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識者コラム「現論」 信仰を利用、保護されず 解散命令、慎重さは必要 長谷部恭男

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題は、きわめて特殊な宗教法人に関する問題ではあるものの、より広い視点からの分析も必要である。

長谷部恭男さん
長谷部恭男さん

 世間一般からの偏見(思い込み)の対象となりがちな少数者は、民主的政治過程を通じて自分たちの権利や利益を守ることが難しい。民主主義でものを言うのは多数決だからだ。このため、憲法学では、政治から独立した裁判所がより丁寧に少数者の権利や利益を保護する必要があると考えられてきた。
 憲法14条1項後段に言う「人種、信条、性別、社会的身分または門地」による差別が、こうした少数者への不当な扱いと考えられる。実際、最高裁は、非嫡出子など特定の「社会的身分」に属する人々への差別問題に注意深い視線を注いできた。
 ▽少数宗教も影響力
 宗教団体は一見したところ「信条」のために世間からの偏見にさらされがちな少数者であり、特別な保護に値しそうである。カルトと呼ばれる団体は特にそうであろう。
 しかし、新聞報道などからすると、旧統一教会はさまざまな形で与党政治家の活動を支え、そのサイズに見合わない大きな政治的影響力を振るってきたかに見える。宗教的信条が行動のバネとなり、少数だからこそメンバーの行動を相互に監視することも可能となる。
 こうした宗教的少数派は、民主的政治過程で自分たちの利益や主張をきわめて効果的に実現してきたのかもしれない。しかも、反日的色彩の強い外国の本部から指令を受けてそうした政治活動を行ってきたのだとすると、国民主権の観点からの懸念もありそうである。
 他方、非正規労働者やシングルマザーといった人々は、それなりの規模であろうが、かえって共通の利益のために手を組んで闘うことが難しい。強い信条で結ばれているわけでもなく、人的なつながりもないので、メンバーが共通の利益のために行動しているか監視することもできない。
 民主的政治過程で自分たちの権利や利益を守ることが困難なのは、むしろこういった社会全体に拡散した形で、生活のゆとりもなく暮らしている人々だということになりそうである。
 旧統一教会に関しては、宗教法人の解散を命ずるべきだとの議論がある。信者への常軌を逸した額の献金要求のため、家庭の崩壊を招いている事例があることも、その根拠として挙げられる。
 ▽中身は判断できず
 もっとも献金を求める宗教団体は珍しくはない。信仰にもとづく献金は、その宗教団体からすれば尊い行為である。信仰にもとづく普通の献金の要請と、詐欺や強要に類する金銭の要求との違いはどこにあるだろうか。信仰の中身が合理的か否かを区別の根拠とすることは難しいであろう。
 そもそも合理的な信念を信仰とは言わない。それに、信仰の中身が正しいか否かを、裁判所をはじめとする公権力が判断すべきではない。それは信教の自由の侵害であり、政治の宗教的中立性を求める政教分離原則にも反する。
 一つの線の引き方は、献金を求める側が自分たちの「信仰」の中身を本当に信じているか否かで区別することである。献金を求める側が自分たちの掲げる「信仰」の中身を信じておらず、相手から金銭を獲得するための手段として組織的に利用しているだけであれば、それはまっとうな宗教行為とは言えないし、信教の自由として保護するにも値しないであろう。
 過去には、相手の言動に応じて、金銭獲得のためにどのように対応すべきかを記したマニュアルを用意していた「宗教団体」も存在した(和歌山県の明覚寺解散命令事件)。そうしたケースで、宗教法人の解散を命ずることにちゅうちょすべきではない。
 どのような場合に、どのような根拠で宗教法人の解散命令を出すべきかは、旧統一教会のみならず宗教法人一般にかかわる問題であり、注意深く具体的な事実に即した検討が必要である。
 オウム真理教解散命令事件の最高裁決定が指摘するように、法人が解散されたとしても個々の信者の信仰が禁圧されるわけではないが、法人の所有する施設が清算手続きで処分されたりすれば、何かと不便は被るはずである。現行の宗教法人法によれば、解散命令に関する裁判は審理が公開されないことからすると、とりわけ慎重さが求められる。(早稲田大教授)
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 はせべ・やすお 1956年、広島市生まれ。憲法学者。東大教授、ニューヨーク大客員教授などを経て2014年から早稲田大教授。日本公法学会理事長も務める。近刊は「憲法 第8版」「憲法講話 24の入門講義」「神と自然と憲法と」など。

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