墓碑銘2022 神谷聰一郎さん/庄司清和さん/佐藤陽子さん
バブル崩壊後の景気低迷期に静岡銀行のかじ取りを担った元頭取の神谷聰一郎、大手食肉メーカー「米久」を創業した庄司清和、浜岡原発の立地に尽力した元浜岡町長の鴨川義郎、熱海市を拠点にバイオリニストや声楽家として活躍した佐藤陽子-。 2022年、それぞれの舞台で確かな功績や足跡を刻んだ県内ゆかりの人々が逝った。
経済
バブル経済崩壊後の混乱期に静岡銀行のかじ取り役を担った元頭取の神谷聰一郎(88歳、5・11)は、卓越した先見性と堅実な経営手腕を発揮し、全国屈指の収益力を誇る地方銀行に育て上げた。 静岡商工会議所会頭の重責も担い、旧静岡と旧清水両市の合併を経済界の立場から推し進めた。
庄司清和(82歳、1・12)は大手食肉メーカー「米久」の創業者。東証1部上場を果たし、御殿場高原ホテル(現・時之栖)も設立するなどいち早く地ビール製造に乗り出した。
元ホンダ社長の久米是志(90歳、9・11)は世界に誇る日本の自動車業界を支え、元スズキ社長の津田紘(77歳、2・28)は世界的ヒットした新型「スイフト」など軽・小型車の開発に情熱を注いだ。 元矢崎総業社長の矢崎信二(75歳、6・9)はハイブリッド車や電気自動車に対応した機器開発を進め、海外事業を拡大。元遠州鉄道会長の鈴木敬彦(88歳、7・26)、 元エンシュウ社長の稲垣元(91歳、7・24)、元ソミック石川会長の石川哲司(88歳、3・30)は浜松の地域経済を先導した。
地域密着型で経済を支えた元静岡中央銀行社長の尾形充生(88歳、2・22)、浜松商工会議所会頭も務めた元浜松信用金庫(現浜松いわた信用金庫)会長の鈴木富士男(89歳、2・13)も逝った。 元三井金属社長の宮村真平(87歳、6・14)、元テレビ静岡会長の小寺健一(84歳、4・28)、元共同通信社社長の山内豊彦(81歳、6・17)、元天竜浜名湖鉄道社長の井口健二朗(79歳、10・13)、 8年間にわたり連合静岡会長を務めた石井水穂(75歳、7・28)、漁業界ではマグロの漁業、販売流通を展開する福一漁業前社長の近藤一成(71歳、8・23)も永眠した。
地方自治
元浜岡町長の鴨川義郎(95歳、9・17)は町職員時代から中部電力浜岡原発(御前崎市佐倉)の立地に尽力。就任後は3期12年にわたり原子力行政を推進し、原発関連の交付金を活用した地域振興を進めた。
元熱海市長の川口市雄(85歳、5・28)は市指定有形文化財「起雲閣」を整備するなど観光文化政策に注力。元焼津市長の戸本隆雄(90歳、10・20)は焼津市と旧大井川町を合併し 、地域資源に着目して駿河湾深層水の関連事業に本腰を据えた。元本川根町長の佐藤正美(100歳、8・31)、元賀茂村長の水口清(96歳、6・8)、 元可美村長の大場賢治(94歳、2・20)、元豊岡村長の市川清雄(94歳、2・28)、元小山町長の長田央(91歳、1・9)、元浜岡町長の植田宜志(88歳、2・2)、 元長泉町長の遠藤日出夫(78歳、1・19)、元芝川町長の臼井進(71歳、5・2)、元東伊豆町助役の太田俊彦(76歳、11・22)、元東伊豆町副町長の鈴木新一(74歳、8・27)、 元袋井市助役の村松忍(93歳、2・5)、元豊田町助役の半場蓮一(87歳、6・9)、元御殿場市収入役の横山喬(98歳、3・14)、元菊川町収入役の早川諭(91歳、8・14)、元富士市収入役の中村全喜(89歳、10・26)、 元浜北市収入役の鈴木松寿(85歳、11・2)、元下田市収入役の山下武定(83歳、1・3)も他界した。
元熱海市議会議長の山田治雄(95歳、7・1)は全国最高齢の市議として在職中に死去。元小山町議会議長の芹沢建一(96歳、3・21)、元浜松市議会議長の大石忠平(95歳、11・18)、 元韮山町議会議長の内田利徳(93歳、6・21)、元掛川市助役の大庭金次郎(91歳、6・6)、元富士川町議会議長の小笠原昭次(91歳、3・21)、元竜洋町議会議長の林正直(90歳、6・18)、 元島田市議会議長の大石明司(88歳、6・16)と塚本昭一(87歳、11・13)、元舞阪町議会議長の相川一男(86歳、1・5)、元土肥町議会議長の勝呂宗司(86歳、5・9)、 元下田市議会議長の佐々木嘉昭(80歳、8・14)、元伊東市議会議長の掬川武義(69歳、4・19)の訃報も届いた。
