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〈 あす五輪開会式 メダルに挑む県勢 〉

 あす23日、東京オリンピックが開会式を迎えます。コロナ禍や開会式演出騒動の波乱の中、選手はそれぞれの思いを抱えながら五輪の舞台を踏みます。メダルが期待される静岡県勢注目選手をおさらいします。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・石岡美来〉

サッカー男子 旗手怜央(静岡学園高出) 攻守の万能さ持ち味

 日本サッカー協会は22日、東京五輪に出場するU-24(24歳以下)サッカー男子日本代表18人を発表し、県勢はDF旗手怜央(J1川崎、静岡学園高出)が選ばれた。同校からは2016年リオデジャネイロ五輪に出場した大島僚太(J1川崎)に続き、2大会連続の選出。

東京五輪のサッカー男子日本代表に選出された旗手怜央=12日、愛知県豊田市の豊田スタジアム
東京五輪のサッカー男子日本代表に選出された旗手怜央=12日、愛知県豊田市の豊田スタジアム
 旗手は高校2年時に全国高校選手権で8強進出に貢献した。順天堂大を経て20年にJ1川崎入り。サイドバックのほか、トップ下など攻撃的なポジションもこなす万能さが持ち味。
 旗手はオンラインで取材に応じ「川崎フロンターレでやってきたことが評価されてうれしい。五輪は日本を代表して戦うので、優勝目指して頑張る」と意気込みを語った。
 
 ■静学仕込みの技「出るだけではなく活躍したい」
 東京五輪に出場するU-24(24歳以下)サッカー男子日本代表に選ばれたDF旗手怜央(23)=J1川崎フロンターレ、静岡学園高出=。「人生を変える大会になる。出るだけではなく活躍したい」。川崎がアジアチャンピオンズリーグに出場するため、ウズベキスタンからオンラインで意気込みを語った。静岡学園高で培った技術を五輪のピッチで存分に発揮する。
 三重出身の旗手は静学のサッカーに憧れて中学受験したが失敗。諦めきれずに高校から伝統校の門をたたいた。「彼の熱意を買った」という恩師の川口修監督は「技術的にはそこまでうまい選手ではなかったが、左右両足の強烈なシュートや体幹の強さは素晴らしかった」と振り返る。
 2年時に全国選手権に出場したものの、卒業時にJリーグクラブから声は掛からなかった。「評価されて行くのがプロ」との考えを持つ川口監督はクラブ側に売り込むことはしなかったが、「当時からJ1に入ってもおかしくない力はあった」と明かす。強い体とサッカーに対する姿勢に、将来の大成を確信していた。
 旗手は「あの3年間がないと今の自分はない。磨いてきた技術をしっかりピッチ上でできれば」と恩師や高校時代の仲間への感謝の気持ちを忘れない。
 メンバー登録はDFだが、最終ラインから前線まで器用にこなす。国際大会に不可欠な複数ポジションをこなす「ポリバレント」が持ち味。代表の森保一監督は五輪の過密日程や酷暑を考慮し、選手を選考した。本人は「やることはゴールを取って、ゴールを守るというシンプルなこと。どのポジションでも徹底的にやりたい」と明快だ。
 3、6月の強化試合5試合に出場。3試合で先発しアピールを続けた。3月のアルゼンチン戦では「攻撃は通用したが、守備で強度の差を感じた」と世界レベルも体感した。
 高校野球の名門、PL学園高(大阪)の遊撃手で1984年に甲子園春夏連続で準優勝した浩二さんを父に持つ。90分間走り切る強い体は父親譲り。家族には最初に吉報を伝えた。「これまでの選択は悪くなかった。自分を信じてやってきて良かった」。父とは違う大舞台で輝くつもりだ。
 
 はたて・れお 1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高出。順天堂大を経て2020年J1川崎フロンターレ入り。18年にU-21(21歳以下)日本代表としてジャカルタアジア大会で銀メダルを獲得した。19年はU-22日本代表でトゥーロン国際大会(フランス)に出場した。
 〈2021.6.23 あなたの静岡新聞〉⇒元記事  

