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〈 スズキ会長 退任前の言葉 〉

 6月25日の株主総会後に退任予定の鈴木修・スズキ会長(91)が静岡新聞社のインタビューに応じました。退任を決意した理由や、今後の活動について語りました。
 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・尾原崇也〉

「軽」の意義、これからも変わらず 電動化対応は急務

 25日の株主総会後に退任予定のスズキの鈴木修会長(91)は8日、浜松市内でインタビューに応じ、「2030年以降は、ガソリンとエンジンから、電池とモーターへと自動車の本質が根本的に変わる」として電動化への対応が急務との認識を改めて示した。自社の軽自動車開発の歴史にも言及し「高齢化と核家族化が進む中、軽自動車は公共交通機関が行き届かない農村や過疎地域も含めて必要な商品だ」と軽の存在意義を強調した。

100周年の社史を手にする鈴木修スズキ会長=8日午前、浜松市南区のスズキ本社
100周年の社史を手にする鈴木修スズキ会長=8日午前、浜松市南区のスズキ本社
 鈴木会長は「将来も自動車というカテゴリーは残ると思うが、既存の観念、知識とは異質のものになる」と予測。本年度から5カ年の新中期経営計画で電動化技術の強化を柱に据えた自社の現状を踏まえ「なせば成る。挑戦していくことが重要だ」と後進の活躍に期待した。
 日本の軽自動車を「規格の枠内で快適性や居住性を最大限追求した芸術作品」と表現し、最も記憶に残る自社の車種として、1979年に大ヒットした「アルト」を挙げた。
 81年に資本提携し、2008年に提携を解消した米ゼネラル・モーターズ(GM)との関係を「家庭教師として、車づくりの基本を教わった」と振り返った。会長退任に当たり、GMのメアリー・バーラ会長から長年の協力に感謝する内容のメッセージが届いたことも明かした。

 インタビューの内容は次の通り。

 ―5月の決算発表会見で「軽自動車は芸術品」と発言した。軽自動車に懸けてきた思いとは。
 「排気量660CCで寸法も比較的小さく決められた中で、技術者が快適性や居住性を高めるために、最高の英知と努力を積み重ねてきた。価格も安くなければ駄目で、そういう意味で芸術作品だ」
 「日本は今、老夫婦2人の世帯が増えている。公共交通機関が行き渡らない農村や過疎地も含め、買い物や通院などの移動に軽自動車は格好の商品だ」

 ―国内外で急速に脱炭素、電動化の動きが加速している。スズキとしての対応は。
 「自動車はガソリンとエンジンの時代から、モーターと電池に移行して全く新しいものに生まれ変わろうとしている。2030年以降は電動化を中心に、自動車の本質が根本的に変わる。かごかきや人力車がオートバイ、ガソリンエンジンの自動車と変遷したように。自動車というカテゴリーは将来も残ると思うが、既存の観念や知識とは異なるものとなる」
 「私が引退を決意したのは、モーターと電池のことが分からなくなってしまったから。30代ならチャレンジしたがね。(スズキとしては)なせば成る。あくまで挑戦が重要だ」

 ―トヨタ自動車との資本提携に至る前に、一時提携関係にあった米ゼネラル・モーターズ(GM)など海外メーカーとの協議で得たことは。
 「1981年、世界のGMがスズキを(提携先として)指名してくれた。GMさんは家庭教師だった。大学生が子どもに教えるように車作りの基本や技術を教えてくれて、大変感謝している。われわれも豊臣秀吉が織田信長の草履を温めた故事にならい、何でも隠さずに公開した」
 「今年2月に会長退任を公表した直後、GMのメアリー・バーラ現会長から、長年にわたり協力いただいたとメッセージが届いた。(提携当時のGMの)スミス会長、ワゴナー会長からもお礼状をいただき、感激した」
 「一方で、(提携解消まで法廷闘争となった)独フォルクスワーゲンは正反対で、占領軍と敗戦国のように扱われた。両社からは世界に伍(ご)していくために必要なことを学んだ」

