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小林亜星さん 静岡県にゆかり

 作曲家の小林亜星さんが5月30日、88歳で亡くなりました。「野に咲く花のように」や「魔法使いサリー」など、つい口ずさみたくなるような楽曲を数多く生み出した稀代のメロディーメーカー。静岡県ゆかりの楽曲も多く手掛け、各地に足跡を残しました。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・尾原崇也〉

静岡産業大キャンパスソングや伊東のイメージソング制作 関係者「思い引き継ぐ」

 小林亜星さんは2005年、静岡産業大の開学10周年を記念するキャンパスソングを作詞作曲した。ブリヂストンのCMソングを作った縁で、かつて同社宣伝部長だった静岡産業大総合研究所長の大坪檀さん(92)と親しく、同大客員教授も務めた。

TBSドラマ「寺内貫太郎一家2」の出演者らと写真に納まる小林亜星さん(前列中央)=1975年3月、東京都内
TBSドラマ「寺内貫太郎一家2」の出演者らと写真に納まる小林亜星さん(前列中央)=1975年3月、東京都内
 大坪さんは学長時代に作詞作曲を依頼。「藤枝と磐田のキャンパスに足を運び、学生に接してから曲作りをしてくれた。明るく、人々に勇気と希望を与えてくれる存在」と思い起こす。「最近お会いしていなくて、どうしているのかなと思っていたところだった」と悲報に言葉を詰まらせた。
 キャンパスソングは学生が詞のベースを考えた「考える仲間達」。現在も入学式と卒業式に歌われている。
 小林さんは1997年、伊東市の市制50周年を記念するイメージソング「街の風がおいしい」も作曲。当時、企画を担当した中村一人副市長(60)は「小林さんがCMで手掛けた音楽のような爽やかなイメージがいい、という声が寄せられて依頼した。清涼感のある楽曲が市民に愛された」と振り返る。
 市内で開かれた発表会では小林さん自ら指揮を執り、市民の合唱団と共に一体感のあるステージをつくり出した。中村副市長は「市の節目に関わってくれた恩人でとても残念。楽曲を通じて引き出してくれた伊東の良さを守っていきたい」と感謝の思いを語った。
〈2021.6.15 あなたの静岡新聞〉 ⇒元記事

藤枝・静岡産業大で特別講義 音楽の道志したきっかけ熱弁

 藤枝市駿河台の静岡産業大情報学部で十二日(※2006年1月12日)、作曲家で同大客員教授の小林亜星さんの特別講義が行われ、学生や一般ら百数十人が詰め掛けた。

日本の音楽の歴史などについて講義する小林さん=2006年1月、藤枝市の静岡産業大情報学部
日本の音楽の歴史などについて講義する小林さん=2006年1月、藤枝市の静岡産業大情報学部
  静岡市でコンテンツバレー構想を推進する「しずおかコンテンツバレー推進コンソーシアム」が提供する冠講座の一環。
  小林さんは音楽の道を志すきっかけや日本の音楽の歴史などを熱心に語った。戦後にジャズを聞いた時やエルビス・プレスリー、ビートルズが出現した時の驚きを振り返り、「芸術は新しい概念が生まれると表現が変わる。それでもプレスリーが出てきた時は受け入れがたかった」と会場を笑わせた。
  また、講義に先立って、小林さんが作詞作曲したカレッジソング「考える仲間たち」を学生たちが合唱し、来校を歓迎した。
 〈2006年1月13日付静岡新聞朝刊「亜星さん、音楽人生を語る 特別講義に笑いの渦ー静岡産業大」〉

伊東のイメージソング「街の風がおいしい」 歌い手はデュオ「ダ・カーポ」

 伊東市は市制施行五十周年記念イベントとして八日(※1997年8月8日)、漁船と帆船が伊東沖を勇壮に航行する「海のパレード」と「市のイメージソングの発表会」を開いた。

イメージソングの発表会で歌うダ・カーポ=1997年8月、伊東市観光会館
イメージソングの発表会で歌うダ・カーポ=1997年8月、伊東市観光会館
  海のパレードに参加したのは、市内の漁船六十六隻と神奈川から招致した帆船「シナーラ」(一九二七年建造、全長二九・三メートル、七二トン)。大漁旗で飾った漁船が続々と伊東港に集結し、帆船を先頭に二列縦隊で出発した。
  行程は宇佐美沖から川奈沖を経由する約一時間。途中、オレンジビーチ沖で風船を放って市制五十周年を祝った。漁船と帆船には、合わせて市民約百人が分乗。市民を対象にした「シナーラ」の体験乗船航海も行われた。
  市制五十周年を機に作ったイメージソング「街(まち)の風がおいしい」は、作詞が伊藤アキラさん、作曲は小林亜星さん。市観光会館で開かれた発表会には、小林さん、市が制作した同曲のCDで歌うデュオグループ「ダ・カーポ」、伊東市少年少女合唱団などが出演した。発表会では、小林さんと鈴木藤一郎市長の対談、ダ・カーポの発表・歌唱指導とミニコンサートなどが行われ、小林さんの指揮による市内コーラス団体や客席が一体となったイメージソングの全員合唱でフィナーレを飾った。
 〈1997年8月9日付静岡新聞朝刊「伊東市制50周年記念 会場パレードと合唱で祝す」〉

浜松・新原小では応援歌作曲 行進曲風 記念の歌碑建立

 浜北市新原の浜北市立新原小学校(現浜松市立新原小)にこのほど、同校の鈴木忠彦前校長(61)=浜北市宮口=の作詞、テレビなどでおなじみの小林亜星氏作曲による応援歌が完成した。また、応援歌の歌詞を彫り込んだ歌碑も玄関前広場に建立され、二十一日(※1989年7月21日)、除幕式が行われた。

小林亜星さんが作曲した応援歌の歌碑=1989年7月、浜北市新原の新原小(当時)
小林亜星さんが作曲した応援歌の歌碑=1989年7月、浜北市新原の新原小(当時)
  応援歌の話が持ち上がったのは昨年十月。鈴木前校長が同校を最後に勇退することと、前PTA会長の戸田俊太郎氏(41)=浜北市新原=が今年三月で会長職を降りることがきっかけで、両氏は「学校を去るに当たり、子供たちのために」と応援歌作りに取り組んだ。作詞は鈴木前校長が担当。作曲は戸田氏が学生時代からの友人である小林亜星氏に依頼し、快諾された。
  出来上がった応援歌は三番まで。”緑あふれる学校に””走れ大地をたくましく”など新原小児童にふさわしい明るい行進曲風の歌となっている。戸田氏はこの歌をブラスバンド用にも編曲した。一方、建立された歌碑は戸田氏を含む前PTA三役の寄贈で、大きさは縦六十センチ、横九十センチ。黒御影石製。
  除幕式には全校児童と鈴木前校長、戸田氏らが参列。池谷校長が「この歌を学校の誇りとして生活に役立てましょう。応援歌がいつでも君たちに声援を送っています」とあいさつしたほか、鈴木前校長が「君たちが素直な気持ちで大きく成長するようにとの願いを込めて詞を書きました」と作詞について語った。除幕の後、大橋和寿児童会長が「この歌に負けないように、たくましい新原小児童になります」とお礼の言葉を述べ、最後に全校児童が元気いっぱい歌い、締めくくった。
 〈1989年7月22日付静岡新聞朝刊「浜北・新原小に応援歌できる 前校長が作詞 作曲は小林亜星氏」〉