轍—わだち— しずおか戦後70年

戦後70年―。
平和国家・日本は転機を迎えている。

安全保障政策は危惧を押し切って集団的自衛権行使容認へ進み、戦争を知らない世代は総人口の8割に上る。
静岡新聞の県民意識調査(2014年末実施)では約4割が再び戦禍に巻き込まれるのではないかとの不安を挙げる。

今日の平和は多くの戦没者と、焦土を生き抜いた人々の上に築かれてきた。
重い荷を引きずるように歩んできた数知れない人生の轍(わだち)。

その一つ一つを県内にたどり、この国の行く道を見詰めた。同じ轍(てつ)を踏まないために。

興津と戦争

私たちは今、平和な時代を生きている。
まるで自らが戦争に巻き込まれることなど、二度とないかのように。

だが、振り返ってみれば、戦前を生きた人々も同じだったのではないか。
当時、日本が歩んでいる道が戦争へとつながり、
とてつもない犠牲を生み出すことになるなど、一体誰が予想できただろう。

戦前から戦中、戦後、そして現在へ。

日本の歩みが凝縮されたこのまちは、
あの桜の花びらのように平和や友好がはかないことを教えてくれる。

だから見詰めたい。

興津が刻んだ“轍(わだち)”を―。

興津と戦争


戦前

興津と戦争


戦中

興津と戦争


戦後

しずおかの空襲

「見渡す限り、一面が火の海で自宅も炎上した。いつかこうなると思っていた」

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月18日未明、
米爆撃機B29による無数の焼夷(しょうい)弾が浜松市街を焼き尽くした。

戦禍の果て

意識調査

太平洋戦争の終結から2015年で70年になるのを機に静岡新聞社が実施した県民意識調査で、
日本が将来、戦争に関与する可能性について、
回答者の約4割が「参加する」「起こす」と考えていることが分かった。