あなたの静岡新聞
▶ 新聞購読者向けサービス「静岡新聞DIGITAL」のご案内
あなたの静岡新聞とは?
有料プラン

だるま文化、根付いた理由は 富士市元吉原地区 妙法寺/毘沙門天大祭 

 富士市今井の妙法寺では、日本三大だるま市に数えられる「毘沙門天[びしゃもんてん]大祭」が毎年冬に開かれ、市内外から多くの参拝者が集まる。戦いや勝利の神である毘沙門天と「起き上がり小法師」のだるまは一見、接点が薄いように思われる。富士市元吉原地区を中心にだるま文化が根付いた理由を追った。

だるまを求める参拝者でにぎわう毘沙門天大祭=富士市の妙法寺
だるまを求める参拝者でにぎわう毘沙門天大祭=富士市の妙法寺
毘沙門天大祭が行われる富士市今井の妙法寺
毘沙門天大祭が行われる富士市今井の妙法寺
だるまを仕上げる職人=富士宮市の杉山ダルマ店
だるまを仕上げる職人=富士宮市の杉山ダルマ店
だるまを求める参拝者でにぎわう毘沙門天大祭=富士市の妙法寺
毘沙門天大祭が行われる富士市今井の妙法寺
だるまを仕上げる職人=富士宮市の杉山ダルマ店

 全日本だるま研究会の林直輝副会長(43)=同市=によると、だるま市の発祥は1890年代前半。静岡市葵区の張り子玩具店「沢屋」が、大祭に合わせて寺周辺に並ぶ露店の一つでだるまを店頭に並べた。大祭は江戸時代からの歴史があり、周辺住民にとって露店街は各地の製品が集結する年に一度の物産展と位置づけられていた。目当てにする象徴的な土産物が少ない中、縁起物のだるまは参拝者の心をつかんだ。
 好調な売れ行きを見た地元の商人らが沢屋で製造方法を学び、量産体制が生まれた。生産量と購入者が次第に増え、「大祭といえばだるま」というイメージが出来上がった。
 妙法寺では開眼祈祷[きとう]や古だるまのたき上げを行っている。大祭は元来、毘沙門天王が俗世に降りる旧暦1月7~9日に願掛けをする行事。高橋尭薫[たかのぶ]住職は「だるまに毘沙門天王の魂を込められる期間」とし、縁起の良さを語る。
 富士が製紙業を中心に産業発展したこともだるま文化の発展に寄与した。各社が前年よりも大きなだるまを購入して業績向上を願う。市内にも事務所の高い場所に飾る企業は多く、富士アセチレン工業では高さ60センチの大きなだるまが社員の業務を見守っている。望月康平社長は「仕事が順調に進んで目標数字を達成するように願いを込めている」と話す。
 半面、原材料の張り子紙は県外から取り寄せられることが多い。林さんは「紙のまち富士で素材が作られるようになれば、文化が進むかもしれない」と“成就”を祈る。

 特産「鈴川だるま」表情穏やか
 妙法寺近くの「小楠ダルマ店」と「杉山ダルマ店」(現在は富士宮市に移転)が作るだるまは、「鈴川だるま」と称される。両店とも沢屋から製法を学び、丸みのある体形や穏やかな表情を受け継いだ。 photo01
 杉山ダルマ店では2月初旬、大祭を終えた直後から来年分の製作が始まった。顔の描き方は職人がそれぞれの先輩から見て学ぶが、職人によってひげや表情に個性が表れる。
 同店は主流の赤色のだるまを作り続けてきた。風水が流行し始めた十数年前からは、黄色や紫色も用意して購入者の要望に応えている。
 芦川博将代表は「時代の求めるものを作り、文化を継承したい」と話した。

 市民団体が普及活動 岳南電車は大祭PR
 毘沙門天大祭の来場者は、昭和後期をピークに減少傾向にある。近年はだるまを飾る場所のない家も増えた。文化を後世に残そうと、市民団体が普及活動に励んでいる。
photo01 だるまをPRするヘッドマークで進行する岳南電車
photo01
 富士市まちの駅ネットワークと富士商工会議所は、大祭前にだるま作品のコンテストを実施する。まっさらなだるまを自由に彩ってもらい、愛着を高める狙いだ。岳南電車(通称・岳鉄)はだるまのイラストをあしらったヘッドマークを付けて運行する。沿線住民に大祭の開催を知らせ、季節到来の機運を高める。
 三大だるま市の深大寺(東京都調布市)と高崎(群馬県)に比べ、毘沙門天大祭は出店数が多い。同ネットワークの会員らは「(出店の)数字を見ても日本一と誇れる。まちづくりに生かさない手はない」と力を込める。
photo01

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