼さんが生まれて5年後の2002年、健康だった妻美保さん(仮名)の手足も突然、思うように動かなくなった。症状は進行し、12年ごろには自力で歩けなくなり、筋ジストロフィーによる心不全で18年10月、48歳で亡くなった。裕之さんの父清さんは02年に既に他界。16年には母美奈江さん(89)が認知症を発症した。
頼る人がいないどころか母の介護も重なり体力はすり減っていく一方。裕之さんは働く時間さえなくなり、収入も失った。美奈江さんと隼さんの年金のみで生計を立てるが、貯金を切り崩すぎりぎりの日々。「このままで大丈夫だろうか。将来が見通せない」。裕之さんの不安は膨らむ。
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障害者施策の推進を目的に、社会参画や共生社会の実現を規定した改正障害者基本法の施行から今年で10年。東京パラリンピックも華々しく開かれ、障害者を巡る環境や世間の理解は改善してきているのだろう。ただ、重度障害者やその家族はいまだ置き去りのままではないか-。
妻の病魔の進行と戦いながら母を介護し、重症心身障害の息子を育ててきた裕之さんは何を思うのか。その半生を振り返り、静岡県の福祉課題を考える。
<メモ>改正障害者基本法 障害者を自らの決定に基づき社会のあらゆる活動に参加する主体として捉え、あらゆる分野において分け隔てなく他者と共生できる社会の実現を目的に、2011年8月に施行された。