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SHIZUOKA PRIDE 〜未来へのチカラ〜

悲願の金メダルへ
パラ陸上エース・佐藤友祈

2021年2月2日

2021年に延期された東京パラリンピックで日本勢として金メダル最有力候補に挙がる陸上の佐藤友祈選手(31)=モリサワ=。岡山県に拠点を置き、勝負の年を迎えた21年はさらなる飛躍を目指してプロ選手に転向した。16年に開催されたリオデジャネイロ・パラリンピックの400㍍と1500㍍(車いすT52)で銀メダルを獲得し、18年には両種目の世界記録を更新した。19年に結婚。良き伴侶を得て競技にかける思いはさらに強くなった。出身は静岡県藤枝市。パラ陸上界エースの素顔に地元SBSテレビの岡村久則アナウンサーが迫った。

練習する佐藤選手
練習する佐藤選手

世界記録打ち立てた僕自身がライバル

岡村アナ)新型コロナの拡大が収まらない中で迎えた2021年。延期された東京パラリンピックに向けて「もう一度」という気持ちを高める新年になっていますか。

佐藤選手 「2020年に開催される予定だったパラリンピックに照準を合わせ、それが終わってからプロとして活動していこうと決めていました。大会は延期になってしまいましたが、自分が当初決めたタイミングに合わせて21年からはプロとしてやっていきたいという思いが強くて独立しました。東京大会がどうなるかはまだ不透明ですが、いざ開催されるとなったときに準備不足でメダルが獲得できませんでしたというのでは話になりません。体だけはコンディションを整えて臨みたいと思っています」

岡村アナ)東京パラリンピックに向けてはどのような思いがありますか。

佐藤選手「開催されるかどうかはコロナの状況やワクチンの状況、感染者の変動などによって決まるのだと思っています。選手がいくらやりたいといっても、安全が確保できない中で開催するという決断は難しい。そこは国際パラリンピック委員会などに委ねるしかありません。先行き不透明な状況の中でも、モチベーションを切らさずに開催されると信じて競技に取り組む選手の姿勢を多くの方に見ていただき、『自分たちも踏ん張ってみよう』と思ってもらえればいいなと考えています」

岡村アナ)佐藤選手は日本勢の中で金メダルに一番近いという表現をされますが、ご本人からするとどういう思いですか。

佐藤選手「素直にうれしいですよ。注目選手として名前を上げていただくということは、みなさんに名前や顔、競技をしっていただくプロモーションにもなります。そういうふうに表現してもらったり報道してもらったりすることは励みになっています。良い意味でのプレッシャーとなり、頑張らなければいけないなと思えています」

岡村アナ)前回のリオデジャネイロ・パラリンピックに臨むときと思いは全然違いますか。

佐藤選手「そうですね。2012年のロンドン大会(の映像)を見てから金メダルを目標に競技をスタートさせましたが、リオのときは目標にあと一歩届きませんでした。金メダルを獲ったアメリカのマーティン選手との差が分かってとても悔しかった。その瞬間から次のパラリンピックではリベンジを果たしてタイトルを獲りに行くということを決めました」

岡村アナ)リオ大会の後、世界選手権で金メダルを獲り、400㍍、1500㍍に加え、800㍍、5000㍍でも世界記録をつくられています。東京大会までにこういうものを成し遂げていこうという目標を立てていたということでしょうか。

佐藤選手「マーティン選手にリオ大会で負けてから、2017年の世界パラ(パラ陸上世界選手権)でマーティン選手に土をつけようと思いました。通常の選手は、パラリンピックの翌年は調子を上げてこないんです。僕はあえてそこをもう一段階ギヤを上げて臨むことでマーティン選手に勝って相手に苦手意識を持たせ、18年に400㍍、1500㍍で世界記録を更新しようとプランを立てました。18年5月にスイスで開かれた試合で世界新を狙って不発に終わりましたが、7月にあった関東パラ(関東パラ陸上選手権)で無事に世界記録を更新でき、19年の世界選手権でも再びマーティン選手に勝つことができました。ここまでは順調に来ています」

岡村アナ)マーティン選手の現在の状況は把握できていますか。

佐藤選手「昨年は海外のレースに行けてないので、全く把握できていません。ただ、東京パラリンピックは400㍍と1500㍍の2種目で世界記録を更新して金メダルを獲得するという目標を掲げているので、マーティン選手の情報があまりなくても支障はありません」

岡村アナ)やはり最大のライバルはマーティン選手ですか。

佐藤選手「人で言ったらマーティン選手や伊藤選手、上与那原選手など国内外を問わず、一緒にその場で走る皆さんがライバルです。ただ、世界新記録を更新しての金メダル獲得を目指すには、人ではなく、現在の世界記録を打ち立てた僕自身がライバルになるので、そこに向けて挑戦していくという感じです」

