連載小説 頼朝の記事一覧

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第四章 骨肉の争い(65)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
二月に入って、重大な情報が京都守護から鎌倉の頼朝[よりとも]へもたらされた。義経[よしつね]が伊勢国から美濃国経由で奥州に向かったというのだ。 (秀衡[ひでひら]を頼るのだな。最終的に行き場はそこしかあるまいと思っていたが、やはりそうなったか) 義経一行は、山伏や稚児姿に扮[ふん]し、女子供も紛れているという。 (女子供……妻子と一緒ということか) 書状には、女子供の名まで記されていなかった。それが誰であるのか、今の段階では頼朝には分からない。女だけなら、都に戻った静[しずか]御前と再会を果たしたとも考えられるが、子がいるのなら別の女だろう。 権力者と
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第四章 骨肉の争い(64)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
文治三(一一八七)年、年明け早々、御家人の仁田四郎忠常[ただつね]が病で危篤に陥った。 頼朝[よりとも]挙兵時には十四歳ながら、最初の山木館襲撃から味方に加わり、石橋山の戦い、大庭景親[かげちか]追討、富士川の戦い、佐竹攻め、義仲[よしなか]追討、源平合戦とほとんどの戦に加わり、勇敢に戦い続けてきた男だ。 正月に二十一歳を数えたばかり。死ぬには早すぎる年齢である。 頼朝は見舞いに駆け付け、 「死ぬなど許さぬぞ、四郎。しっかりしろ。元気になって、これからも力を貸してくれ」 声を振り絞って励ました。 忠常は、唸[うな]り声を上げるだけだ。頼朝は、燃えるような熱い忠常の手を握り締めた。
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第四章 骨肉の争い(63)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
十二月に入り、領地に戻っていた千葉常胤[つねたね]が鎌倉にやってきて盃酒[はいしゅ]を献じた。頼朝[よりとも]は、旧知の気の置けない連中を西の侍廊[さむらいろう]に呼んで、酒を酌[く]み交わした。 千葉常胤、小山朝政[ともまさ]、三善康信[やすのぶ]・岡崎義実[よしざね]、足立遠元[とおもと]、小野田盛長[もりなが]らだ。皆、早い段階から頼朝を助け、鎌倉政権のために今なお宿老として尽くしてくれている面々だ。 この男たちがいたからやってこられた。 「今日は無礼講だ。おおいに飲んで騒いでくれ」 頼朝は機嫌よく宣言した。 「あの都から来た静[しずか]御前とかいう白拍子[しらびょうし]が
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第四章 骨肉の争い(62)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
朝日[あさひ]御前は頼朝[よりとも]の手を握ると優しくさすってから部屋を出た。今から静[しずか]御前のところに辛[つら]い嘘を吐[つ]きにいくのだ。 頼朝は独り残った部屋の中で、ふと妻が触れた手に視線を落とした。朝日御前の癖だろうか。今までも幾度か今日のように手をさすってくれた。 人生を共に歩む相手だが、これまで何度か朝日御前の心が離れていったことがあった。今も決して結ばれたころのように深い絆で繋[つな]がっているとは言い難い。それでも寄せては返す波のように、離れかけては戻ってくる。最後は、頼朝にそっと寄り添ってくれる。 頼朝は妻の撫[な]でたところをなぞるように自身も撫でた。不思議
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第四章 骨肉の争い(61)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
静[しずか]御前の部屋に行き着く前に、頼朝[よりとも]来訪の知らせを受けた朝日[あさひ]御前が姿を現した。 「あと少しだけ……」 充血した目で懇願する朝日御前に、きりがないなと思いつつ、 「日没まで許そう」 頼朝は承諾した。 二人は清経[きよつね]の用意した部屋に入った。 「静は赤子を殺して自害したりせぬだろうな」 頼朝は危惧していることを口にした。 「母である磯禅師[いそのぜんじ]が付いておりますゆえ」 「そうであったな」 「静はさっきまで、『憎い憎い』と泣いておりました。赤子を取り上げようとする新三郎(清経)が憎い、殺せと命じた二品[にほん
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第四章 骨肉の争い(60)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
昼過ぎ、安達清経[きよつね]が、静[しずか]御前が部屋に立てこもって赤子を渡そうとしない旨を、頼朝[よりとも]に知らせてきた。 「御台[みだい]はいかがした。上手[うま]く説き伏せてくれているのではないのか」 「それが……」 清経の目が泳ぎ、口ごもる。 「かまわぬ。ありのまま申せ」 「御台様が部屋の前に立ちはだかっておいでで、『もうしばらく』と仰せでございますれば、無理に赤子を奪うわけにもいかず……。このままお待ちしてもよろしいでしょうか」 頼朝は嘆息した。その様子が見ずとも目に浮かぶ。 「予が参ろう。御台と少し話がした
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第四章 骨肉の争い(59)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]に関しても全く進展がなかったわけではない。七月には、片腕の一人、家人伊勢義盛[よしもり]を仕留めた。そして今月、義経の小舎人童[こどねりわらわ](雑用係の少年)を捕え、最近まで確かに比叡山に隠れていたことを白状させた。 もっともすでに義経は下山し、その後の行き先は知らぬという。それでも比叡山の中の誰が匿[かくま]ったのか、噂ではなくはっきり分かっただけでも進歩であった。俊章[しゅんしょう]・承意[じょうい]・仲教[ちゅうきょう]ら悪僧だという。 事に当たった京都守護の一条能保[よしやす](頼朝[よりとも]の同母妹・坊門[ぼうもん]姫の夫)は、貴族的な政治感覚ですぐに三人
