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テーマ : 障害者と生きる

学校生活、安定しない体調...仕事と介護の両立苦しく 失業手当とバイト支え【障害者と生きる 第2章 成長㊤】

 先天性の筋強直性ジストロフィーと診断され、全介助状態にある静岡市清水区の渡辺隼(しゅん)さんは2017年12月1日、20歳(はたち)になった。記者も同じ年に成人したが、お互いの20年間はあまりに違った。父親の裕之さん(58)は当時の手記にこうつづった。「元気に20年生きてきてくれてよかった」と-。

中央特別支援学校入学間近の渡辺隼さん(当時6歳)。心身障害児福祉センター「いこいの家」の卒園式のために正装する=2004年3月(裕之さん提供)
中央特別支援学校入学間近の渡辺隼さん(当時6歳)。心身障害児福祉センター「いこいの家」の卒園式のために正装する=2004年3月(裕之さん提供)

 突然死も多いとされる病。「その日を迎えられるか半信半疑だった」という。「よかった」の一言に計り知れない重さを感じた。隼さんの学校生活は数え切れない壁にぶつかった日々でもあった。
      ◇
 04年4月7日は特別な日だった。隼さんの学校生活が始まる日だからだ。しかし、楽しみにしていた中央特別支援学校小学部(同市葵区)の入学式に隼さんの姿はなかった。5日に発熱し、6日の夜には39度近くに。肺に炎症を起こし、食事も取れないため、入学式当日の朝に清水厚生病院に入院していた。
 「季節の変わり目が特に苦手。いつも体調を崩すんです」。入学式に出られたのは中学部の一度だけ。高等部の入学式はまた病院のベッドの上だった。
 それほど隼さんの体調は安定しない。学校にいる間に具合が急変し、緊急の呼び出しがあることは少なくなかった。定期的な診察や理学療法などのリハビリ訓練を受けるための送迎もある。そのたびに仕事を抜け出していると、社内であるうわさが耳に入ってきた。
 「障害児がいるとはいえ優遇されすぎではないか」-。同僚に迷惑を掛けているのは分かっていた。「とはいえ、隼が苦しんでいるかもしれないと思うと連絡を無視することはできない。仕事と介護の両立ができず苦しい日々が続きました」
 学校が雇った看護師に医療的ケアや緊急時の対応を教えるため、毎年4月から約1カ月間は学校で待機する必要もあった。経験豊富な看護師とは限らず、より長い時間を要することもあったという。「毎年4月を休ませてくれる会社ってなかなかないですよね」
 裕之さんは隼さんの学校生活の間に、勤め先の倒産による失業を2度経験した。幸か不幸か、失業で生まれた時間と手当、勤務に融通が利くアルバイトの収入で、なんとか12年をしのぐことができた。

 <メモ>理学療法(PT) 座る、立つ、歩くなど基本的な動作能力の回復や維持を目的にした訓練。このほか、食事などの日常動作を訓練する作業療法(OT)、コミュニケーションを訓練する言語聴覚療法(ST)がある。

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