静岡県立美術館「(無題2)」 1997年ごろ、石田徹也作 共感の広がり、世界へ【美と快と―収蔵品物語⑦】

 2005年に31歳の若さで亡くなった画家石田徹也(焼津市出身)。志半ばで世を去った石田の作品は、08年の県立美術館への収蔵以後、世界へ向けて大きく羽ばたいた。「(無題2)」をはじめとした多くの作品で描かれた、諦念や絶望がにじむ人物の表情は、先行き不透明な現代社会を生きる人々の共感を得て、世界中で受容されている。

「(無題2)」 1997年ごろ 石田徹也作
「(無題2)」 1997年ごろ 石田徹也作
「引き出し」 1996年 石田徹也作
「引き出し」 1996年 石田徹也作
静岡県立美術館
静岡県立美術館
「(無題2)」 1997年ごろ 石田徹也作
「引き出し」 1996年 石田徹也作
静岡県立美術館

 作品の寄贈は、2007年に同館県民ギャラリーで開かれた追悼展が契機だった。石田の兄道明さん(55)=焼津市=は「東京のアパートから180点を持ち帰った。知り合いの倉庫に預けていたが、処分することも考えていた」と振り返る。
 美術界での評価は定まっていなかったが、遺族からの申し出を検討した県立美術館は08年、大量21点を引き受けた。当時の宮治昭館長の強い意向があった。数点の収蔵を予想していた遺族にとっては、望外の結果だった。
 21点には、ユーモラスな初期の代表作「ビアガーデン発」(1995年)や、最後の油彩画とみられる「(無題8)」(2005年)を含む。石田の画業全体をたどるコレクションがそろった。
 石田作品は10年代半ばから、作者不在のまま“急成長”を遂げた。13~15年に県立美術館が企画した国内4館の巡回展を開催。13年の香港での個展は、海外からの引き合いを強めた。
 14年に光州ビエンナーレ(韓国)、15年にベネチア・ビエンナーレ(イタリア)に出品。19年にはスペインの国立ソフィア王妃芸術センターで個展が催され、県立美術館から「(無題2)」を含む11点が貸し出された。展覧会には5カ月で約35万人が訪れ、米シカゴにも巡回した。
 同館収蔵時から関わる川谷承子上席学芸員は「(無題2)」を例に、石田作品の普遍性を説く。「表情の匿名性が共通点。見た人は皆、社会の中で身動きが取れないが、それでも生きていかねばならない自分を重ねることができる」
 (文化生活部・橋爪充)

 ■逃げ場なき著しい不自由 「引き出し」(1996年、石田徹也作)
 サラリーマンらしき男性が、画面上部に指先が見える人物の監視下で、引き出しを開ける。そこには男性そっくりな死人が-。県立美術館の川谷さんは「自由が著しく制約されている」と指摘し、「(無題2)」との共通点を見いだす。おびえや恐れといった男性の心理が顔に表出しているが、デスクや壁に囲まれているため逃げる場所はない。
 椅子の背もたれやネクタイの柄、デスク上の缶やミニカーの影など、細部の描写には執拗[しつよう]さが感じられる。
 確かな技術が、非現実的な状況に現実感を与えている。

 <メモ>静岡県立美術館
 静岡市駿河区谷田53の2。県議会100年を記念し、1986年4月に開館。「17世紀以降の東西の風景画」「県ゆかりの作家、作品」「現代の美術」「ロダンと近代以降の彫刻」「富士山の絵画」をコレクションのテーマとし、2700点超を収蔵する。掲載した2作品は開催中の「ストーリーズ~作品について学芸員[わたしたち]が知っていること」展で見られる。 

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