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テーマ : 裁判しずおか

再審無罪願って逝く 袴田さん支援の須藤春子さん 二俣事件冤罪、亡き夫重ね 「本当の笑顔見たい」あと一歩で

 現在の浜松市天竜区二俣町で1950年に一家4人が殺害された「二俣事件」で、一・二審で死刑判決を受けたものの差し戻しを経て無罪に至った須藤満雄さん(2008年に死去)の妻春子さんが4日、老衰のため85歳で亡くなった。夫と同じ境遇の元プロボクサー袴田巌さん(87)の再審無罪を願い続けた一人。「一日も早く、巌さんの本当の笑顔が見たいの。無罪になるまで絶対に死なない」。そう誓ってきたが、あと一歩のところで旅立った。

袴田巌さん(中央)の誕生日を祝う須藤春子さん(右隣)。「本当の笑顔が見たい」と願い続けてきた=2018年3月10日、浜松市内
袴田巌さん(中央)の誕生日を祝う須藤春子さん(右隣)。「本当の笑顔が見たい」と願い続けてきた=2018年3月10日、浜松市内
須藤春子さんが書いた色紙。隣は袴田巌さんの支援者らに配るため自作したつまようじ入れ=2016年1月、浜松市内
須藤春子さんが書いた色紙。隣は袴田巌さんの支援者らに配るため自作したつまようじ入れ=2016年1月、浜松市内
袴田巌さん(中央)の誕生日を祝う須藤春子さん(右隣)。「本当の笑顔が見たい」と願い続けてきた=2018年3月10日、浜松市内
須藤春子さんが書いた色紙。隣は袴田巌さんの支援者らに配るため自作したつまようじ入れ=2016年1月、浜松市内

 静岡地裁は14年3月、一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田さんの再審開始を認め、釈放した。直後、春子さんは「袴田さんはうちの主人と同じようにつらい思いをしたと思う。苦労しただろう」とおもんぱかった。
 二俣事件では満雄さんが警察の拷問を受け、虚偽の自白をしている。聞き入れられない無実の訴え、死刑の恐怖―。春子さんは、満雄さんと似た経過をたどった袴田さんに心を寄せ、その後、袴田さんの支援集会に参加するようになった。
 自分なりの支援活動として始めたのが、集会の来場者に配る小物作りだった。「ご飯を食べてお風呂を済ませ、さぁやりましょうと毎晩9時まで作る。陰ながら支えたい、っていう気持ちを込めて」。色紙やチラシを折り、つまようじ入れやストラップに仕立てた。
 満雄さんの無罪確定後に出会い、結婚した春子さんにとって、満雄さんが無実を叫んでいた当時に何もしてあげられなかったとの思いがあったという。「私が毎日折っていると、お父さん(満雄さん)が『ご苦労さん』と夢に出てくる。だから通じていると思うの」
 近年は福祉施設に入所。袴田さんの自宅や集会に出向くことは難しかったが、袴田さんの再審可否決定が差し迫った22年12月も「今だって1日も巌さんを忘れたことはないよ。毎日(心の中で再審無罪を)お願いしている」と話していた。
 東京高裁は23年3月、袴田さんの再審開始を認めた地裁決定を支持して検察の即時抗告を棄却。検察が特別抗告を断念し、再審開始が確定した。春子さんの訃報を受け、袴田さんの姉ひで子さん(90)は「再審開始が決まるまでは心配していたと思う。再審のめどがついて、安心して逝ったのではないか」と悼んだ。
 袴田さんの支援者で5日の通夜に臨席した寺沢暢紘さん(77)は、配りきれないほどたくさんのようじ入れを丁寧に手作りする姿が忘れられない。「巌さんが満雄さんと重なって見えたのだろう」と振り返った。

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