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第四章 骨肉の争い(58)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
御所で朝日[あさひ]御前と共に頼朝[よりとも]は、安達清経[きよつね]の報告を受ける。一番知りたいのは、産まれた子が男か女かということだ。 「男児でございます」 頼朝の隣で朝日御前が息を詰めた。 (上手[うま]くいかぬものよ) 「由比ケ浜に沈めて殺せ」 頼朝は淡々と命じた。 「せめて」と朝日御前が叫ぶような声を上げる。頼朝の横に座していたのを、にじりながら前へと移り、平伏した。 「どうかせめて少しの間、母子で過ごさせてはいただけませぬか」 「情が移る。かえって可哀[かわい]そうではないか」 「いいえ。わが子は一目なりとも見たいもの。抱き上げて、乳を吸わせ、柔らかな頬を撫[
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第四章 骨肉の争い(57)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
閏[うるう]七月。静[しずか]御前が産気づいた。夜明けを待たずに陣痛が始まったが、頼朝[よりとも]の目が覚めるのを待って、朝日[あさひ]御前が知らせてきた。 「左様か」 うなずきながら、頼朝の中で複雑な気持ちが絡み合う。 龍[たつ]姫が生気を取り戻したのは、静御前のおかげだ。どれほど嬉[うれ]しく、有り難かったか。だのに、生まれる子の性別如何[いかん]で、己は残酷な現実を突きつけねばならない。 それに―――と、頼朝は無惨[むざん]に死んだわが子、千鶴[せんつる]丸を思い浮かべる。 (私は千鶴丸を殺した祐親[すけちか]と同じことをやるのか……あれほど憎しみ
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第四章 骨肉の争い(56)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は朝日[あさひ]御前に瞠目[どうもく]した。 「同じ……気持ちなのか」 「同じでございますとも」 「今でも」 「ずっと、これからも」 「そうか。ならば、咎[とが]めるわけにもいくまい」 頼朝は表情を和らげると、用意していた卯の花重ね―――表は花の、裏が葉の色の衣を静[しずか]御前に与え、 「見事だ。舞いだけでなく、その心意気も真、[まこと]鮮烈であった」 と称[たた]えた。 「かねてからの約束通り、生まれてくる子が女であれば、そのまま都へ連れて戻り、安寧と暮らすが良かろう」 静御前は無言で平伏した。 この日の夜、朝日御前は龍
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第四章 骨肉の争い(55)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「ああっ」 と龍[たつ]姫が小さく叫んだ。その声にハッと朝日[あさひ]御前の心も、現実に揺り戻された。龍姫の目が、きらりと輝くのが、振り向いた朝日御前の目に映る。 今では後白河[ごしらかわ]法皇でさえ顔色を窺[うかが]うようになった「鎌倉殿」に、静[しずか]御前が堂々と逆らってみせたのだ。 この場で見事に舞えば、産まれてくる子が女なら、母子共々命を助けると約束されていた。ならば、頼朝[よりとも]に気に入られる舞いを披露するのが常だろう。それを、静御前は、頼朝の世を真っ向から否定し、義経[よしつね]の世を願う歌を毅然[きぜん]と唄[うた]ってのけた。 昔を今に なすよしもがな
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第四章 骨肉の争い(54)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
―――一方、鎌倉の鶴岡八幡宮では、静[しずか]御前が唄[うた]いながら舞い踊る。 よし野山 みねのしら雪 ふみ分けて いりにし人の あとぞ恋ひしき 夏だというのに、舞台の上は瞬く間に冬の雪山に姿を変え、見物の人々は知らぬうちに身震いをする。 静御前と別れて去っていく義経[よしつね]の背を、誰もが見たような気がしたし、恋しい人を追いかけたくても見送るしかなかった女の哀[かな]しみが、どっと胸に押し寄せてくる。 身を切られるような別れは、この動乱の世を生きる者のほとんどが、経験していた。静御前のやるせなさが、己のかつての感情と重なり、すすり泣く者も随所にいる。 朝
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第四章 骨肉の争い(53)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
常盤[ときわ]御前がかつて清盛[きよもり]の前に引きずり出された時、わが子が死ぬ姿を見たくないから、せめて自分を先に殺してくれと頼んだのだと、寝物語に義経[よしつね]が話してくれたことがある。 その時は、ああ、それが母心というものなのかと、郷[さと]御前はぼんやり思っただけだった。今は、常盤御前の気持ちが痛いほど分かる。 (私も……できればそうしてほしい……) 郷御前は、ぎゅっと初[はつ]姫を強く抱きしめ、男たちが踏み込んでくるのを待った。 だが、足音は庵[いおり]の戸の前でいったん止まり、わずかな間のあと、 「郷」 優し
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第四章 骨肉の争い(52)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
