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〈 64年聖火リレー 当時の静岡県内は 〉

 23日から3日間、静岡県内で行われる東京五輪聖火リレー。湖西市を出発点に、富士宮市の富士山本宮浅間大社まで約280人がトーチをつなぎます。今回の知っとこでは、1964年10月3日~6日にタイムスリップ。前回東京五輪での県内聖火リレーを静岡新聞の過去記事から振り返ります。
〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・石岡美来〉

1964年10月3日 県内聖火リレー1日目

 当時の静岡新聞によると、1964年10月3日午後3時45分ごろ、聖火が浜名郡湖西町(現在の湖西市)に到着した。

当時の県内聖火リレーコース。西から東へ横断した〈1964.10.06 静岡新聞〉より抜粋
当時の県内聖火リレーコース。西から東へ横断した〈1964.10.06 静岡新聞〉より抜粋
 愛知県側の最終走者からトーチを受けた県内第一走者が走り出し、「沿道いっぱいに聖火の到着を待ち構えていた人たちの間から、この瞬間一せい(一斉)に拍手と歓声が湧きあがった」と記されている。1964年の県内聖火リレーは185・1キロ、114区間。2622人の走者によってトーチが引き継がれた。
 初日の様子について当時の静岡新聞は「聖火は西に傾いた秋の太陽を背にひたすら浜松へ。沿道は日の丸の小旗を持った人、人、人の波だ」と報じている。続いて「八月二十一日オリンピアの強烈な太陽から採火された聖火が、いま目前を走っていく」と現場記者の興奮が感じられる描写が続く。
 15ケ所の中継地点を経て、聖火は午後6時10分浜松市の体育館に到着した。
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〈1964.10.04 静岡新聞〉

1964年10月4日 県内聖火リレー2日目

 2日目の聖火リレーは、午前8時45分に浜松市を出発。磐田、袋井、掛川、島田、藤枝を駆け抜け、静岡市の駿府公園野球場(現在の駿府城公園北東)に午後4時半ごろ到着した。

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〈1964.10.05 静岡新聞〉

 当時の静岡新聞の見出しには「沿道に四十七万人 歓迎ムードは最高潮」の文字が躍る。たくさんの写真を盛り込み、聖火が通過した各地の様子も詳報。いくつか紹介する。
掛川 老人ホームも総出の歓迎
 
市老人ホームに収容されている四十三人のお年寄りも日の丸や五輪の小旗を持ち、全員が黄色の安全たすきを首にかけて声援を送った。 
島田 60キロの奥地からも
 島田六合地区の十三キロの沿道は一時間前から見物人が人垣をつくり始め、到着十分前には七万人に達した。この中には六十キロも奥地の千頭方面からやってきた老人や(中略)家族全員引き連れてやって来たというマイカー族などさまざまな見物人でごった返した。
藤枝 古松を背景に
 藤枝市では約四万人の観衆が国道一号線に人垣をつくった。同市はサッカー代表二選手を送り出しているだけにオリンピックムードの盛り上がりも一きわ高いが、この日聖火を迎えて身近かにオリンピック大会を感じた。道路をはさんで北側にはむかしの東海道のなごりを留める松並木が枝ぶりもよくつづく。この中を聖火隊は足並みをそろえて進む。
静岡 静岡の人出は16万人
 沿道を駿府公園野球場に集まった市民は全市民の半数近いおよそ十六万人。式典会場の野球場は人垣が三つ、四つと重ねられ足の踏み場もないほどの混雑ぶりだった。

1964年10月6日 県内聖火リレー3日目

 10月4日に静岡市に到着した聖火は式典を行い、そのままとどめられた。6日が実質的な県内聖火リレー3日目。静岡県庁前を午前8時37分に出発した聖火は、清水市(現在の静岡市清水区)、富士市、吉原市(現在の富士市吉原)、沼津市、三島市を経由。6日午後3時40分、箱根で神奈川県第一走者に手渡された。当時の記事に涙を誘うエピソードを発見した。以下は当時の記事の書き起こし。

お母さん、よく見ていて下さい 聖火リレー目前に母親病死 駿君きょう涙の随走 1964年10月6日静岡新聞
 【長泉】オリンピックの聖火リレーを目前にした五日、駿東郡長泉町で同リレー走者の母親が病死した。しかし元気いっぱい立派に走りなさい……という母親の生前の言葉に励まされ選手は涙の力走をする。
 この選手は同町下戸狩の会社員市川晃さん(四五)の長男、日大三島高三年生市川駿(すすむ)君(一七)で母親よしえさん(四一)は病のため国立沼津病院で五日午前一時二十分ごろ死亡した。二カ月の病床にあった母親は息子のオリンピック聖火リレー随走に大喜び、見舞う度に「立派に走るのだよ」と励ましていた。
 三日にもリレーのユニホームをみせたところ、小踊りして喜び「車ででもお前の走る姿をみたい」ともらしていた。この母親の願いから親族も葬儀を一日のばし駿君を走らせることにしたもの。
 駿君は「悲しいけれどオリンピックを成功させるためにも走る。リレーを立派に走ることが母親へのみやげになる。一生懸命走るだけだ」と語り、つめたく横たわった母親のふとんの上に五輪マークがはいったユニホームをそっと置いた。父親の晃さんも「あすはしっかりやれ」と激励していた。
 駿君は長泉町代表としてきょう六日三島市から一・六キロの箱根路を走る。この間に妹のみゆきさんが母親の遺影を持ってその走る姿をみせるといい同町の歓迎隊も沿道から声援する。
(記事が古いため一部省略)

聖火にあやかり結婚式を挙げるカップルが続出

きのう12組が挙式 島田 聖火の通過にあやかり 1964年10月5日静岡新聞

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〈1964.10.05 静岡新聞〉の一部。大井神社で結婚式を挙げる白無垢姿の新婦、和装の新郎が写っている

 【島田】島田市内の結婚式場は菊かおる秋の本格的な結婚シーズンを迎え、どこの会場も目白押し。三日の大安吉日には市内で二十四組が式をあげたのを始め四日はオリンピック聖火通過日にあやかって大井神社などで十二組の挙式があるなど、結婚式場は喜びに満ちあふれている。
 ことしはオリンピック東京大会の意義ある年といあって結婚する人が多く、大井神社では連日数組が式をあげており、すでに「大安」の日は十一月十一日まで予約でいっぱいという。
(記事が古いため一部省略)