
静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で、河本千奈ちゃん(当時3歳)が送迎バスに置き去りにされて死亡した事件から2026年9月5日で4年が経つ。
亡くなった千奈ちゃんの父親(42)は、一時メディアからの取材を断っていたが、2026年9月、再びインタビューに応じた。
<河本千奈ちゃんの父>
千奈が生まれてから約4年間、一緒にいることができましたが、その一緒にいた4年という月日を超えてしまいました。
失った時間の方が長くなった。ずっと一緒にいたかったなという気持ち、取り返しのつかないことになってしまったという気持ち、後悔しかありません。
<記者>
この4年間、我々では想像できない、とてもつらい思いをされたかと思います。
<河本千奈ちゃんの父>
毎日千奈のことを思っています。特に夏の車内、車に乗り込んだ時に車内が暑かったりすると、こういう中に5時間も千奈は置き去りにされたのかと、本当に親として、つらい気持ちになります。
病院で見た娘の姿「助からないのかなと」
2022年9月5日、千奈ちゃんは、炎天下の送迎バスに約5時間、置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなった。
千奈ちゃんがバスの中で見つかった時、車内には脱ぎ捨てられた衣類と、空になった水筒があった。
<河本千奈ちゃんの父>
あの日の朝、千奈はまだ寝ていましたね。私が出勤するために起きた時には、千奈は寝相が悪く、枕とは逆を向いて寝ていたのを覚えています。寝室を出る時、千奈に「行ってきます」と言ったことは覚えていますね。
私が会社にいる時に、一報が園からあった。その一報が来た瞬間、病院に向かう車中、病院で普段とは違う姿の千奈が目に入ってきた瞬間は、今でも鮮明に覚えています。
汗で前髪が千奈の顔にくっついていた。処置をいろいろしてくださったので、千奈は裸で医療ベッドの上に横たわっていました。
目は本当に生気を感じられない、人形のような目でした。口の周りには血が固まったものがついていて、見た瞬間に「助からないのかな」と、そういう思いを一気に感じた。そういった場面を今でも鮮明に覚えています。
一時はメディアからの取材を断っていた遺族 再びインタビューに応じた理由
<記者>
4年というタイミングで、今回取材に応じていただけたのは、なぜでしょうか?
<河本千奈ちゃんの父>
被害者遺族は、ずっと忘れないようにしている。加害者側への恨みとか悔しい気持ちとか、そういったものはずっと残っています。
しかし、加害者側はおそらく、時間が過ぎるにつれて、忘れていく。思い出したくない記憶として過ぎていくんだと思います。
加害者たちは忘れていく。私たち被害者は、ずっと忘れないように過ごしている。
そのギャップ、大きな差があるので、もう一度加害者たちに届くよう、4年という千奈が生きた年齢と同じ月日が経った今、私はもう一度、メディアの皆さまの前で話したいと思いました。
加害者側に望むこと「1年に1回、命日だけでも...」
2024年7月4日、静岡地裁は当時の園長に禁錮1年4か月の実刑判決、クラス担任に禁錮1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡し、2人とも控訴せず、確定した。
判決文によると、当時の園長は▼事件当日は自らバスを運転し、車内に園児が残っていないか確かめないまま千奈ちゃんを取り残し、▼クラス担任は千奈ちゃんの不在を把握しながら事前に連絡のない遅刻か欠席だと思い込み、保護者への出欠確認を怠った。
<記者>
4年が経つ今、望むことはなんでしょうか。
<河本千奈ちゃんの父>
加害者たちに、1年に1回、命日だけでもいいので千奈に手を合わせてほしいです。
牧之原市を離れるにあたって、加害者たちと面談をして、1年に1回、手紙でもいいので連絡をくださいということを約束して離れましたが、転居してから2年間連絡がない。
私たちが近くにいなくなったことで、加害者たちが「楽になった」とか、そういった思いがあるのだったら改めてほしいと思います。
まだ(民事)裁判中なので連絡を取りづらいというのは、もちろん分かります。ですが、弁護士を通じて一報を入れるなど、そういったことはできるはずです。
娘との思い出の詰まった新居に別れ 転居を決断した理由
2024年10月、家族は娘のために建てた自慢の一軒家に別れを告げ、いまは県外で生活している。
<記者>
2024年、牧之原市に購入した一軒家から転居されたと伺いました。
<河本千奈ちゃんの父>
私たち家族が住んでいたのは、本当に園から近いエリアだったので、生活圏内に加害者たちがいる。
買い物に行くと会ったり、車ですれ違ったり、そういったことが多々ありました。そういった環境の中で家族で暮らすことは難しいと思い、転居を決めました。
あの家は、千奈の将来のことを考えて建てました。幼稚園も近いですし、成長していった時に小学校も近い、中学校も歩いて行ける距離、高校も近くにある。
車通りも少ない場所を選んで、安全や将来のことを考えて建てた家なので、思い入れはたくさんありました。手放すのは本当に心苦しかったですが、家族で話し合って離れる決断をしました。
加害者側の人が何人もいる。その人たち全員に「離れろ」というのはやはり難しいというのはわかります。ですから、私たちが離れた方がいいのではないかと思いました。
【後編】に続く
「親としてごめんなさい、助けてあげられなくてごめんなさい」通園バス園児置き去り事件 3歳の愛娘を失った遺族の4年間 加害者側へ伝えたい思い
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