静[しずか]御前が針の筵[むしろ]に座る思いで、頼朝[よりとも]の前で舞いを披露しているちょうどその時、郷[さと]御前は赤子を抱き上げ、乳を含ませていた。 これから先、いったいどうなるのかまったく分からない。すぐにも追手が踏み込んできて、自分たちを捕えるのではないかという不安に、毎日苛[さいな]まれている。郷御前の豊かだった髪は薄くなり、滑らかだった肌も荒れ、艶[つや]やかな唇はかさついていた。 夫、義経[よしつね]は今のところ上手[うま]く逃げ切っていると、数日前に届いた義母常盤[ときわ]御前からの文に書いてあった。 今、住んでいるこの岩倉の庵[いおり]は、常盤御前が用意してくれた
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第四章 骨肉の争い(51)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
文治二(一一八六)年四月八日―――。静御[しずか]前による一世一代の舞いは、鶴岡八幡宮にて八幡大菩薩[ぼさつ]へ奉納された。 満開の藤の濃紫を背に、白拍子[しらびょうし]の衣装を着た静御前が、設[しつら]えてある舞台へと上がる。水干[すいかん]も小袖も長袴も卯の花色一色の中、懸緒[かけお]と袖括[そでくくり]の緒は純白の絹をあしらっている。このため、静御前が動くたびに光が跳ね、銀色に煌[きら]めいた。扇は目を刺す緋[ひ]。烏帽子[えぼし]は髪色と同じだ。 頼朝[よりとも]と朝日[あさひ]御前は、子らと共に御簾[みす]の中から眩[まばゆ]い舞姫の姿を見物する。嫡男の六歳になる万寿[まんじ
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第四章 骨肉の争い(50)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]の顔に、一瞬、動揺が走ったのを、朝日[あさひ]御前は見逃さなかった。だが、口にした言葉は冷淡だ。 「それはできぬな」 龍[たつ]姫の整った横顔に、絶望の色が浮かぶ。そんな娘を見つめる頼朝の瞳にも、苦悶[くもん]の色が澱[よど]んでいる。 頼朝は言葉を続ける。 「大姫よ、鎌倉に仇[あだ]なす者の血は残せぬ。禍根を次の世代に残せば、新たな争いを生み、人が死ぬ。赤子一人を殺すよりずっと多くの人が死ぬだろう。その中には、幾人もの赤子が含まれるのだぞ」 「それは……」 「人は、見知らぬ者の命なぞ、ただの数に過ぎなくなる。身近な者の死には悲嘆にく
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第四章 骨肉の争い(49)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
龍[たつ]姫の突然の出現に、静[しずか]御前は驚きと不安の入り混じった顔を、衝立[ついたて]の方角に向けた。頼朝[よりとも]は久しぶりに龍姫を見て、思わず、と言わんばかりに御簾[みす]から姿を現した。 龍姫は、頼朝を刃物のような目で見つめる。 いったい何をするつもりなのかと、朝日[あさひ]御前は、はらはらした。 龍姫が頼朝の前に進み出て、平伏する。 「鎌倉殿に申し上げます」 「許す。面を上げよ」 頼朝の声は、わずかに上ずっている。 龍姫が顔を上げ、口を開いた。 「静御前は体がもう限界でございましょう。子を宿した女に無理をさせて死なすことになれば、鎌倉の名が悪名として歴史に刻
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第四章 骨肉の争い(48)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「その方、訊[たず]ねられたことにずっと簡単な言葉のみで答えておったのに、今の台詞[せりふ]だけやたら長い。人はのう、嘘[うそ]を吐く時、言い訳が織り交ざって言葉も長くなるものよ。郷[さと]御前の何を隠そうとした」 頼朝[よりとも]が鋭く突く。静[しずか]御前の元々悪かった顔色がいっそう蒼褪[あおざ]める。 「いいえ、何も」 「他の女に聞くところによれば、元々郷御前は九郎の都落ちに付いていかなかったそうではないか」 あっ、という顔をして、静御前は言葉を失った。京都守護職の北条時政[ときまさ]が、他の義経[よしつね]の女も尋問し、その内容を鎌倉に送っていたのだ。 「何故、郷御前は付
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第四章 骨肉の争い(47)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は「そんな場所に龍[たつ]姫を連れ出して大丈夫なのか」と危惧[きぐ]したが、大きく反対はしなかった。 つい十日ほど前に、侍女に手を付けて宿った子が生まれたばかりだったからだ。 朝日[あさひ]御前の身籠[みごも]った間に、頼朝はまた別の女に手を付けた。同じ過ちを繰り返したばつの悪さから、しばらく朝日御前に強く出られない。今度は、子まで成している。しかも、男児。仮に万寿[まんじゅ]に何かあった時は、別の女が産んだ息子が頼朝の後を継ぐのかと思うと、朝日御前も平静ではいられない。 朝日御前を憚[はばか]って、その子は幼名も与えられていないらしい。出産の儀も行われず、朝日御前を
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第四章 骨肉の争い(46)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
朝日[あさひ]御前は、期待を込めて龍[たつ]姫に尋ねる。 「お願いって?」 「私を静[しずか]御前の尋問の場にお連れください」 「えっ」 あまりに予想外の「お願い」だ。場合によっては拷問になるかもしれぬ場に、子供を立ち会わせるなど、とんでもないことだ。 ただ、朝日御前自身は同席するつもりであった。行き過ぎた行為があれば、止めるためだ。 すぐに見つけ出して始末することができると思っていた義経[よしつね]らが、案に反していつまでも逃走を続けている現状に、頼朝[よりとも]は苛立[いらだ]っている。院が裏で手助けしているのではないかと、疑っているのだ。頼朝の怒りは、取り調べる者の焦りを
