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ウクライナ避難民、スマホに映るパパに手を伸ばす赤ちゃん ロシアの侵攻が引き裂いた家族4人の新しい生活

 長引く戦渦はウクライナの人々に大きな影を落としている。ロシアによる侵攻が始まってから1年が過ぎ、その間、人々の当たり前の日常が奪われ続けている。国外に避難した人たちが住み慣れた街に帰還できる日は見通せないままだ。

ザポロジエ市内に残るビクトルさん(左、画面)とビデオ通話するアリーナ・ウエルモシュコさんの膝上に立つ次女ズラータちゃん=2023年2月、大阪市
ザポロジエ市内に残るビクトルさん(左、画面)とビデオ通話するアリーナ・ウエルモシュコさんの膝上に立つ次女ズラータちゃん=2023年2月、大阪市
大阪市内の市営住宅の一室で、ザポロジエ市内に残る夫ビクトルさんとビデオ通話をする(左から)アリーナ・ウェルモシュコさん、次女ズラータちゃん、長女ヤーナさん=2023年2月
大阪市内の市営住宅の一室で、ザポロジエ市内に残る夫ビクトルさんとビデオ通話をする(左から)アリーナ・ウェルモシュコさん、次女ズラータちゃん、長女ヤーナさん=2023年2月
スマートフォンに映し出される夫ビクトルさん=2023年2月、大阪市
スマートフォンに映し出される夫ビクトルさん=2023年2月、大阪市
2022年5月、避難のためザポロジエ市を離れる直前に、記念写真に納まるアリーナさん一家
2022年5月、避難のためザポロジエ市を離れる直前に、記念写真に納まるアリーナさん一家
肺炎などを発症し入院する次女ズラータちゃん=2022年4月、ウクライナ南部ザポロジエ市(アリーナさん提供)
肺炎などを発症し入院する次女ズラータちゃん=2022年4月、ウクライナ南部ザポロジエ市(アリーナさん提供)
カードにイラストを描く長女ヤーナさん=2023年2月、大阪市
カードにイラストを描く長女ヤーナさん=2023年2月、大阪市
大阪市内の避難先の部屋に飾られた家族4人が描かれたイラスト=2023年2月
大阪市内の避難先の部屋に飾られた家族4人が描かれたイラスト=2023年2月
ザポロジエ市内に残るビクトルさん(左、画面)とビデオ通話するアリーナ・ウエルモシュコさんの膝上に立つ次女ズラータちゃん=2023年2月、大阪市
大阪市内の市営住宅の一室で、ザポロジエ市内に残る夫ビクトルさんとビデオ通話をする(左から)アリーナ・ウェルモシュコさん、次女ズラータちゃん、長女ヤーナさん=2023年2月
スマートフォンに映し出される夫ビクトルさん=2023年2月、大阪市
2022年5月、避難のためザポロジエ市を離れる直前に、記念写真に納まるアリーナさん一家
肺炎などを発症し入院する次女ズラータちゃん=2022年4月、ウクライナ南部ザポロジエ市(アリーナさん提供)
カードにイラストを描く長女ヤーナさん=2023年2月、大阪市
大阪市内の避難先の部屋に飾られた家族4人が描かれたイラスト=2023年2月