県政
旧清水市議を経て1983年に初当選した元県議の花井征二(78歳、2・27)は2011年まで計6期にわたり県議会運営に貢献した。 元県議の赤堀佐代子(80歳、12・17)と岩田政雄(79歳、9・15)は3期、大池幸男(66歳、1・9)も2期務め、県政に心血を注いだ。
文化
熱海市を拠点にバイオリニストや声楽家として活躍した佐藤陽子(72歳、7・19)は1972年にパガニーニ国際コンクールで2位に入るなど、世界的な舞台で脚光を浴びた。
浜松国際ピアノコンクールの運営委員を務めたピアニスト一柳慧(89歳、10・7)と音楽評論家青沢唯夫(80歳、9・6)は本県の芸術音楽の文化発展に貢献。 県日本舞踊協会長の塩谷登女子(94歳、2・19)は日本の伝統文化継承に力を注いだ。弱者に寄り添いながら奉仕活動を続けてきた元国際ソロプチミスト浜松会長の越崎満智子(88歳、12・13)も去った。
まちづくり
地域社会からの暴力追放の旗振り役となった静岡市葵区本通5丁目の元会長、杉山好弘(84歳、10・21)は住民の先頭に立って暴力団事務所進出阻止の運動を展開し、法廷闘争の末に事務所撤退に追い込んだ。 一連の動きは全国に紹介され、暴力団対策法(12年改正)の代理訴訟制度が創設される契機となった。
元県警の須藤今朝広(86歳、2・27)は刑事部長を3年間務め、多くの凶悪事件を解決に導いた。 元静岡中央署長の横沢三郎(86歳、2・1)も不帰の客となった。
研究・教育
元静岡大副学長の石井仁(79歳、3・14)は工学を専門とし、材料硬度学の研究などに専念。産学連携を促進する静岡大地域共同研究センター長や学術・情報担当理事も歴任した。
駿河湾サクラエビの生態や漁業などに関する研究に取り組んだ東京海洋大名誉教授の大森信(84歳、6・4)は本紙「サクラエビ異変」取材班と連携する研究会に参加し、不漁の原因についての学術論文も執筆。 共著書「さくらえび漁業百年史」(静岡新聞社)などを残した。
静岡市駿河区の登呂遺跡の発掘調査に学生の頃から携わった明治大名誉教授の大塚初重(95歳、7・21)は弥生時代の稲作文化を証明し、 戦後の考古学の起点となった。静岡大名誉教授の勝浦嘉久次(104歳、11・25)、静岡大工学部元教授の吉田弘(80歳、2・8)、学校法人誠恵学院理事長の小野裕弘(87歳、7・12)も県内の教育環境の充実に貢献。 元南伊豆町教育長の渡辺浩(80歳、9・16)も帰らぬ人となった。
静岡平和資料館をつくる会事務局長の土居和江(75歳、3・9)は1945年6月の静岡空襲などの戦災伝承を通して平和実現を訴え続けた。 ヒトスギ塾前会長の一杉真城=本名・三浦真城=(77歳、12・1)はまちづくりにも参画。元県児童養護施設協議会会長の戸巻芙美夫(88歳、10・24)は児童養護施設の園長を務め、県修学支援制度の創設に携わった。 元富士自然観察の会名誉会長の中山芳明(93歳、10・14)も鬼籍に入った。
スポーツ
県水泳連盟名誉顧問の高井平八(95歳、7・28)は1991年に本県開催された全国高校総体水泳競技を成功に導いた。 県水泳連盟常務理事の大橋正幸(71歳、10・10)は競技委員長を務めた。
国体陸上競技総監督を務めた元静岡陸上競技協会副会長の山下昌彦(83歳、12・26)は陸上競技部顧問を務めた浜松商高で1977年と89年の2度、全国高校総体で総合優勝を果たすなど高校陸上界を盛り上げた。
県サッカー協会理事の納谷義郎(76歳、3・20)は少年の指導育成に力を注ぐなど本県のレベル向上を目指した。 サッカー漫画「ザ・キッカー」のモデルになった菊川凱夫(78歳、12・2)は藤枝東高時代に全国高校サッカー選手権2連覇で名をはせ、日本代表では16試合に出場。 引退後はアビスパ福岡で指揮を執った。元プロ野球選手の皆川康夫(75歳、12・19)は投手として東映フライヤーズと広島東洋カープでプレーした。
県フェンシング協会長の勝呂衛(72歳、2・25)は県内のフェンシング普及に尽力し、東京五輪カナダ代表の沼津市での事前合宿を支援。 元県スケート連盟会長の藤原林(83歳、7・9)も競技普及を図り、日本潜水協会長の鉄芳松(82歳、5・21)も惜しまれつつ世を去った。
(敬称略、年齢の次は死去または死亡確認の月日、芸名などの人は本名略)