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第四章 骨肉の争い(45)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「父上は女性を殺すことは、いたしませぬよ」 「けど、心は殺しておしまいになるのでしょう。それとも私が一際[ひときわ]弱かったのでございましょうか」 朝日[あさひ]御前は龍[たつ]姫を後ろから抱きしめた。 「姫はまだ幼かったのです」 当時が七つ。今でも九つ。どれほど気丈に振る舞っても、幾ら人より頭が良く大人びていたとしても、心が強いはずもない。いや、経験が浅い年齢に比して、物がよく見えるせいで、より強く叩[たた]きのめされたろう。 だのに、 「ごめんなさい。こんな娘で」 龍姫が弱々しく謝る。 己を責める娘の姿が辛[つら]く、 「何を言うのです」 朝日御前は、龍姫を抱く手に
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第四章 骨肉の争い(44)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
朝日[あさひ]御前は、龍[たつ]姫の髪を手ずから梳[す]いてやっていた。巻き上げられた御簾[みす]の向こうには、暖かな日差しの中、吹き渡る春風に薄桃色の花びらが舞っている。 龍姫の部屋の周囲は限られた者しか入ってこられないから、天気の良い日はこうして開け放つことも多かった。龍姫の意思ではない。龍姫は未だ二年前の義高[よしたか]殺害事件が尾を引いて、ほとんど感情を露[あら]わにすることは無かったし、あまり喋[しゃべ]ることもない。 ただ、時々笑顔を見せるようになっていた。今年、文治二(一一八六)年に入ってすぐ、朝日御前が龍姫の妹を出産したのだ。名を三幡[さんまん]という。生まれたばかりの
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第四章 骨肉の争い(43)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]らを乗せた何艘[そう]もの船は、暴風雨に遭って再び同じ浜に打ち上げられたという。もう九州への道は閉ざされた。義経の再起は、限りなく絵空事となったのだ。 女たちはやっと現実が見えたのか、それとも義経の方がこれ以上は連れていけぬと断ったのか……。おそらく両方だろう。陸路による過酷な潜伏生活が始まるのだから、人数がいては露見しやすい。男たちは散り散りに逃走することになり、女たちは他に行く当てなどなく都へと戻った。 ただ、静[しずか]御前だけは、その後も義経に付いて共に逃げたという。従者は三人のみ。源有綱[ありつな]、堀景光[かげみつ]、そして武蔵坊
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第四章 骨肉の争い(42)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]は、海路を取って九州へ行くと言っていた。九州など、見たこともない海を隔てた地だ。京に残るより何倍も恐ろしいはずなのに、女のほとんどが付いていくという。よほど誰にも優しい男だったのだろう。 郷[さと]御前だけが、 「私は、共に参りませぬ」 話を聞かされた時、きっぱり断った。 義経は誰が断っても北の方だけは付いてくると疑っていなかったのか、ひどく動揺した。 「そなたの身体にはわが子が宿っているではないか」 「だからこそでございます。このお腹[なか]に」 と郷御前は自分の腹を優しく撫[な]でた。 「子がいるのにどうして激しく動けましょう。逃げる皆さまの足手まといに
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第四章 骨肉の争い(41)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
京の御所と鞍馬の中間付近にある岩倉の人里離れた庵[いおり]に、息を潜めるように郷[さと]御前は暮らしている。共に過ごすのは、身の回りの世話をする女房と守役の老人、そして産まれたばかりの赤子の三人だけだ。 都ではすでに桜が満開になっている頃だが、岩倉では固いつぼみが冷たい風に震えている。 生まれた子は女の子だった。郷御前は賭けに負けたのだ。その結果、父と兄が頼朝[よりとも]に殺された。母だけは比企尼[ひきのあま]の娘だったからか、頼朝の嫡子・万寿[まんじゅ]の乳母[めのと]だったからか、命を助けられたと聞いている。 (私があの時、言われるままに鎌倉に戻っていれば…&hell
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第四章 骨肉の争い(40)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
天魔のせいで逆賊にされたのではたまらない。 (天魔のせいではなく、紛れもなく院のせいであろう) さらに、頼朝[よりとも]追討は院の意思ではなく、院宣[いんぜん]を出さねば自殺すると義経[よしつね]らに脅されたため、仕方なく……と続く言葉に、 「この言い訳は他でもない。院のご意思なのだな」 使者に確認した。使者は困ったように項垂[うなだ]れる。そうだと答えたようなものだ。 頼朝は怒声を上げた。使者に対してではなく、遥[はる]か京にいる後白河[ごしらかわ]法皇に対してだ。 「これまで院に命じられるまま、院への忠節から数多[あまた]の朝敵を成敗してきたわが行