インタビューする岡村久則アナウンサー
インタビューする岡村久則アナウンサー

風を感じることができなくなるのが嫌だった

岡村アナ)2012年のロンドン・パラリンピックの映像を見て競技を始めたということですが、映像はたまたま見たのか、自分の中で見ようと思ったのか、どちらでしょうか。

佐藤選手「見たのは本当にたまたまでした」

岡村アナ)いろいろな競技がある中で、車いすのレースを選んだ理由にはなにかあるんでしょうか。

佐藤選手「21歳で病気になって車いす生活を送るようになりました。当初は病院用の車いすに乗っていましたが、病院用の車いすは介助者が楽に押して行ける作りになっていて、自分でこぐのにはあまり向いていませんでした。それで『ああ、もう風を切って走ることができないんだろうな』とふさぎ込んでいたんです。そんなときパラリンピックで3輪のレーサー(競技用車いす)に乗って走り回っている選手たちの姿を見て、障害者でも車いすでも筋肉や体をうまく使ってこんなに速く走ることができるんだと感銘を受けました。それでこの競技をやりたいと思って始めました」

岡村アナ)では、今は「風を切る」という心地よさを感じているのでしょうか。

佐藤選手「はい。ただ、風がすごい好きだったわけではないですよ(笑い)。日常生活で風を感じることができなくなるのが嫌だっただけです」

岡村アナ)世界記録である400㍍を55秒というスピード感というのはどういうものなんでしょうか?

佐藤選手「自転車に付けるようなスピードメーターをレーサーに取り付けて走るのですが、世界記録を更新したときにはMAXで30㌔は超えていたと思います。1500㍍でも平均で27〜28㌔を超えます。30㌔というのはミニバイクの法定速度ですが、目線が低い分体感的にはより速く感じます」

岡村アナ)低姿勢のほうが空気抵抗が少ないと思うのですが、そういう点も意識されるんでしょうか?

佐藤選手「姿勢のことももちろんあるんですが、一番は風を受けるところをなるべく減らすことです。例えばステップに足を乗せずにレーサーに正座で乗れば、足置きのところは風を受けないので空気抵抗はなくて済みます。ただ、僕の場合はレーサーのポジションやこれまで調整してきた感じでは、足置きはあまり外せません。その分、こぐときのテンポ感やパワーを気にしながらやっています」

岡村アナ)いろいろ試行錯誤されているんですね。ちなみに初めて体験したときはどのくらいのスピードが出たんでしょうか。

佐藤選手「初体験のときは速度的には8〜9㌔でした。MAXでも12㌔〜13㌔が一瞬出せるという程度でした。今とは比べ物にならないぐらい遅かったですね」

岡村アナ)そこから始まり、競技にのめり込めた理由はなんでしょうか。周りの方に向いてるねと言われたというようなことがあったのでしょうか。

佐藤選手「自分自身で次のパラリンピックの舞台に出場してメダルを獲得するということを目標にスタートしたので、人に良い、悪いと言われても関係なかったです。日々のトレーニングを積んでいく中で、少しずつでいいから進歩していけばいいと思っていました。始めた当初は10㌔の距離を走ったタイムを毎日、更新していこうという形を続けていました。最終的に今は練習で10㌔を走っても当初のように40〜45分もかかることはなく、30分以内では終わるようになりました」

笑顔でインタビューを受ける佐藤選手
笑顔でインタビューを受ける佐藤選手

プロになって認知度を上げていきたい
結婚して良い爆発力を生める感じになりました


岡村アナ)今年、プロ選手になられましたが、独立しようと思われた一番の理由は何でしょうか。

佐藤選手「ステップアップのためというのが一番です。パラリンピックでメダルを獲って世界記録を更新していても、まだまだ競技に対する認知度は低い。プロになって(活躍することで)認知度を上げていきたいという思いが大きいです」

岡村アナ)拠点も岡山から変えられるんでしょうか。

佐藤選手「生活拠点については岡山のままでいく予定です。ただ、せっかくプロとして独立したということもあるので、東京のナショナルトレーニングセンター(NTC)や国立スポーツ科学センター(JISS)などを利用して個人合宿を行い、競技力を強化していきたいです。極力自分でいろいろなことを決めていけたらいいなと思っています」

岡村アナ)佐藤選手のTwitterを見ると、2019年にご結婚された奥様のエピソードがよく出てきますね。ご結婚されていかがですか。

佐藤選手「一人で頑張っていたときは競技に怪我はつきものなので何かあっても仕方がないと思っていましたが、結婚して怪我してられないな、スランプに陥っていられないなという気持ちが強くなりました。結婚式したから競技で結果が出なくなったと言われたくないという思いもあったので、良い爆発力を生める感じになりました」

