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テーマ : 富士宮市

奇石博物館「溶岩樹型」 約2千年前【美と快と-収蔵品物語㉝】

 富士山は約10万年前から噴火を繰り返し、溶岩や火山砕屑[さいせつ]物などが積み重なって、日本一高く美しい現在の姿になった。山麓の富士宮市に立つ奇石博物館には、時期も形も多様な溶岩が収蔵されている。約2000年前に噴出した青沢溶岩流による「溶岩樹型」は、噴火のすさまじさだけでなく、当時の富士山周辺の自然環境も伝えている。

「溶岩樹型」長さ約1メートル50センチ×太さ約1メートル20センチ
「溶岩樹型」長さ約1メートル50センチ×太さ約1メートル20センチ
「溶岩球」直径約50センチ
「溶岩球」直径約50センチ
「溶岩樹型」長さ約1メートル50センチ×太さ約1メートル20センチ
「溶岩球」直径約50センチ


富士山の自然 伝える

 青沢溶岩流は、1万数千年前から現在に至る火山活動を指す「新富士火山」の新期溶岩流に分類される。標高2700メートルより下に開いたと推察されている火口から南西方向へ、同380メートルほどの現在の山宮浅間神社(同市)まで約11キロにわたって流下した。富士山の特徴である粘性の低い玄武岩質溶岩が容赦なく木々をなぎ倒し、溶岩に覆われた樹木は蒸し焼きになって炭化。周囲が冷え固まり、樹型が残された。
 「溶岩樹型」は、地元住民が見つけ、長年自宅で保管していた。内側に見える大小のひだは、炭になった幹の収縮割れ目や朽ちた年輪に溶岩が流れ込んで形成されたとみられる。外側の、虫が這[は]っているようにも見える突起は、溶岩に開いた空洞の内壁が再溶融し、垂れて固まった跡だ。
 寄贈者の話やさまざまな調査によると、この「溶岩樹型」があった場所には、まっすぐに延びた空洞の内部に、あばら骨のような凹凸のある連続した溶岩内壁があったという。多くの場合、急速に固まった溶岩流の表面を残して高温で流動性を保った内部の溶岩が抜け出ることで溶岩トンネルが形成される。副館長の北垣俊明さん(60)は「複数の樹木が連なって倒れ、トンネルに似た形ができたと思われる」と推測する。
 北垣副館長は青沢溶岩流の現地調査などを行ってきた。当時の冷涼な気候などを踏まえ、「標高700メートル付近には、樹幹径が少なくとも3~4メートルのスギを中心とした温帯針葉樹林が広がっていたのではないか」とし、「溶岩樹型は当時の森林環境を解明する手がかりにもなる」と説明する。
 (文/文化生活部・鈴木明芽、写真/東部総局・山川侑哉)


破片包み込み“雪だるま”状 「溶岩球」 約2000年前 

 先に流下し固まった溶岩の破片が、追うように流れ下ってきた溶岩に包み込まれ、雪だるまのようにして球体を作り出す。「溶岩球」と呼ばれ、割れ目火口を伴う噴火などで見られる。
 こちらも青沢溶岩流によってできた。内部を調べると、青沢溶岩の岩相を示す、表面ががさがさとした溶岩塊が内包されているという。地元住民から寄贈された。
 同様の溶岩球が、青沢溶岩流の末端部に位置する山宮浅間神社の参道にある。かつて行われていた「山宮御神幸」で、神の宿った鉾[ほこ]を休めるために使われたとされている。


奇石博物館

 富士宮市山宮3670。初代館長である社会教育家の植本十一さんが岐阜県の白山山中で龍眼石を発見したことをきっかけに、この石を鑑定した鉱物学者益富寿之助さんの協力を得て、1971年に開館した。くにゃりと曲がることから「コンニャク石」と呼ばれるイタコルマイトや石の下の文字が浮き出て見えることから「テレビ石」の異名があるウレキサイトといった「奇石」のほか、化石や宝石など約2万点を収蔵。このうち常時2000点ほどを展示している。水槽の砂利の中から宝石を探す体験もできる。

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