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第四章 骨肉の争い(39)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は黄瀬川の宿所に主だった御家人を集め、今後のことについて話し合った。 「急ぎ上洛して、朝廷の馬鹿どもを締め上げましょう」 千葉常胤[つねたね]が、憤慨した顔で進言する。頼朝はフッと吹き出した。 「な、何か吾[われ]は可笑[おか]しなことを申しましたかな」 「いや、義経[よしつね]らを屠[ほふ]るためではなく、千葉介は朝廷を締めるために上洛するのだと思うてな」 「いえ、それは……」 「よいよい。愉快だ。それにしても、五年前のことを思い出す」 あの時は、頼朝が興奮してこの黄瀬川から上洛を急ごうとしたが、常胤らに止められた。常胤は皺[しわ
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第四章 骨肉の争い(38)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]は伊予守[いよのかみ]となったが、勝手に兵糧や兵の確保ができぬよう、頼朝[よりとも]は地頭を置いた。お飾りの伊予守にしたのだ。実を伴っていれば、伊予国にいったん入って兵を整えることもできるが、義経にはそれができない。 京周辺の畿内や西国の領主らに呼びかけ、義経側に味方する者を募らねばならないが、私兵の少ない男の呼びかけに応じる者がどれほどいようか。 加えて、頼朝自身が出陣している。「源頼朝」という名がすでに脅威となる。義経・行家[ゆきいえ]らは、大軍を用意することができぬまま潰れるだろう。最初に出軍させた小山朝政[ともまさ]ら五十八人でも、初戦は十分に対応できるはずだ。
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第四章 骨肉の争い(37)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
供養も終わり、御所へ戻った頼朝[よりとも]は、和田義盛[よしもり]と梶原景時[かげとき]を呼び、 「明日、出陣するぞ」 唐突に告げた。 「はっ……御自らでございますか」 景時が訊[たず]ねる。 「うむ。予自ら上洛する。戦上手の義経[よしつね]相手に、最小の犠牲で勝ってみせよう」 頼朝は楽し気に答えたが、出陣はしても京まで進むことにはならぬだろうと踏んでいる。義経が起[た]った今、鎌倉を空けるのは実際、危険だった。義経と奥州が呼応して襲い掛かってくれば、頼朝勢は挟み討たれ、これまで積み上げてきた鎌倉の全てが灰燼[かいじん]と化すやもしれぬ。奥州が直に動か
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第四章 骨肉の争い(36)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]が源行家[ゆきいえ]を見事討伐すれば、再び鎌倉へ呼び寄せるつもりでいた。父の供養の行事に参加させてやりたかったからだ。 供養の日は、平家追討の遠征で西国に行った者たちもほとんどが鎌倉に戻り、勝長寿院に一堂に会することになっている。現地で戦後処理をしていた範頼[のりより]も、一昨日供養の導師を連れて戻ってきた。義経も参加すれば、いったん亀裂が入った兄弟仲も修復されたと、御家人どもに知れ渡るはずだった。 これまでのことは互いに水に流し、範頼・全成[ぜんじょう]と共に片腕となってもらえれば……そんな甘いことを頼朝[よりとも]は夢想していたのだ。 何
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第四章 骨肉の争い(35)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]は危なげなく、土佐房昌俊[とさのぼうしょうしゅん]らを追い払ったらしい。 (相変わらず戦いとなると強いな) 十八日、前日に決定した頼朝[よりとも]追討の宣旨[せんじ]が正式に義経と行家[ゆきいえ]に下った。 「相分かった」 口上を聞き終え、使者を下がらせた頼朝から、薄く笑いが漏れた。 土佐房昌俊は、頼朝が義経を誅殺[ちゅうさつ]するために遣わした刺客と後に言われるようになるが、実際は違う。頼朝はこれまで鎌倉の外で起こす軍事行動の全てに、賊[ぞく]軍とならぬための根拠を用意してから臨んでいる。 義経は検非違使[けびいし]なのだ。いわば朝廷の定めた令外官[りょうげの
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第四章 骨肉の争い(34)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
文治元(一一八五)年十月二十二日。 頼朝[よりとも]の許[もと]に、「頼朝追討の勅命が下った」という知らせが入った。義経[よしつね]の奏上が叶[かな]えられた結果という。 頼朝は激高することなく、 「義経、謀反か」 口の中で低く呟[つぶや]いた。おそらく周囲に控える者にも、使者にも、何と言ったか聞き取れなかったろう。呟いてみると、初めから定められていたことのように、義経が造反した現実が頼朝の中にすとんと落ちた。 使者の口上は続く。 義経の堀川邸を、頼朝への反逆が噂[うわさ]されていた源行家[ゆきいえ]が訪れたのが、十月上旬。十一日に義経は院へ、行家に謀反を思いとどまるよう説得を
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第四章 骨肉の争い(33)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
何と答えるか……考えるうちにも発熱のため、意識がもうろうとしてくる。もう何も思考できなくなり、 「謹[つつし]んで、お受けいたします」 かすれた声でうなずいた。 「直ちに出陣することを二品[にほん](頼朝[よりとも])はお望みです。今日、明日中に準備が整いましょうか」 使者の梶原景季[かげすえ]が無茶なことを言う。義経[よしつね]は苛[いら]立った。今の自分を見て、軍勢を率いることができるように見えるのか。 「病が癒えるまで、猶予をいただきたい」 「配下の者を先立たせ、伊予守[いよのかみ]殿は病を退けた後で発てば宜[よろ]しかろう」 「家人だけ寄越