岡村アナ)奥様はどんなタイプですか。

佐藤選手「時と場合によりますが、普段は優しく見守るという感じです。ただ、試合が近づいて来たらはっぱをかけてくれます」

岡村アナ)地元の話も聞いてみたいのですが、静岡県や藤枝市にはどのような思いがありますか。

佐藤選手「地元はいつまでたっても地元ですね。生まれ育った場所なのでふと思い出したりします。静岡県内でも最近はパラアスリートを応援するという動きが高まってきていますが、僕がパラリンピックを目指し始めた2012年末から14年ごろまではまだまだ競技に対する理解度が低かったです。当時は競技場を使いたいと申し出ても、タイヤの跡が付いて競技場が傷むからだめだと断られることがありました。そこで競技環境を求めて岡山に移住した経緯があります。静岡県出身のパラアスリートは多いのに、県外、国外で活動しているのはもったいないですよね。せっかくなら静岡県在住で、静岡でトレーニングを積んで、静岡からパラリンピックに出ていくというような環境になってほしいと思います。僕がプロになって活動していくことで、静岡ともっと関わっていけたらいいなと思います」

岡村アナ)そうなれば本当に嬉しいですね。地元で癒やされるスポットはありますか。

佐藤選手「思い出の場所でいえば住んでいるところから近かった蓮華寺池公園ですね。障害者になってから競技用車いすを借りるまでの間、まず動ける体に戻して体力をつけなければならなかったので、生活用の車いすで公園を何周も回ったりしました。あとはもうなくなってしまいましたが、藤枝駅の近くのショッピングセンターにも学生のころはよく行っていました。競技を始めてからは、大井川のリバティでよく練習しました」

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ZOOMでの取材、終始笑顔があふれていました。

後続と差をつけてゴール 記録は当然世界新

岡村アナ)健常者も障害を抱えている方も関係なくみんなが同じようにいろんな目標を持って取り組んでいく世の中をつくっていくことはすごく大事だと思いますが、将来を担う子どもたちにはどういうことを発信していますか。

佐藤選手「コロナの影響で夢や目標を持ちづらい状況になっていますが、諦めずにいてほしいなと思います。ただ、これはすごく難しいです。このコロナの状況下で希望を持ち続けることはしんどいです。それでも夢や目標を捨てたりするのではなく、どこかに一度置いておおき、自分の中で状況が整った段階でまた引っ張り出してくれば良いと思います。2年後、3年後に、諦めなくて良かったと思えるときが絶対に来ると思います。喋るのはあまり得意ではないですが、そういったことを多くの人に伝えていけたらいいなと思っています」

岡村アナ)最後に、東京パラリンピックについて改めて聞かせてください。400㍍と1500㍍のレースをどのようにイメージしていますか。

佐藤選手「400㍍に関してはスタートからレーンがセパレートで決まっているので、力と力のぶつかり合いになります。持てる力を100%出し、それが1㍉でも上回った選手が勝つと思っています。もしスタートで出遅れても100㍍、150㍍の段階でトップに躍り出て、その間に伸びてきたスピードをさらに伸ばし、後続と差をつけてゴールするということを想定しています。記録は当然世界新です。1500㍍はオープンレーンになるのでポジション取りから入ります。そこで選手に挟まれて前に出られなくなる『ポケット』の状態にされないよう、外目のレーンを走ってでもいいから一気に加速して追い抜いていき、世界記録を更新して勝つというレースを思い描いています」

岡村アナ)私たちもそういうところに注目して応援したいと思います。

編集後記 岡村久則

コロナ禍ということで、佐藤選手の拠点岡山と静岡を繋いでリモート取材となった今回、印象に残ったのは私のインタビューに丁寧に答えを届けてくれる佐藤選手の姿勢でした。そこにあるのは、今年所属先を離れプロとしての活動を始め、様々な形で競技の事、自身の事など情報を発信していくと話をしていた佐藤選手の少しでも多くの人にパラスポーツを知ってもらいたいという強い思いだと感じました。昨年は初めて藤枝の母校の中学校で講演会を行い、夢を持つ事、夢を諦めない事の大切さを後輩たちに語りました。ご本人も話した通り、今後の故郷静岡との関り方をとても楽しみにしています。すでに東京パラリンピックでのレースプランをしっかり描きブレることなく進んでいる佐藤選手、大会後、国立競技場の「風を切った」感覚はどんなだったのかをお聞きするのが楽しみです。

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