
2026年で、終戦から81年です。太平洋戦争のさなか、満州に「浜松村」と呼ばれる開拓地があったのをご存じでしょうか。豊かな生活を夢見て満州へと渡った浜松の人たち。少年の頃に満州へと渡った男性の証言と、その記憶を未来へとつなごうとする地元の動きを追いました。
寄贈された「壮絶な逃避行」

<柴田宏祐さん>
「1945年8月9日、日本は戦争に負けて、ソ連軍が一斉にここ(満州)に入り込んできました。全ての財産を捨てて、この浜松村を後にしました」
三方原台地の一角にある、浜松啓陽高校です。この地の歴史を知ってもらおうと1冊の本が寄贈されました。
静岡県旧引佐町の教育長を務めた柴田宏祐さんが書き上げた「都田白昭満州開拓村物語」。
国策によって満州へと渡った「浜松開拓団」の歴史や、ソ連軍からの壮絶な逃避行の記録が描かれています。
推進された国策ー 当時の浜松市は
<浜松啓陽高校 大場博文教諭>
「満州ってどこ?満州はどこかというと、紫色で示される中華人民共和国のこの地域ね、東北部といっています」
1932年。日本軍は中国北部の地・満州に、満州国を建国します。
軍部はこの新しい土地に国民を移住させ食料の増産や資源の確保などを目的とした国策を推進します。浜松市も当時、満州への入植を強く推し進めていました。

「満州開拓百萬戸送出の國策に協力すべく」「濱松村開拓團三百戸を満州國に建設する」。
浜松市の都田町には、当時の浜松の人たちが入植した満州の地「白坦昭(ぱいたんしょう)」にちなんで名付けられた「白昭」と呼ばれる地域があります。
「集まって戦って死ぬってことはわかっていた」

武井俊夫さん(91)は7歳の時、両親と6人の兄弟とともに満州へ渡りました。
<武井俊夫さん(91)>
「農業やっていた場所でどこまでも続いていたんだよね大地が。食べるものはあったし、豚なんかも自分で飼ったり、肉を食べたり(当時の)日本では食べれないんだもんなその時」
武井さんは日本人学校に通い、広大な土地のなかで日本に住むより満たされた暮らしをしていたといいます。
そんな生活が一転したのはー終戦の6日前のこと。ソ連軍が満州を攻め込みました。

<武井さん>
「(団は)一つの部落に集まって玉があるだけ戦って、みんなで玉砕しようと(話した)。親のところにはすでに青酸カリが配られていて、鉄砲玉だって言ったって(玉が)あんまりないだよね。集まって戦って死ぬってことはわかっていた僕らも子どもながらにね」
父の遺体を掘り起こし...

<武井さん>
「(逃げ込んだ新京では)冬だと氷点下20℃ぐらいになるわけだ。発疹チフスやコレラが流行ったり、寒さやろくなものを食ってないからゴロゴロ死んだもんで、毎朝馬車で死体を捨てに行くのを見ていたわけ」
武井さんの父・平(ひとし)さんも42歳で病気の末、亡くなりました。日本に戻る時、父の遺体を掘り起こしたのは、武井さんでした。
<武井さん>
「親父の遺体を掘り出すのには訳なかった。枕木轢いて、石炭を並べて、親父を寝かせて、石油をかけて火をつけて骨にして来ただよ。そんなに悲しくもなかったし、やっぱりおかしくなっているんだよね人間自体が」
Q.それはなぜ
「やっぱり戦争だろうね。それは負けた国の」
満州から生還した人々 開拓した地で平和への誓い

日本に戻った武井さんは、生き残った開拓団とともに三方原台地の一角をいまの姿に変えていきました。
<大場教諭>
「実際にいま啓陽高校が建っている位置は昔は荒れ地であって、そこに開拓した人たちが入って今は、結局は豊かな土地になっているわけですね」
<高校1年生>
「今まで自分が知っている歴史の話と、比べながら読み解いていきたい。そういうのを伝えていくのが今の学生だと思う」
<高校1年生>
「満州から来て浜松を作り上げてくれた人たちに感謝をするためにこの本を次の世代へと語り継いでいければいいなと思います」
終戦から81年。1冊の本が戦争の残酷さと平和への願いをつないでいます。













































