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第四章 骨肉の争い(32)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]の使者として義経[よしつね]の住まう堀川邸を訪ねてきたのは、二十五歳の青年、梶原景季[かげすえ]である。 景時[かげとき]の嫡男で、源平合戦では平重衡[しげひら]を捕えるなど華々しい活躍を見せただけでなく、箙[えびら]に梅の花を挿すような風流な一面も持ち合わせている。雅なことが好きな朝廷でも人気のある御家人だ。 このため、壇ノ浦の戦いの凱旋後に後白河[ごしらかわ]法皇から官位を授けられ、頼朝の怒りを買った一人でもある。今はすでに赦[ゆる]されている。 義経は戦の最中、梶原景時と激しくぶつかり、憎まれた。景時はその時の様子を逐一頼朝に報告したという。頼朝は義経の言には耳
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第四章 骨肉の争い(31)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
慣例で、受領[ずりょう]が検非違使[けびいし]を兼任することはない。伊予守[いよのかみ]となった義経[よしつね]は、検非違使を辞官せねばならない。当たり前のこととして辞そうとした義経を、しかし後白河[ごしらかわ]法皇が止めた。 「兼任せよ」 というのだ。 「さすがにそれは……」 義経は慌てたが、 「朕[ちん]は打診しておるのではない。命じておるのじゃ」 後白河法皇はごり押しした。これは、右大臣九条兼実[かねざね]が、「未曾有[みぞう]」のことと日記『玉葉』[ぎょくよう]に綴[つづ]ったほど、有り得ないことだった。 頼朝[よりとも]が義経を伊予守にし
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第四章 骨肉の争い(30)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
八月の除目[じもく]で義経[よしつね]は受領伊予守[ずりょういよのかみ]に任じられた。これは四月に頼朝[よりとも]が朝廷に申請していたものが叶[かな]えられた結果である。 義経から涙が零[こぼ]れ落ちた。頼朝には義経の働きを評価する気があったのだ。 今となっては伊予守に推薦したことを頼朝は後悔しているが、いったん朝廷に申請したものを簡単に取り消せなかったため、そのまま補されたとのことだった。それでも、一度は評価されたのだという事実が、義経には嬉[うれ]しかった。 (それを、吾[われ]を殺したいほどに怒らせてしまった……) 義経は伊予守補任で気付いた。頼朝
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第四章 骨肉の争い(29)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]は、追い詰められ岐路に立っていた。 鎌倉から京へ戻った義経を待ち構えていたのは、頼朝[よりとも]から与えられた二十四か所の所領の没収だった。一から出直せという意味だろうか。それなら未[いま]だ首の皮一枚で、兄とは繋[つな]がっているのだ。 七月に入って、京とその近隣は地震に見舞われた。被害は殊の外ひどく、山が崩れて川や谷が埋まり、地面は裂けて水が諸所から噴き上がった。海から波が迫り、海岸沿いの村々をあっという間に呑[の]み込んだ。 多くの家々や寺社も倒壊し、都は瓦礫[がれき]の山と化した。その下敷きでたくさんの者が命を失った。 都の誰もが平家の怨霊[おんりょう]の仕
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第四章 骨肉の争い(28)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は重衡[しげひら]の死に深く感じ入った。 (私はどんな死を迎えるのであろう) 誰にも言えぬが、自分がなぜ自身の心を殺し、「鎌倉殿」として生きているのか、分からなくなる時がある。 だからといって、大勢の血肉を喰[く]らって強大に育っていく「鎌倉」という名の化け物を、今更放り出すわけにいかない。誰が鎌倉に嫌気がさして去っていこうと、化け物を産んだ頼朝だけは、立ち止まらずに共に走り続けなければならない。 (ほかに制御できる者もおらぬしな) ただ、人生の中で本当に欲しかったものは何なのか、そう己の胸奥に問い掛けたとき、蘇るのはなぜかいつも八重[やえ]姫と千鶴丸[せんつるま
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第四章 骨肉の争い(27)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
重衡[しげひら]の最期はどうであったのか。文武両道で武芸にも秀で、どこか達観した見事な男であった。惜しい、と感じ、御所に住まわせ、身柄を預かる間は最大限の礼を尽くした。 朝日[あさひ]御前が可愛[かわい]がっていた千手[せんじゅ]という名の女房が、重衡を慰めるための宴で琵琶を奏でたが、たちまち恋に落ちた。朝日御前の計らいで、千手は重衡の身の回りの世話をする役に付き、二人は濃[こま]やかな情を交わしていたようだ。南都へ引き渡されるために鎌倉を出立するまでの一年間、それは続いた。 できればこのまま二人を夫婦にしてやりたいと朝日御前が祈りながら見守っていたのを、頼朝[よりとも]は知っている。
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第四章 骨肉の争い(26)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
