
終戦から81年。
戦争を体験した人が高齢となり、当時の生活の苦しさを直接、伝えることが年々、難しくなっています。
浜松市にある語り部の団体は戦後生まれの人たちが活動し、今の時代に合わせた伝え方で平和を後世に受け継ごうとしています。
自分を犠牲にした祖母の記憶

<和久田真由美さん>
「ばあばは毎年終戦記念日の8月15日になると、暑い日差しの照り付ける中、階段をゆっくりゆっくり登って街を見下ろす、忠霊塔に向かいました」
8月1日、浜松市中央区の浜松復興記念館で、かたりべの会浜松が開いたイベント。
語り部の一人、和久田真由美さん。幼いころ、祖母のたみゑさんと8月15日には戦没者の書かれた忠霊塔へお参りをしていて、その時の記憶を話しました。
<和久田さん>
「ばあば、ご飯はなかったの。白いご飯は食べれんかった。日本のために、一所懸命戦ってくれている兵隊さんたちに、白いお米を食べてもらわなきゃいかんで、私らは我慢、我慢」
自分を犠牲にした祖母の戦争中の生活でした。
戦争の凄惨さだけでなく当時の暮らしぶりを伝える
<中学3年生>
「(語り部の人は)自分では体験していないが、つらさや、別に受け取れるものがあるのではないか」
<広島出身の母親>
「私の時代は(語り部が)ショッキングなことを伝えて、怖さを実感させたが。身近な子どもの話をされていて、子どもたちも想像しやすいし、本当の平和のことについて、学べるかな」
かたりべの会浜松は、浜松市の戦争の歴史を学ぶ仲間で作られたボランティア団体です。
会員は20人で戦後生まれ、戦争被害の凄惨さだけでなく、当時の暮らしぶりまで伝えることに力をいれています。
わかりやすく伝える工夫
<和久田さん>
「重たい部分だけを伝えることが本当に今の時代の方にあっているかなと思うと、周りの方とうまくやっていくとか、命大事だよねとか、そういうところが伝わるといいかな。それほど深刻な部分ではないところを伝えているのは他の会員も同じではないかな」
<参加者>
「(話が)トラウマになるようなリアルすぎると、子どもたちは壁を作り、興味を持たなくなってしまう心配があるが、わかりやすく伝えてくれるということが親として一緒に勉強できるという立場でよかった」
実は戦争体験者にもストレートに語ることに疑問を持つ人はいます。
浜松市遺族会の会長・大石功さんは父親が戦死し、家族が路頭に迷い親戚を転々とした当時の生活を語り継いでいます。
<浜松市遺族会 大石功会長>
「あんまりいうとね、自分がつらくなる。もろもろのことを言ってもあまり響かないだろうな。もう少し歴史の勉強をして咀嚼力と想像力と発信力で語り継いでいくべき」

言葉を選んだ語り部から広がる平和の輪

8月1日、かたりべの会をきっかけに心を動かされる人が出てきました。
高校1年生の平出あす香さん。かたりべの会の人から聞いた浜松大空襲を題材に絵本を制作しました。
<平出あす香さん>(朗読)
「あかい火がまちをのみこみました。みんないのちをまもるために、いっしょうけんめいはしりました。まちがなくなってしまっても、こころがきずついても。みんなは手をてをとりあって、こころをひとつにしました」
かたりべの会の人が話すようにストレートな表現を避けました。
<平出さん>
「私たちにもわかるように言葉を選んで教えてくれたので、話が入ってきやすかった。自分よりもさらに年が低い人たちにも積極的に行動していきたいなと改めて思うようになりました」
<かたりべの会浜松 飯尾忠弘会長>
「時代とともに語り部の語り口も変わっていくと認識している。ずっと持続させるように、自分たちで切磋琢磨していくことが大切」
語り部の取り組みの成果が若い人たちに少しずつ広がっています。













































