 南部ザポロジエ市から姉を頼りに遠く離れた日本に避難してきたアリーナ・ウェルモシュコさん(36)は、夫や両親を残し2人の娘と大阪市の市営住宅で避難生活を送る。侵攻が始まって間もない昨年4月初旬に次女を出産し、空襲警報が鳴り響く病院の地下シェルターで無事を祈る日々を過ごした。家族4人での新たな生活もわずかな時間で終わりを告げ、離れ離れの生活を余儀なくされる。あの日を境にアリーナさんの家族に起きた変化について話してくれた。(共同通信=深井洋平)
ビデオ通話で話す時間だけが家族をつなぐ
   夕刻の日差しが差し込む市営住宅の一室。テーブルの上に置かれたスマートフォンから呼び出し音が鳴る。現地に残る夫ビクトルさん(40)の顔がしばらくしてビデオ通話の画面に映し出された。「昨日はよく眠れた?みんな、あなたに会いたがってるわよ」。アリーナさんと長女ヤーナさん(11)から笑みがこぼれた。アリーナさんの膝上に立つ次女ズラータちゃんが画面越しの父に向かって手を伸す。「また大きくなったね」。ビクトルさんの表情が一層和らいで見えた。
 離れて暮らす中、ビデオ通話で話す時間だけが家族をつなぐ時間だ。発電所などのインフラ施設が攻撃された影響で、現地では電気の供給が止まる時間がある。安定して連絡ができないことも多い。ビクトルさんは「ズラータは特に成長が早く、そんな貴重な時間を共に過ごすことができないことは本当に残念に思う。ただ、今は家族が安全な場所で生活しているだけで十分だ」と複雑な心境を話す。
ミサイル攻撃が続く中での出産
 昨年2月24日早朝、大阪市内に住む姉からの一本の電話で目が覚めた。「本当に攻撃が始まった」。すぐに夫と二人テレビをつけたが、にわかに侵攻が始まったことは信じることができなかったという。姉はなるべく早く避難するよう促した。しかし、次女の出産を目前に控え、すぐに避難することは現実的ではなかった。空襲警報が鳴ると自宅の地下室に入ることはあったが、しばらくは普通の生活を送ろうと心に決めていた。
 次女ズラータちゃんが生まれたのはロシア軍の侵攻開始から間もない4月8日。日々戦況が悪化する中で、予定日より約1カ月早まった。ザポロジエ市近郊へのミサイル攻撃が連日続き、緊張感が高まっていた中での出産。病院を含む民間施設への攻撃も相次ぎ、産院に入院する際は“ロシア軍のミサイルで攻撃される可能性がある”という欄に承諾のサインを求められたという。
 ズラータちゃんは生後間もなくして黄疸ができ、肺炎を発症。約3週間にわたり入院し、空襲警報が鳴るたびに地下のシェルターに母子ともに逃げ込んだ。地下でも医師や看護師らが寝る間も惜しんで働き、床に毛布を敷いて雑魚寝をするような状況だった。何日も日の当たらない地下シェルターで過ごした日々を「ひたすら無事を祈り続けるしかなかった」とアリーナさんは振り返る。
唯一の家族写真
 ザポロジエ市から避難をした日に撮影した1枚の写真。これが家族4人で撮影した唯一の写真だ。避難のための荷造りを終え、住み慣れた故郷を離れる直前、親しい友人らが鉄道駅まで見送りに来てくれた。不安そうな表情を見せる長女ヤーナさんを前に、アリーナさんは夫ビクトルさんに声をかける。「みんな笑顔で撮ろう」。
 鉄道に揺られ、西部リビウまでは約20時間かかった。リビウのバスターミナルに、一時避難先のポーランド・ワルシャワ行きのバスが到着すると、ビクトルさんは何も言わずに3人をバスに乗せてくれた。「本当にあっという間にバスは出てしまった」とアリーナさん。別れを惜しむ時間すらなく、徐々に小さくなっていく夫ビクトルさんの背中が今でも目に焼き付いている。
「家族で一緒にクリミア旅行に行く」
 日本に避難して8カ月が過ぎた。一時避難した隣国ポーランドでの滞在費や日本への渡航費は公益財団法人日本YMCA同盟などの支援を受けた。「本当に多くの人に助けてもらい感謝している。戦争の不安を感じることがなく生活できることに不満はない」と現在の生活を振り返る。
 一方で、家族を引き裂いた戦争は今も続く。避難生活がいつまで続くのか、見通しも立たない。 
 家族で一緒にクリミア旅行に行く―。ザポロジエで自分の店を出す―。家族4人で肩を寄せ合って生活する―。避難生活をする一室に長女ヤーナさんと願い事を掲げた。
 「戦争が始まるまでは素晴らしい人生だった。また家族一緒に暮らしたい。それだけが願いです」。アリーナさんの眼にうっすらと涙が浮かんでいた。

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