宗盛[むねもり]は京を目前にした近江の篠原で、息子の清宗[きよむね]は野路口[のじぐち]で首を切られた。義経[よしつね]があらかじめ使者を立てて大原から高僧を呼び、二人が安らかに極楽浄土へ行けるよう取り計らったという。 ほう、と頼朝[よりとも]は感心する。敵への要らぬ温情とは思わない。先の対面の時も感じたが、義経は心の底から優しい男なのだろう。 「それで、あの小心者の宗盛は、怯[おび]えずに死出の旅路に就けたのか」 実際に首を刎[は]ねた橘公長[たちばなのきみなが]が、「はっ」と首肯したが、 「これといって取り乱すこともなく……」 ご立派な最期でござい
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第四章 骨肉の争い(25)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
七月二日。鎌倉。 頼朝[よりとも]は、京から戻ってきた橘公長[たちばなのきみなが]から、処刑された宗盛[むねもり]父子と重衡[しげひら]の最期を聞いた。平家惣領宗盛と嫡男清宗[きよむね]の死は、真に平家が終焉を迎えたことを意味する。 頼朝は、義経[よしつね]によって連行された宗盛と、一度だけ会った。官位を剥奪されて身分なき罪人となった宗盛に、二位に叙された頼朝が対面することはないという中原広元[ひろもと]の進言を聞き入れ、わが身は簾中[れんちゅう]に隠した。言葉も、比企能員[ひきよしかず]を通して掛けた。 「予は、御一族への宿怨[しゅくえん]から戦ったわけではござらぬ。ただ、勅命ゆ
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第四章 骨肉の争い(24)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「私は戻りませぬ」 と郷[さと]御前が答えた時、頼朝[よりとも]に仕える雑色[ぞうしき]は目を見開いた。 「失礼ながら申し上げます。その結果、何を引き起こすことになるか、分かってお決めになられたのでございましょうか」 「何もかも、承知で申しております」 「……父君が殺されることになってもよろしいのですか」 「よいわけがございませぬ。されど……」 郷御前は恐ろしさに体を震わせた。目の前にいる男は、身分は雑色だが役目は違う。頼朝が、己が目の代わりとして放つ、いわば間諜[かんちょう]である。 (お腹[なか]に子が宿っていることだ
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第四章 骨肉の争い(23)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「急なお話過ぎて……頭が真っ白になってしまいました。共に参った女房たちの都合もございますし、明日のお返事ではなりませぬか」 郷[さと]御前はいったん雑色[ぞうしき]に帰ってもらい、人払いをしたまま、母からの文に再び目を通した。 郷御前の母は比企尼[ひきのあま]の次女で、頼朝[よりとも]嫡男万寿[まんじゅ](頼家[よりいえ])の乳母[めのと]をしている。文には、すでにどれほど義経のことを慕っていようと、鎌倉からの命令に背くことのないよう綴[つづ]ってあった。郷御前の出方次第によっては「謀反人」となること、家の存続も危ぶまれる大事となることが、包まず書かれている
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第四章 骨肉の争い(22)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
どうしてこんなことになってしまったのか……と、郷[さと]御前は眼前に控える雑色[ぞうしき]と届けられた文へ交互に視線を走らせた。 頼朝[よりとも]の命で義経[よしつね]に嫁いで、まだ一年も経っていない。 文は朝日[あさひ]御前からと母からのものだが、頼朝の使う雑色が届けてきたのだから、認[したた]められた中身は鎌倉殿の意向に違いなかった。 (これは御命令なのだ) 二通の文は、同じことを郷御前に告げている。夫、義経が東国へ下向して不在の内に、堀川邸を抜け、鎌倉へ戻ってくるように、と。 義経に嫁いでから今日までのことが、郷御前の心にくるくると蘇った。義経の
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第四章 骨肉の争い(21)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]はもう一度大きくため息を吐く。すっと立ち上がった。とたんに、控えていた男たちが殺気を帯びる。 (斬[き]られる?) 義経[よしつね]の身体は、反射的に身構えかけた。が、 (それが兄上のご意思なら、従うまで) 一切の抵抗は見せず、見下ろす頼朝に向かい、おもむろに平伏した。誰かが太刀を抜く気配と足を踏み出す音がしても、いったん覚悟した義経は姿勢を崩さない。 「ふむ……」 鼻から抜けるような頼朝の声に合わせ、その場から殺気が消えた。 頭上に頼朝の声が降り注ぐ。 「相分かった。正式な処分は追って沙汰する。此度[こたび]鎌倉を去って後、予の
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第四章 骨肉の争い(20)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
二人の間に流れる重い沈黙を破ったのは、頼朝[よりとも]だった。 「ところで廷尉[ていい]、その方に訊[たず]ねたき儀がある」 「は、はい……」 「これはあまりに馬鹿げた噂[うわさ]だと思うておるが……捕虜の一人、平大納言[へいだいなごん]から命乞いの代償に差し出された娘を、その方が凌辱[りょうじょく]したと聞いたが、よもやさようなことはあるまいな」 平大納言とは、清盛[きよもり]の妻である時子[ときこ]の弟・時忠[ときただ]のことで、「平家にあらずんば人にあらず」の言葉を生んだ男である。 義経[よしつね]の背に冷たい汗が