 ―印象に残る車種を一つ挙げるとしたら。
 「ずばり、(79年発売の)アルト。開発前に地方の工場に市場調査に行った。通勤と週末の農作業のために軽トラックを使っているという話がヒントになり、通勤にも荷物を載せるのにも併せて使える車を考えた。アルトは質素倹約で作った車で、(47万円の)全国統一価格で販売した」
 
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ヒット車「アルト」のミニチュアを手に笑顔を見せる鈴木修スズキ会長

 ―経営者として貫いた信念とは。
 「『やる気』だ。現状に満足することなく、一歩一歩チャレンジしてきた。社長就任時に3千億円だった売上高が3兆円になり、スズキ車の国内保有台数は1千万台に達した。株主、販売店、お客さん、仕入れ先、従業員など全ての皆さんに感謝したい」
 「90歳の卒寿を祝ってもらった会であいさつをした時、感謝という言葉を三回、自然に発した。自分でも驚くほど、感謝の思いが自然に出てきた」

 ―今後の抱負は。
「相談役就任後は、自然体で行くよりしょうがない。社長就任の頃から長いお付き合いの店を中心に販売店を回りたい」

 ―地域の自動車関連の中小企業にエールを。
「これから自動車産業は大きく変わる。自覚を持って経営に当たるとともに、後継者育成に努めてほしい」
〈2021.6.9 あなたの静岡新聞〉⇒元記事

2月に退任意向を電撃発表 42年にわたり経営トップ

 スズキの鈴木修会長(91)は24日(※2月24日)、6月の株主総会後に退任することを明らかにした。取締役も退き、相談役に就く。鈴木会長は1978年の社長就任から42年にわたり経営トップを務め、インドやハンガリーへの進出などで同社を世界的自動車メーカーに飛躍させた。トヨタ自動車との提携を成し遂げ、電動化技術の強化を柱とした今後5カ年の新中期経営計画を策定したことを節目と捉え、鈴木俊宏社長(61)らに第一線を譲る決断をした。

オンライン会見で自身の退任や今後のスズキへの思いを語った鈴木修会長=2月24日
オンライン会見で自身の退任や今後のスズキへの思いを語った鈴木修会長=2月24日
 オンラインで記者会見した鈴木会長は、電動化技術の研究開発を急ぎ、2025年以降に自社製品への全面搭載を目指すとした同日発表の中期経営計画に触れ、「2030年、50年までのスズキの基礎をつくる計画に納得し、役員体制の一新を決めた」と退任の理由を語った。
 相談役として「計画の進展は見守る」と述べ、鈴木俊宏社長ら経営陣に「若手のチーム力で電動化と品質向上への努力を続けてほしい」と期待した。
 鈴木会長は銀行員を経て1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社し、78年に社長就任。79年に軽自動車「アルト」をヒットさせ、「ワゴンR」や小型車「スイフト」など個性的で機能的な車を市場投入した。
 80年代には全世界のメーカーに先駆けてインドに進出し、同国でトップシェアに押し上げた。米ゼネラル・モーターズ(GM)、独フォルクスワーゲン(VW)など海外メーカーとの提携にも取り組んだ。2019年にはトヨタ自動車と資本提携に至った。
 同社は同日、代表取締役副会長の原山保人氏が株主総会後に相談役に就任すると発表。代表権を持つのは鈴木俊宏社長と本田治技監の2人になる。
〈2021.2.25 あなたの静岡新聞〉⇒元記事

スズキ「軽」 国内で合計2500万台販売 「アルト」が最多524万台

 スズキは11日(※5月11日)、軽自動車の国内累計販売2500万台を4月末で達成したと発表した。乗用車と商用車の合計台数で、1955年に国内初の量産軽自動車「スズライト」を発売して以来、65年7カ月で達成した。

