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徳川家康の出世城 天下への足掛かり「浜松城」 築城の理由は?どんな城だった?

 JR浜松駅の北西1キロ強。浜松市中心部に、豊かな緑に囲まれた浜松城公園が広がります。徳川家康が天下への足掛かりを築き、後の城主も次々と幕府の要職となった「出世城 浜松城」はどんな城だったのか。家康が浜松を選んだ理由は。浜松市文化財課と浜松観光ボランティアガイドの会への取材を元にまとめました。

家康の在城時 遠江攻略の拠点、対武田の最前線

若き日の徳川家康公の像
若き日の徳川家康公の像
 桶狭間の戦いでの今川義元の討ち死にをきっかけに独立し、三河を統一した家康は、今川領・遠江の攻略に乗り出した。遠江攻略の拠点とする城は当初、政治・文化の拠点だった見付(現在の磐田市)に築く予定だった。しかし武田信玄と対決する時に天竜川を背にした「背水の陣」となることを避け、さらに同盟を結んだ織田信長と連携を取りやすいようにと、拠点を浜松に変更したと考えられている。 
 今川配下の武将・飯尾連龍(いのおつらたつ)亡き後に、妻・お田鶴の方(おたづのかた)が守ったと伝わる「引間城(引馬城・ひくまじょう)」を攻略した家康は、居城とすべく城を南西側に向けて拡張・改築。「ひくま」は「馬を引く」と、敗戦を連想させることから、城の名前を浜松城に改めたと伝えられている。 
 三方原台地の東縁にそびえ、地形を生かして東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守曲輪と徐々に高くなっている。家康の在城時の規模は明らかではないが、天守曲輪(詰の丸)、本丸、二の丸、三の丸の一部、作佐曲輪、出丸などを中心とした範囲だったと想定されている。この頃は土塁や土の堀に囲まれた板ぶきの城で、天守や石垣は存在しなかったとみられる。 
 家康は元亀元年(1570年)~天正14年(1586年)、29歳~45歳の青壮年期17年間、浜松城を拠点に過ごした。浜松時代は武田信玄に大敗した「三方ケ原の戦い」、武田勝頼を破った「長篠・設楽原の戦い」、豊臣秀吉と対決した「小牧・長久手の戦い」など、戦が続いた。(◆3分で読める 徳川家康が切り抜けた10戦 桶狭間/姉川/三方原/長篠/関ケ原・・・)
 また、正室の築山殿と長男の信康との死別も経験した。こうした苦難を乗り越えた家康が、天下統一の足掛かりとしたことに加え、後の江戸時代の歴代城主が幕府の要職に就いたことから、浜松城は「出世城」と呼ばれる。 

家康の転出後 豊臣重臣の堀尾氏が城主に 豊臣の力示す城へ改修

復興天守閣の地下1階に再現された井戸
復興天守閣の地下1階に再現された井戸
 三河・遠江・駿河・甲斐・信濃へと支配地域を広げた家康は天正14年(1586年)、拠点を駿府城に移した。家康の後に城主となった豊臣秀吉の重臣・堀尾吉晴(ほりおよしはる)は石垣や瓦葺き建物を築き、秀吉好みの城へと浜松城を改修し、豊臣政権の世の到来を領民に示した。 
 天守に関する史料は見つかっていないが、周辺で鯱瓦(しゃちがわら)が採集されていることなどから、安土桃山時代には存在していたと考えられている。一方、江戸時代の絵図には描かれていないため、それまでに消失したとみられる。 
 また、天守内部には篭城に備え、全国的にも珍しい井戸が備えられた。井戸は江戸時代に天守が失われるのと同時期に埋め立てられたとされるが、現在の復興天守閣の地下1階に再現されている。

歴代城主が次々要職に 「出世城」色濃く

復興された天守閣
復興された天守閣
 堀尾以降の江戸時代の浜松城主は10家22代を数える。浜松は家康ゆかりの地で、東海道でも重要な場所だったため、松平一門をはじめ名門の譜代大名が城主に任命された。短い在任期間で転出し、転入元や転出先が似ているのも特徴だ。多くが在城以降に幕府の要職に就いたことも浜松城が「出世城」と呼ばれるゆえんだ。老中となり、財政引き締めや農村復興を目指す「天保の改革」を行った水野忠邦が有名。

“ハート形の石” 人気撮影スポット

“ハート形”として観光客に人気の石
“ハート形”として観光客に人気の石
 浜松城の石垣が築かれたのは、家康の次の城主・堀尾吉晴の頃という説が有力だ。約400年の風雪に耐え、浜松城跡の中でも特に特徴を示す部分とされる。基本的には、加工していない石を積む「野面積(のづらづみ)」。積み方は、石材を一段ずつ横に並べながら積み上げる「布積(ぬのづみ)」という手法が使われている。 
 天守を支える石垣「天守台」には“ハート形の石”があり、撮影スポットとして観光客に人気を集めている。浜松市文化財課によると、この部分の石垣が築かれた明確な時期について記録は残っておらず、積み方の状態から後の積み直しの可能性も指摘されていて、この石が積まれた時期や用いられた理由は分かっていない。 
 天守の南西には、内側に大きく弧を描くように積まれた石垣「輪取り」や、屏風を折ったように積まれた石垣「屏風折(びょうぶおれ)」がある。いずれも天守曲輪からの死角をなくし、防御機能を高める効果がある。
地域再生大賞