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テーマ : 教育・子育て

女子生徒の自転車通学 服装の洋式化により普及(刑部芳則/日本大商学部教授)【近現代 学校制服考⑫】

 明治時代の高等女学校(以下高女と略称)に自転車で通学する生徒はほとんどいなかった。その理由は、礼法の所作を良妻賢母の役割として重視する高女にとって、活発な女性像を好まなかったからである。しかし、大正時代に服装改善運動を含む生活改善運動が展開されると、制服や体操着などの洋式化とともに、自転車に乗る女子生徒が増え始めた。

イラスト・梅原陸
イラスト・梅原陸

 埼玉県の児玉高女(現・児玉高校)は、大正11(1922)年4月に3年制の町立児玉裁縫学校から、4年制の組合立児玉高女へと昇格した。児玉高女の第1期生として入学した生徒は、「入学当初は制服もなく、元禄袖に海老[えび]茶の袴[はかま]をはき、朴場の下駄[げた]を履いて通学しました」という。そして「その頃は女性の靴と自転車は珍しくて、最初に自転車に乗って来たMさんを、靴を履いて来たSさんを、同級生がかこんでガヤガヤと物珍しそうに騒いだものでした。そのうちに上級生にも下級生にも自転車通学の人が多くなって、登下校時の町は自転車に乗って袖をヒラヒラさせた女学生の行列が、華やかなもので人目を引いたものでした」と語る(『児玉高校五十周年誌』埼玉県立児玉高等学校、76年)。女子生徒が自転車に乗る姿は、初めて目にする人たちを驚かせた。
 大正時代には女学生が自転車に乗る姿が物珍しかったが、昭和時代を迎えると遠距離通学を助ける交通手段として女学生の間に普及する。静岡県組合立富士高女(昭和2[27]年に県立、現・吉原高校)では、大正15[26]年に自転車通学者が58人、昭和3[28]年に94人に増えている。しかし、アジア・太平洋戦争に突入すると、自転車のタイヤやチューブなどのゴム製品の入手が困難となり、自転車通学を諦めなければならなかった。
 昭和18(43)年に山形県立酒田高女(現・酒田西高校)に入学した生徒は「当時は、物資はすべて配給制度でしたので、一、二年の時は砂越駅まで自転車通学をしましたが、三年生からはタイヤが手に入らず、片道六キロの道をげたで歩きました。げた屋さんから買ってきたままの鼻緒では、足がマメだらけになり痛くて歩けないので、母が鼻緒の中に綿を入れて特別に作ってくれたのをはいて歩きました。それでも、雨の日などはすれてはかれないので、田んぼ道ははだしで歩いたものでした」(『有〓-創立八十周年記念誌-』山形県立酒田西高等学校、78年)と回想する。
 袴からスカート、下駄から革靴、徒歩から自転車へと変わったことにより、以前の生活習慣を身に付けていない生徒たちにとって、昔に戻ることは大変だったことがわかる。
 (刑部芳則・日本大商学部教授)
 <最終週に掲載します>

 ※〓は火ヘンに偉のツクリ

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