大ヒットした1979年発売のアルト
大ヒットした1979年発売のアルト
 「小少軽短美」のスローガンを掲げるスズキは、四輪駆動の「ジムニー」(70年)、大ヒットした「アルト」(79年)、ワゴンタイプの「ワゴンR」(93年)と斬新な軽自動車を次々と投入。近年も、「ハイトワゴン」と呼ばれる軽の主力市場をけん引する「スペーシア」(2013年)、「遊べる軽」と銘打った「ハスラー」(14年)など、多彩な車両提案を続ける。
 現在は湖西、磐田の両工場で軽自動車計10車種を生産する。同社は「軽自動車は日本の地域の足、生活の足として重要な役割を果たしている。今後も価値ある製品を提供していく」としている。
 2500万台の内訳は、アルトが524万台でトップ。ワゴンRが481万台、軽トラックのキャリイが467万台と続く。
 〈2021.5.12 あなたの静岡新聞〉⇒元記事

1981~2008年に米GMと提携 鈴木会長「家庭教師だった」

 米ゼネラル・モーターズ(GM)を挟んで提携関係にあるGM、スズキ、いすゞ自動車の「GM連合」三社の代表が十九日(※1999年10月19日)、第三十三回東京モーターショーを前に東京都目黒区三田のウエスティンホテル東京でそろって会見した。会見したのはGMのジョン・スミス会長、スズキの鈴木修社長、いすゞの関和平会長ら。三社はそれぞれ東京モーターショー(二十―二十一日報道公開、二十三―十一月三日一般公開)に展示する各社の代表的なコンセプトカーを発表した。

スズキとGMとの共同開発車「Triax」の前で握手を交わす鈴木修スズキ社長(右)、ジョン・スミスGM会長(中央)、関和平いすゞ自動車会長=東京都目黒区のウエスティンホテル東京
スズキとGMとの共同開発車「Triax」の前で握手を交わす鈴木修スズキ社長(右)、ジョン・スミスGM会長(中央)、関和平いすゞ自動車会長=東京都目黒区のウエスティンホテル東京
  スズキはGMと共同開発した電気カー「EVスポーツ」を、GMはスズキの協力を得て開発した動力選択タイプの「トライアックス」を、いすゞは途上国向け次世代多目的車の「160」とディーゼル・エンジンを初公開した。
  「EVスポーツ」は、軽自動車サイズの車体に、GMの開発中の新型電気パワーユニットを搭載した。「トライアックス」は、動力システムを、内燃機関、内燃機関と電気モーターのハイブリッド、純粋な電気モーターの中からユーザーの希望で選べる。
  スミス会長と鈴木社長は会見で、今回のコンセプトカーを「昨年九月の提携関係強化の成果」と強調した。両社は先端技術・開発情報を交換することなど三項目で合意している。
  鈴木社長は「生き残りに最先端技術を欠かせない。しかし、技術開発にはばく大な資金が要る。スズキの軽と小型車が主導的な立場を取るようGMとの技術交流と共同研究を続ける」と話した。

 ■鈴木・スズキ社長一問一答
  スズキの鈴木修社長は十九日、都内でGM、いすゞ代表者とともに会見し、GMとの関係、アジア戦略車の見通しなどについて語った。会見、その後の懇談での一問一答は次の通り。
  ―GMと共同開発した「シボレートライアックス」の狙いは。
  「これからの自動車メーカーは環境と安全が大きな課題。より環境に優しい車づくりを基本としたコンセプトカーをつくっていくことが重要だ」
  ―スズキの筆頭株主でもあるGMが現在一〇%の出資比率をさらに高める可能性はあるのか。
  「株式をいかに持つかよりも、お互いが協調しながらやっていくことが必要だ。世界各地で、両社の得意の分野で合弁会社をつくっていく方がより現実的だ」
  ―いすゞとの関係強化はあるのか。
  「これからの時代はどこのメーカーからも支援、指導をいただかないと生き残れない。ただ、いすゞはこれまでスズキの車に合うような小さなサイズのディーゼルエンジンがなく、両社をくっつけるものがなかった」
  ―GMと共同開発して2001年から生産するアジア戦略車「YGM―1」の生産工場は見通しが立ったのか。
  「生産工場を絞っている段階ではまだない。湖西工場であろうとどこであろうと、品質がよくてコストが安く上がるのが原則。最高のものがつくれる工場が自ら手を挙げればいい」
〈1999年10月19日付静岡新聞夕刊「共同開発3車種を公開 GM、スズキ、いすゞ―3首脳が会見」〉