「旅」軽便鉄道の面影求めて 土木遺産のアーチ橋、三岐鉄道北勢線
宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」のモデルにしたのも、芥川龍之介の「トロッコ」に登場するのも軽便鉄道だ。通常の規格より簡便に造られ、2本のレールの間の幅が狭い。鉄道のスピードと輸送力を上げる「進歩」の陰でほとんど姿を消したが、三重県北部には現役の三岐鉄道北勢線が走っている。往時の鉄道の面影を求めて沿線を訪ねた。
東海道の宿場町として栄えた桑名から旅を始めよう。桑名市物産観光案内所の森和彦さんが「ぜひ見ていって」と教えてくれたのが、始発の西桑名駅近くにある踏切。JRと近鉄、北勢線と、それぞれ線路の幅が違う三つの路線が並ぶ。北勢線の黄色い車両はどこかキッチュでかわいらしい。
三重県いなべ市の阿下喜駅までの約20キロを約1時間かけて走る。ゆっくり運行していても、線路幅が狭いから揺れる。橋を渡る時に窓から下を見ると、ちょっとスリリング。線路は急カーブを経て、木が茂った“緑のトンネル”へ。純和風&リアル山野のアトラクション気分に浸れる。
楚原駅で降りて「ねじり橋」と「めがね橋」へ向かう。いずれも土木学会選奨の「土木遺産」。大正期にコンクリートブロックで造られたアーチ橋で、とても希少なものという。電車を待つ間、西日に照らされたあぜ道で空を眺めていると雲が流れていく。ニホンザルが駆けていった。
終点の阿下喜駅もまた、かつては近江商人らが往来する交通の要衝だった。駅の隣には軽便鉄道博物館が。北勢線の歴史を示す資料や写真を見ていると、「切符を買(かい)求め慌て騒がざるの余裕を」などと記された「乗車の心得」があった。電車に乗るのが興奮の一大イベントだった当時を想像してみると楽しい。敷地には、昭和初期の車両も展示されている。
館長の安藤たみよさんによると、ASITA(北勢線とまち育みを考える会)と有志が博物館を建て、車両の修復に関わった。まさに鉄道愛の結晶。その愛はとどまることなく、旧駅舎を街中に建てて内部を再現するにまで至っている。
大正初期に開通した北勢線だが2000年、当時運営していた近鉄が廃線を表明した。沿線の学校に子どもを通わせる親たちを中心に存続運動が沸き起こり、廃線を免れた。「運動をきっかけに、あちこちから鉄道ファンが集まった。残ったおかげで、今は遠くからわざわざ乗りに来る人もいるんだから面白いですね」
阿下喜の駅から街を歩くとおしゃれなギャラリーがあった。周辺で農園や食堂、レストランなども展開する「松風カンパニー」は、いずれも他県から移住してきた寺園風さんと松本耕太さんが営み、20人以上が働く。
6年ほど前に名古屋市から移ってきた松本さんは「その頃は夜にお酒を飲める店もなく、今より寂れていた」と話す。ギャラリーは金物店を、食堂は旅館を改装して開業した。「街は今、独自の形で発展している状態。街のシャッターを一つ一つ開けていきたいですね」。地元産の野菜を使ったこの食堂のランチは、すこぶる美味だった。
【メモ】軽便鉄道博物館は毎月第1、第3日曜日のみ公開。
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