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テーマ : 社説

社説(11月28日)村越化石生誕100年 郷土の誇り顕彰さらに

 蛇笏[だこつ]賞など俳句の多くの賞を受け、紫綬褒章を受章した村越化石(本名・英彦、1922~2014年)の生誕100年記念事業を出身地の藤枝市が実施している。12月11日には記念式典が開かれる。
 この節目に、郷土の誇りの顕彰の輪をさらに広げたい。俳句が生まれた背景に目を向けることも重要だ。
 化石はハンセン病元患者で、長らく出自を明かさずにいた。一方で望郷の句は多く、02年には旧岡部町の実行委員会によって生家近くの茶文化施設「玉露の里」に句碑「望郷の目覚む八十八夜かな」が建立された。化石は除幕式に招かれ、60年ぶりに帰郷した。
 句碑建立を機に実行委が創設した俳句賞は藤枝市が引き継ぎ、今年の表彰式は記念式典に併せて行われる。改めて言葉の力をかみしめたい。
 記念事業では5月、「玉露の里」周辺で公募の吟行句会が行われた。これを機に、愛好者が交流する「俳句の里」づくりに取り組んではどうか。
 化石は旧制中学の身体検査で罹患[りかん]が分かり、故郷を離れた。19歳で国立療養所「栗生楽泉園」(群馬県草津町)に入所。病気が治った後も誤った政策と後遺症のため、園がついのすみかとなった。50歳を前に全盲となったが心眼はさえ、「魂の俳人」と呼ばれる。
 師が「化石にはかなわない」と漏らした秀句の背景には、病気と向き合う療養所での暮らし、山あいの自然がある。作品から生命の尊厳を感じ取り、ハンセン病患者や元患者を苦しめた人権問題を繰り返してはならない。
 化石が岡部町出身であることが当時の町長、町教育長に知らされたのは01年。熊本地裁のハンセン病国家賠償訴訟で原告側が勝訴し、「らい予防法」は遅くとも1960年以降は憲法違反だったと判断された直後のことだ。
 ハンセン病を巡っては、元患者の家族も過酷な人生を送ってきた。元患者家族による訴訟で熊本地裁は19年、隔離政策で家族も差別を受ける社会構造が形成されたと判断。国が家族に補償金を支給する法律が施行された。
 厚生労働省は元患者家族を約2万4千人と見込むが、補償金支給が決定したのはこれまでに約7600人。申請をためらっている家族は多いとみられる。請求期限の24年11月が迫る。
 家族訴訟判決を受け、当時の安倍晋三首相は「家族の方々が地域で安心して暮らせる社会を実現していく」と表明した。化石は帰郷で「よき里によき人ら住み茶が咲けり」と詠んだ。元患者として希少な事例といえよう。ご家族と句碑建立を実現させた方々に改めて敬意を表したい。郷土の誇りである。

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