体操女子 芦川うらら(常葉大常葉高出) 体操にささげた人生

 待ちわびた東京五輪の切符獲得に一層気が引き締まった。28日、体操女子の種目別平均台で五輪出場権を獲得した芦川うらら(静岡新聞SBS、常葉大常葉高出)。「今までやってきたことが正しかった思える大会にしたい」と改めて活躍を誓った。

体操女子の種目別平均台で東京五輪代表に決まった芦川うらら=昨年11月、水鳥体操館
体操女子の種目別平均台で東京五輪代表に決まった芦川うらら=昨年11月、水鳥体操館
 五輪予選の種目別ワールドカップで3連勝し、代表入りは濃厚だったが、コロナ禍で20年3月末に五輪延期が決定。正式な発表が持ち越されていた。
 当時は高校2年。練習環境を変えずに五輪を目指そうと、大学進学を見送ることを決めた。小学2年から所属する水鳥体操館(静岡市葵区)で競技を続け「成長できるチャンス」と前向きに励んできた。
 ただ、思い通りに練習をこなせない時期もあった。「足を振り上げると痛い」。昨年6月、左足の付け根に痛みが生じた。日常生活でも長時間座っていると痛みは増すばかり。持ち味でもあるジャンプして足を大きく開く技の練習を控える期間が続き、歯がゆさを感じた。「痛くない時に時間が戻ったら良いのにな」。普段は目標に向かって黙々と演技を繰り返すが、珍しく弱音を吐いた。
 長引く痛みに悩まされても、水鳥体操館には毎日通った。体の治療に時間を割き、コーチと相談しながらできることに取り組んだ。痛みは徐々に癒え、体操と向き合う時間が増えたことに充実感を覚えた。「五輪という目標があったから1年間頑張ってこられた。進学せず体操に専念することを決断して良かった」。不安もあったが、今では胸を張る。
 生まれ育った地元で積み重ねてきた努力が結実し、夢舞台のスタートラインに立つ。支えてもらったコーチや家族ら全ての人に恩返しする心意気で挑む。「自分の一番良い演技をしたい」。勝負はここから始まる。
 
 あしかわ・うらら 2003年3月8日、富士市生まれ。1歳で体操を始め、小学2年から水鳥体操館(静岡市葵区)に所属する。常葉大常葉中2年時の全国中学校体育大会個人総合で3位入賞。19年は全国高校選抜大会と全国高校総体の種目別平均台を制した。東京五輪予選の種目別ワールドカップ(W杯)平均台で3連勝し、20年12月の全日本種目別選手権で初優勝した。
 〈2021.6.29 あなたの静岡新聞〉⇒元記事

男子50キロ競歩 川野将虎(御殿場南高出) 挫折バネに才能開花

 陸上競歩の逸材が、東京五輪で金メダル獲得に挑む。男子50キロで日本記録(3時間36分45秒)を持つ川野将虎(旭化成、御殿場南高出)は、今春卒業した東洋大で才能を開花させた。飛躍を支えたのは、ライバルの活躍と競技人生で初めて味わった挫折だった。

東京五輪で金メダル獲得に挑む川野将虎=3月、石川県能美市
東京五輪で金メダル獲得に挑む川野将虎=3月、石川県能美市
 高校2年時の全国総体は5000メートル競歩で2位。3年時はU20(20歳以下)世界選手権の日本代表にも選ばれ、「東京五輪を目指すなら東洋大」と高い志で名門の扉をたたいた。
 だが、世界一の称号は同郷で同学年のチームメートに先を越された。東京五輪20キロ競歩代表の池田向希(旭化成、浜松日体高出)が、2018年5月の世界競歩チーム選手権で優勝した。
 普段はたわいもない話をする仲が良い2人。競技でも切磋琢磨(せっさたくま)してきた。だからこそ、ライバルの優勝はうれしさと同時に「本当に悔しかった」と当時の気持ちを明かす。
     ◇
 もどかしさを振り払おうと、ひたすら練習に励んだ。ところが、半年後には右足首靱帯(じんたい)を損傷し、約2カ月の離脱を余儀なくされた。「さすがにつらかった」。何度も不安に駆られ、練習を再開しても思うように歩くことができなかった。
 「東京五輪が自分の支え」。大舞台への憧れが、けがに苦しむ己を奮い立たせた。完治して臨んだ19年3月の全日本20キロ競歩能美大会で池田に競り勝ち、4月の日本選手権50キロは2位に入賞。10月末の全日本50キロ競歩高畠大会で日本新記録を樹立し、念願の五輪切符をつかんだ。
     ◇
 競歩は東京五輪でメダルが有力視される競技の一つ。だが、50キロは24年パリ五輪の正式種目から除外されることが決まっている。元日本記録保持者で19年世界選手権王者の鈴木雄介(富士通)は体調不良で代表を辞退。初めての世界大会に臨む川野が、50キロで日本人初となる五輪金メダルの期待と重圧を背負うことになりそうだ。
 大学卒業後も練習環境を変えず、東洋大で池田と共に備えてきた。「五輪で勝つ。勝負する」と力強く言い切る。高校時代に掲げた五輪出場の目標は、いつしか世界の頂点を見据えるようになった。

