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テーマ : 伊東市

2度却下、被爆認定やっと 伊東の82歳男性、春に念願の手帳交付「長い闘い報われた」

 1945年8月に広島、長崎両市に投下された原子爆弾の被爆者証明として都道府県と両市が交付する被爆者健康手帳。戦後76年を迎える現在も交付を求める人がいる。被爆時の所在や行動の客観的な証明が困難なため、申請が却下される例は多い。静岡県の男性が今年、2度の却下を経て、念願の手帳の交付を受けた。

自身の手帳を見せる大和忠雄さん=7月下旬、浜松市中区
自身の手帳を見せる大和忠雄さん=7月下旬、浜松市中区

 被爆者認定されたのは伊東市の樺山公一さん(82)。父親の仕事の関係で45年4月に現在の広島市西区に移り住み、被爆した。やけどを負った父親は翌年に病気で死亡し、母親は家財を売りながら子ども3人を養った。
 樺山さんは関東地方で暮らし、会社を退職後の2000年に伊東市に移った。手帳の申請は、「広島にいた当時の状況を示す資料や証人のつてがない」とあきらめ掛けていた。
 転機は約7年前。父の広島転勤を記録した資料があることが分かった。偶然に出会った広島の被爆者からは「被爆の証人となり得る人が少なくなり、手帳の審査が柔軟になっている」と耳にした。
 「原爆で生活が一変した。被爆者と認めてほしい」。2015年、静岡県に最初の申請をした。しかし、投下時の所在や行動が「客観的に確認できない」と認められなかった。
 申請に役立てようと、当時の住居付近に住む被爆者と会った。防空壕(ごう)に逃げた記憶を話すと、「被爆者しか知り得ない体験」と言ってくれた。そんな証言を添え、19年に2回目の申請をしたが、県は再び却下した。「はらわたが煮えくり返る思いだった」。
 却下の取り消しを求めて厚生労働省に審査請求した。被爆時の説明の具体性などが評価され、今年4月に手帳が届いた。「長く苦しい闘いがようやく報われた」と樺山さん。安堵(あんど)の気持ちとともに、被爆者として8月6日を迎える。
 (浜松総局・柿田史雄)

 ■今になって申請 背景に差別、偏見か
 被爆者健康手帳を指定の医療機関で示すと、診察や治療が無料になり、一定の病気にかかると手当が支給される。県によると、直近5年間のうち、数件の交付申請を受けた年もあるという。原爆投下から76年を迎える現在も申請者がいる背景には、差別や偏見を恐れ、被爆経験を明かせなかった人が多いためとみられる。
 県原水爆被害者の会の顧問大和忠雄さん(81)=浜松市中区=は出身地の広島市と比較し、「静岡県は周囲に被爆を明かしていない人が多くて驚いた」。妻に伝えていない男性もいたという。「就職や結婚に影響したら嫌だと、そういう時代があった。被爆者の高齢化が年々進み、家族構成や経済状況の変化を受けて申請に至る人もいるのでは」と推測する。
 6月末時点で、本県の手帳所持者数は425人、平均年齢は83・2歳という。

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