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テーマ : 清水エスパルス

清水エスパルス・権田修一 8年越しピッチに手応え【カタールに懸ける サッカーW杯 11月1日代表発表㊤】

 11月20日に開幕するサッカーワールドカップ(W杯)カタール大会に臨む日本代表メンバーが、来月1日に発表される。今大会から登録選手数が従来より3人多い26人に拡大。代表入りが期待される静岡県勢3人に迫る。

W杯アジア最終予選のサウジアラビア戦で指示を出す権田修一。正GKとして予選を戦い抜いた=2月、さいたま市の埼玉スタジアム
W杯アジア最終予選のサウジアラビア戦で指示を出す権田修一。正GKとして予選を戦い抜いた=2月、さいたま市の埼玉スタジアム


 2014年のW杯ブラジル大会。権田修一(33)=清水エスパルス=は、ザッケローニ監督率いる日本代表23人の一員として、幼い頃から目標にしていた舞台に身を置いていた。ところが、目の前のピッチはとてつもなく遠い場に思えた。
 ザッケローニ体制では常にメンバー入りしていたものの、出場はわずか1試合。守護神の座を争っていた先輩2人も、ライバルというよりは憧れの存在に近かった。だから、出番が回ってこないことにも「悔しいと思おうとした自分」がいた。初めてのW杯で刻まれたのは「参加した」という記憶だけだ。
 W杯出場を新たな目標に定めて再び歩み始めた旅路だったが、平たんではなかった。
 15年6月のW杯アジア2次予選で、招集された4人のGKで唯一、ベンチを外れた。所属するFC東京では「これなら戦える」と自身のプレーに手応えを得ていた時期。自分の感覚と代表での立ち位置の隔たりを埋めるため、練習に没頭した。しばらくして、心も体も付いていけなくなった。オーバートレーニング症候群だった。
 大好きなサッカーをする気になれない。引退も本気で考えた。それでも、持ち前の探究心は消えていなかった。足を運んだジムで、経験したことのないトレーニングに心が躍った。少しずつ、サッカー選手の歩みに自らを戻していった。
 再スタートは、日本よりプレー環境の厳しいオーストリア3部のクラブで切った。精神面にも学びを得て、Jリーグに復帰した17年には代表に返り咲いた。19年にはポルトガル1部にステップアップ。21年に清水に加入すると、不動の地位を築き、代表でも正GKとしてW杯出場権獲得に貢献した。
 「目の前の試合のことしか考えていない」とよく口にする。一歩ずつの積み重ねで、時に苦しい道のりも飛躍への糧に変え、はい上がってきた。ブラジル大会では経験できなかったW杯予選を戦い抜いたことで、「(当時と)心境は全然違う」と言う。8年越しの夢舞台のピッチは、今はっきりと見えている。
 (敬称略)

 ごんだ・しゅういち 東京都出身のGK。FC東京の下部組織から2007年にプロ入りした。国内外のクラブを経て、21年に清水に加入。12年ロンドン五輪、14年W杯ブラジル大会メンバー。国際Aマッチ33試合出場。

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