 かわの・まさとら 1998年10月23日生まれ。小山町出身。御殿場南高で競歩を始めた。2019年10月の全日本50キロ競歩高畠大会は3時間36分45秒の日本新記録をマーク。初優勝で東京五輪の切符を獲得した。22歳。
 〈2021.7.16 あなたの静岡新聞〉⇒元記事

自転車トラック 新田祐大(県東部拠点) 競技の未来見据える 

 東京五輪の1年延期が発表された翌日の2020年3月31日。自転車競技トラック男子の新田祐大(日本競輪選手会)は、ロード練習で伊豆の国市の山道を走っていた。「このままいけばメダルは可能だったが…」。去来する感情がわずかに集中力を乱したのかもしれない。下りでタイヤを滑らせ転倒し、爆発的なダッシュ力を生む左太ももの筋肉を断裂した。「『五輪は終わったな』と。選手として復活できるかも分からなかった」

自転車競技トラック種目の男子ケイリン、スプリントで金メダルを狙う新田祐大=伊豆市の伊豆ベロドローム
自転車競技トラック種目の男子ケイリン、スプリントで金メダルを狙う新田祐大=伊豆市の伊豆ベロドローム
 2週間入院し、自転車に乗り始めたのは1カ月後。力が落ちたことははっきり分かった。6月にはストレスによる胃腸炎で休養も強いられた。当時すでに34歳と決して若くない。それでも、「五輪のメダル」への思いが新田を突き動かした。
     ◇
 「95%は『競技』に懸けている」。競輪界のトップ選手になった今も新田は言い切る。12歳で見た長野五輪、スピードスケートの清水宏保さんの金メダルに心が震えた。身近だった自転車で競技の世界に飛び込み、「五輪への最短ルート」として、高卒で競輪選手になる道を選んだ。
 12年ロンドン五輪で出場の夢はかなえた。だが、同時に痛感したのは世界との差。それを縮める道筋が見えない日本の強化体制にも歯がゆさを感じた。
 16年リオデジャネイロ五輪の代表から落選した新田は同年、トラックチーム「Dream Seeker(ドリームシーカー)」を設立した。日本代表とは別枠で国際大会に参戦できるチームをつくることで、東京五輪での活躍と若手育成を目指した。自身の集大成にもなる自国開催でのメダルと、「自転車競技」の未来-。両方を見据えた決断だった。
     ◇
 5月のネーションズカップ(香港)。新田は本番前最後の国際大会をスプリント優勝、ケイリン3位で締めた。課題だった高スピードの持久力の向上に大きな手応えをつかんだ。けがの影響は全く感じない。むしろ、「どんどん進化できている」と実感する。
 リオ五輪後に就任したブノワ・ベトゥ短距離ヘッドコーチの下、日本の強化体制は5年間で世界と戦える環境になった。求められるのは結果だけ。「メダルには1ミリも届かない」と思ったロンドン五輪から9年を経て、新田はきっぱりと宣言する。「金メダルしかない。五輪を通じて自転車というスポーツの素晴らしさを伝えたい」

 にった・ゆうだい 1986年1月25日生まれ。福島県出身。2012年ロンドン五輪代表。16年末に本県東部に拠点を移し、19年世界選手権男子ケイリンでは銀メダルを獲得した。競輪選手として通算51勝(G18勝)を挙げる。35歳。
 〈2021.7.18 あなたの静岡新聞〉⇒元記事