【9.11から25年①】生きるために…人々は宙を舞った アメリカ同時多発テロでWTC崩壊を捉えた元特派員が語る恐怖と“最悪のシナリオ”

あれから25年が経った。旅客機がアメリカ・ニューヨークのワールドトレードセンターに突っ込むショッキングな映像をテレビが伝えたあの日をいまだに多くの人が覚えている。

ライブではなく、ソーシャルメディアのアーカイブ映像を見て衝撃を受けた若い世代も多い。

あの日、4機の旅客機が同時にテロリストに乗っ取られ、アメリカの主要施設が狙われた。戦争や紛争が相次ぐ21世紀は、9.11同時多発テロで幕を開けた。

私は当時JNNニューヨーク特派員として間近でビル崩壊をレポートし、アフガニスタン、イラク戦争に踏み切る“テロとの戦い”を取材した。

(元JNNニューヨーク特派員 静岡放送 伊藤充宏)
(全3回連載の1回目)

突然終わった“平和な朝” テロと結びつかなかった「ニューヨーク」

ビルから逃げ惑う人々

2001年9月11日、それは突然だった。まさかニューヨーク特派員としてテロの取材をするなど予期していなかった。思えばその8年前、1993年にワールドトレードセンター(WTC)の地下駐車場で爆破テロが起きていた。

テロの標的となることを、なぜ想起できなかったのか。しかしITバブルの余熱に浮かれるニューヨークは、前日まではそんな不安の余地がないほど華やかで平和そのものだった。

その日、国連開会の取材をするために朝早くマンハッタン57丁目のオフィスに到着した。現地のアメリカ人スタッフが出社し「飛行機がビルに突っ込んだようだ」との情報をくれる。しかしこれが同時多発テロの大事になるとは、すぐに結びつかなかった。

日本から贈られた“平和の鐘”を国連の中庭で鳴らして開会を告げるセレモニーを見たいとの気持ちがまだあった。しかし、オフィスに並べられたアメリカテレビ各局の十数台のモニターが、一斉にWTCを大きく映し出して尋常ではないことを知る。ビルから煙があがっているではないか。

カーラジオから響いた叫び声「なんてこった もう一機が…」

WTCから煙が噴き出る

転がるようにカメラマンとともにタクシーに乗り込んだ。タクシーが走りだして間もなく「なんてこった。もう一機が突っ込んだ」とカーラジオからの叫び声が耳に突き刺さった。

焦った。

テレビ記者は、想像力が大事だと思ってきた。「今ここで何かが起きたら、こうレポートしよう」と“空想”し、レポートの引き出しを増やしてきたつもりだ。しかし探ったが、テロという引き出しはなかった。

道は渋滞し、タクシーを降りた。現場まであと2キロ、WTCの煙は勢いを増している。目の前のことをそのまま伝えるしかない。

ハドソン川沿いの道をWTCから避難してきた大勢の人々が無言で列を作り歩いてくる。泣いている人もいた。みんな何が起きているのか正確につかめていないようだ。

ビルから見える赤い炎 “生きるために”宙を舞う人々

ビルからは炎が

ビル上部から赤い炎が上がり始めた。熱さに耐えかねてか、何人もの人が高層階の窓から飛び降りるのが見えた。目がくらむ高さである。

縄跳びのように空中で腕を回している人が多い。頭から落下しないように、せめてものバランスをとっているのか。

職場の仲間だろうか、何人かが手をつないで輪になって宙に舞う。しかし途中でビルの壁面に何度も叩きつけられた。カーテンのようなものをパラシュート代わりに勢いよく飛び出す人もいたが、一瞬風をはらんだあとは役に立たなかった。

彼らは死ぬために飛び降りたのではない。私の視界にあるうちは、空中でもがいていた。生きたかったのだ。

ツインタワーのうち向こう側の1棟が突然崩壊した。倒れたのではない。ザーッという音とともに、ビルの屋上が見る間に地面に近づいていく。「パンケーキクラッシュ(層崩壊)説」があるが、まさに積み重ねたパンケーキが間の支えを失って上の方から次々と沈み込んでいくようだった。

そしてタワービルの半分ほどまで崩れたときに、もうもうと煙がわき上がった。ものすごい煙だった。

それでも、自分に近いもう1棟が崩壊するとは思わなかった。近くにいた警察官らがペンタゴンにも旅客機が突っ込んだようだとささやき合う。現場が凍りつくのが分かった。

テレビが加担した“最も成功したテロ”の一部始終

走り切りWTCを振り返る

そして「逃げろ」の絶叫。上空からカタカタと音がする。

タワービルをバックにレポートしようとしたその瞬間だった。振り返り見上げると残ったもう1棟が崩れてきた。

その距離は2ブロック、200メートルはない。1棟目と同じようにタワービルの屋上がみるみる近づいてくる。そして下層階から土煙が噴き出して迫ってきた。

火山から流れ下る火砕流、暴れる入道雲が覆いかぶさってくるような恐ろしさがあった。煙から逃れるため走り、必死にレポートした。

その時はその2分余りのレポートが、丸ごと繰り返しテロで特別編成されたテレビ番組でオンエアされるとは思ってもいなかった。通常のテレビニュースでの記者の顔出しレポートは、15秒から長くても30秒だ。

レポート後半はVTRを短縮するためのカット割りを意識していた。フレームアウトして映像をスムーズにつなげるようにというテレビ記者の習性だ。ことの大きさの前では、まったく必要のない試みだった。

その後、4機目の旅客機が乗客の阻止でピッツバーグ郊外に墜落したとの情報が入った。世界中のテレビ局が48時間の生放送を組んだ。ドミノ倒しのように次々とイベントが起き、それをテレビが実況中継していく。

世界中の人々が平和な日常を剥奪されるテロの恐怖を画面から植え付けられた。

結果的にテレビが加担した“最も成功したテロ”と言われている。それは、テロリストのたくらみを超えてメディア時代に仕組まれた最悪のシナリオだったように今思える。

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