かんなみ仏の里美術館「阿弥陀如来及両脇侍像」 鎌倉時代 実慶作【美と快と-収蔵品物語㉒】
箱根の南麓、静かな里山風景が続く函南町桑原地区。平安時代は箱根権現の神領に属し、平安時代から江戸時代までの仏像24体が地元の人々によって守り継がれてきた。中心となるのが阿弥陀如来及両脇侍[きょうじ]像(阿弥陀三尊像)と薬師如来坐[ざ]像。2012年4月には「かんなみ仏の里美術館」が開館し、町の美術品として展示されている。数々の苦難をくぐり抜けてきた道筋は、あつい信仰心に支えられた歴史でもある。
■守り継ぐ信仰の文化 「阿弥陀如来及両脇侍像」 木造 鎌倉時代 実慶作
展示室の奥に座す阿弥陀如来は、玉眼の強いまなざしが前方を見つめる。脇侍を含め三尊の像内には「実慶」の銘がある。実慶は、鎌倉時代初期に活躍した運慶に並ぶ慶派の仏師。写実的で力強い作風がその特色を捉える。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に、石橋山合戦で戦死した北条時政の嫡男、宗時を慰霊する墳墓堂が桑原郷にあったと記され、時政が実慶に阿弥陀三尊像を造らせたと伝わる。
寺の焼失や廃寺が相次ぎ、仏像群は里人によって寺から寺へ。廃仏毀釈[きしゃく]も逃れた後、明治30年代後半に有志が建てた「桑原薬師堂」が、安住の地となった。初代館長の鈴木勝彦さん(81)は「800年にわたって守られてきた信仰心こそ、何物にも代えがたい文化」と語る。
小さな堂に転機が訪れたのは、1984年。修禅寺(伊豆市)の本尊、大日如来坐像が実慶作と判明。その縁から阿弥陀三尊像も調査が行われ、実慶の銘が発見された。91年に英国・大英博物館の展覧会へ出品し、翌92年に国の重要文化財に指定された。
評価が高まる一方、保存管理や修復が課題に。地元で保存委員会が設立された。4代目の会長を務めた加藤友義さん(81)は「住民だけでは守り切れない。何度も町へ訴えた」と振り返る。2008年に仏像群が町へ寄付され、美術館の開館につながった。
脇侍の観音菩薩[ぼさつ]立像は、長らく左腕を欠損していた。仏像群が美術館へ移された後、薬師堂から仏像の残片が数多く見つかり、観音菩薩の左腕は別の仏像に付けられていたことが分かった。18年、本来の姿を取り戻し、美しいたたずまいで来館者を出迎えている。
■住民に長年慕われ 「薬師如来坐像」 木造 平安時代中期
「桑原薬師堂」の名が示す通り、24体の中で最も古い像は、薬師如来坐像。円満な顔立ち、丸みを帯びた胴体の特徴から、平安時代中期の作とされ、左手には薬壺[やっこ]を持つ。1977年に県の有形文化財に指定された。
箱根権現を創建した万巻[まんがん]上人が京へ向かう途中で亡くなり、弟子たちが桑原郷に新光寺を建て、その本尊に薬師如来像がまつられたと伝わる。
薬師堂では住民が厨子[ずし]に安置し、60年に一度の開帳を重ねながら守ってきた。加藤友義さんは「お薬師さんが病を治してくれると慕われ、母親に連れられてよくお堂に通った」と懐かしむ。
かんなみ仏の里美術館
函南町桑原89の1。桑原薬師堂で守られてきた仏像24体の散逸を防ぎ、後世に保存継承していくため、旧小学校跡地に建てられた。谷を挟んで薬師堂と向き合う。建築家の栗生明さんの設計で、二つの「堂」をイメージした外観が特徴的。周囲には庭園や交流広場が整備されている。聖観音立像、地蔵菩薩立像、毘沙門天立像、十二神将立像も県有形文化財。全ての仏像が通年公開され、常駐のボランティアガイドによる解説が好評を博している。