生成AIを学校現場で使うのはあり?⑤ キュレーター/読者の意見【賛否万論】
生成AIに詳しい有識者や県教委幹部へのインタビュー取材を通して、チャットGPTをはじめとする生成AIについて学校現場での活用の在り方を考え、生成AIの利点とともに課題や懸念事項が浮き彫りになってきました。ビジネスの場でチャットGPTの活用が話題になる一方、現段階では学校現場の関心は低く、教職員による利用は低調で、授業での活用はこれから検討される段階です。今回はキュレーターや読者の意見を紹介します。
ガイドラインは上から目線
キュレーター 江口裕司さん(三島市)

生成AIっぽいテンコ盛りはいいとして官僚的なテイストにがっかり。「使わせる」が大前提だからです。使い勝手のわからない生成AIという自動化ツールをどう使わせるか議論しても方針が定まるはずがありません。しかも結局は良きに計らえ、責任は学校現場に。まさに上から目線。恐れ入ります。
どんどん学習指導要領は分厚くなり、ますます教員の負担は深刻になり、それでも残業代ミニマム定額。確かに生成AIが教員の負担を軽減する可能性はありますよ。でも教員の疲弊要因はずさんな時間管理と不適切な仕事量。責任の所在は行政にあります。
会社勤めなら毎日分単位の時間管理なのに、教員の労働実態調査は歴史上たった4回です。その改善をAIが…。後出しジャンケンでしょう。ガイドラインは完璧に論点を整理していてもツッコミどころ満載です。例えば「真偽の判断能力が必要」は今も一緒。いちいち真偽を判断しなくて済む社会の作り方を教えてよ。「メリット・デメリットの学習」は各人が判断すべきこと。「著作権への留意」は基本は今も同じ。「宿題の代替懸念」は今だってグーグルを活用しまくり。将来的に必要とはいえ、戦略的に必修すべきリテラシーとは思えません。
スマホやSNSは、いじめや自殺、詐欺の温床だけど学校の責任ではありません。生成AIも同じ。若者をAI戦士に仕立てる前に、若者がAIを客観視できる機会が必要です。100時間のAI教育より、1日の無人島合宿の方が効果的だと思います。
生成AIのブラック化が怖い。AIがAIの出力を再学習し続ければ世の中に天然データはなくなり、論拠の解析は絶対不可能となります。どんな思考でその考えに至ったのか分からなければ対話できません。対話は過去の哲人たちが編み出した至宝の問題解決方法。そこにメスを入れる覚悟はありますか。生成AIというステロイド剤は一度使えば手放せなくなります。
「AIの壁」(PHP新書)はAI利用の「因果推論の根本問題」を指摘しています。データは全て過去のことなのでAIによる今の判断は、人も過去から変わらない前提なしに成立しない、と。プロンプトを最適化してもAIは戦争をなくせません。最終判断は人間だからです。教師は自分の言葉で教え生徒は自分の頭で考える。だから教えて育つ教育となる。AIがもたらす恩恵を享受するには、AI教育以上の人間教育が求められると考えます。
「他人に聞いてみる」機会が大事
読者 座光寺 明さん(磐田市)66歳
チャットGPTを学校現場で使用する、特に小学校低学年で利用することは反対です。小学校に入学し、さまざまな教科の勉強が始まります。理解しにくいこともあるでしょう。そんな時に親や友達、そして先生に聞くことで、コミュニケーション力は増し、信頼関係が広がっていくのです。人と関わることが苦手な子が増えています。だからこそ、「他人に聞いてみる」機会を持つことが重要なのです。チャットGPTを利用し始めたら関わる必要がなくなってしまいます。
そして、人間は意志の弱い生き物です。便利な物を使い出せば、どんどん楽をしようと思うようになってしまいます。もし自分が小学生で夏休みの宿題で「読書感想文」「理科研究」などがあれば、間違いなくチャットGPTを利用してしまうと思います。考えなくて良く、宿題にかける時間が大幅に短縮できます。
そのあれこれ考える無駄や面倒に思える時間が大切だと思います。この年齢は、あらゆることに興味を持ち、さまざまなことに好奇心や探究心を持つようになるのです。チャットGPTを低年齢から使用したら、自身の好奇心や探究心が激減するのではと危惧します。
人間に取って代わるものではない
キュレーター 松浦静治さん(島田市)

しかし、ここで不足しているのは、この感想文を書いた人の「経験」である。感想文において大切なのは、本をきっかけに、読者が自分の経験やそれにまつわる自分の考え方を内省することにある。例えば「学級の中でいじめがあったときに、自分は信頼できる友だちと力を合わせていじめられている子を守った」などという経験と、そのときに「いじめっ子に注意するのは怖かったけれど、一緒についてきてくれた友だちがいたから勇気をふりしぼることができた」などという気持ちの内省である。
もちろん生成AIに架空の経験を創作させることもできるのかもしれないが、学校の先生はそんなにバカではない。創作なのか、その子の経験なのかは大概見破ることができる。この子を呼んで、その経験の経緯を聞き出してみれば、真の経験かAIの創作かはすぐにわかる。
つまり生成AIでは、読者個人の経験やそれにまつわる考え方を書くことはできないし、書かれたものを読んで読者の真の経験かAIの創作かを見抜くこともできない。
私はこの夏休み、自分が主宰する寺子屋「ひだまり教室」でおよそ20人の読書感想文を手助けした。読書感想文を読み、それを書いた子と向き合って経験や考え方を聞き出していった。中には、その時の自分の気持ちをどう書き表したらいいかわからずに、涙を流しながら必死に考える子もいた。しかし、その一人一人に寄り添い、じっくりと待ち、子ども自身が言葉をつむぎ出していくのを手助けする営みこそが教育なのだと、私は思っている。
繰り返すが、生成AIを学校現場で使うのはありだと思う。しかし、参考にはなるが、人間に取って代わるものではない。
特性理解すれば上手に活用できる
キュレーター 杉山有希子さん(掛川市)

うまく活用していけばいいのです。AIは正しく質問をしないと欲しい答えが返ってきません。それは対人のコミュニケーションスキルの向上にも多いに役立ちます。
AIには性格や感情はなく、あくまでも人間が発明したツールです。その特性を理解しておけば、例えば、英会話の相手として活用したり、高度なプログラミングを行わせたり、グループディスカッションなどで足りない視点を見つけ、議論を深めるために使ったりできるのではないでしょうか。うまくAIを使いながら、質問スキルやコミュニケーション能力を高めていけばいいのではないでしょうか。
ちなみに、この問題を中学1年生の娘に問いました。「AIを学校現場で使うのはどう思う?」「選択にしたらいい。機械やパソコン系に進みたい人はAIを使う、そうでない人は使わない。そういう選択授業にしたらいい」そう。そもそも、「使うか使わないか」を議論する大人よりも、既にAIとともに現代を生きている子供たちの方がずっと柔軟に頭で考えているのかもしれませんね。