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第四章 骨肉の争い(19)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]は寝殿の西にある侍廊[さむらいろう]に端座させられ、待たされた。ここは昨年、武田信義[のぶよし]の嫡男、一条忠頼[ただより]が誅殺[ちゅうさつ]された場所だ。床に染みた血痕が、まだ残っている。 義経の側面にも背後にも、頼朝[よりとも]警固の役目の侍が、いかめしい顔で待機している。やはり自分はここで殺されるかもしれぬ、と義経は覚悟した。 半時ほど過ぎたころ、義経の座した正面の障子が開き、頼朝が姿を現す。あれほど会いたかった兄の姿に、義経の胸がぎゅっと痛んだ。 それにしても、何という冷ややかな目をしているのだろう。 (こんな雰囲気の人では無かった。以前より冷徹なところは
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第四章 骨肉の争い(18)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
全成[ぜんじょう]が告げたのは、今後の生死を分ける重要な意味を含んだ言葉だったが、義経[よしつね]にはやっと兄に会える喜びが大きすぎ、肝心な部分はあまり心に響かなかった。 会いさえすれば、と義経は思う。 (言葉を尽くせば、兄上は必ず分かってくださる) 「それで、いつお会いできますか」 「今夜……」 「それはまた、急ですね」 「……郎党は連れず、お前一人で来るようにとのことだ」 「一人でだと」 「危険ではないのか」 義経の傍に控えていた側近、伊勢三郎義盛[よしもり]や武蔵坊弁慶[べんけい]らが、歯に衣着せぬ言葉で騒ぎ立
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第四章 骨肉の争い(17)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義経[よしつね]には自負がある。 ―――吾[われ]こそが、源氏を勝利に導いたのだ、と。 その自負こそが、頼朝[よりとも]の怒りを買っているとは気付かない。 「誰の兵で戦ったのだ。お前一人で何ができる。みな、この頼朝のお膳立てあってこその実績ではないか」 義経の驕[おご]る様が鎌倉に報告されるたび、頼朝がそう怒ってきたことを、当人は知らない。 知らないがゆえに、もし、兄と共に同じ戦場に立ち、頼朝の眼前で戦うことができていれば、今日のようなことは起こらなかった、と信じている。直[じか]に自分を見ていただければ、きっと分かってくださる―――と。 (そうだ。兄上は、「九郎、よくやった」
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第四章 骨肉の争い(16)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
なぜ、兄弟の仲がここまで拗[こじ]れてしまったのか……義経[よしつね]には幾ら考えても分からなかった。 義経は五月七日に平宗盛[むねもり]・清宗[きよむね]父子とその家人らを連れて京を出立し、十五日の夜に相模国酒匂[さかわ]駅に到着した。翌日には鎌倉入りする予定で、兄・頼朝[よりとも]に使者を立てた。 ところが、酒匂に北条時政[ときまさ]がやってきて、捕虜だけを連れて立ち去った。困惑する義経のところに、やがて結城朝光[ともみつ]が頼朝の使者として訪れ、鎌倉に入ることを固く禁じた。 「いったいどういうことでしょう」 訳の分からない義経は、本当は朝光のむなぐ
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第四章 骨肉の争い(15)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は、平家追討の褒賞で従二位[じゅにい]となった。鎌倉に居ながら公卿[くぎょう]に昇格し、これより「二品[にほん]」と呼ばれ始める。 だが、気持ちは鬱々[うつうつ]として晴れない。 日が経つにつれ、頼朝の元に義経[よしつね]への不平が御家人たちから集まってきていたからだ。頼朝が都や現地に放った雑色[ぞうしき]からも、聞き捨てならぬ報告が上げられてくる。 義経の非は次の通りだ。 周防国で船を用意した船奉行に、終戦後は鎌倉御家人に取り立てるという文書を、勝手に与えた。 現地で御家人の処罰を、頼朝へ報告なしに行った。 九州は範頼[のりより]に任せたのに、その権限を壇ノ浦の
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第四章 骨肉の争い(14)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
大倉御所に戻った頼朝[よりとも]は、義経[よしつね]の寄越[よこ]した使者を改めて呼び出し、詳しい話を聴いた。 義経は周防国の船奉行から数十艘の船を用立て、大島の津で三浦義澄[よしずみ]と合流し、二十二日に壇ノ浦へ向かって出立した。義澄は、範頼[のりより]軍に属していたが、九州に渡る軍勢が追撃されぬよう、周防国の抑えに残留させられていたのだ。 平家方も義経軍が迫っていることを知り、海へ漕ぎだした。 二十四日の正午、両者は壇ノ浦でぶつかり、最後の決戦の幕が上がった。九州に上陸して現地の平家勢力との戦いに勝利を収めていた範頼は、突然始まった海戦に驚きながらも、平家の背面を塞いで退路を断つ
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第四章 骨肉の争い(13)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
長門と筑紫の間に横たう壇ノ浦で三月二十四日、鎌倉方八百四十余艘、対する平家方五百余艘の軍船で海戦を繰り広げ、二刻(約四時間)かからず勝敗を決したという。 二十四日といえば、希義[まれよし]の夢を見た日ではないか。やはりあれはただの夢ではなく、希義が戦勝を喜び、感極まって会いにきてくれたのだ。そう思うと、頼朝[よりとも]の胸は熱くなった。 義経[よしつね]は昨年の戦の折は、使者だけ寄越[よこ]し、己の活躍を中心に口頭で伝えてきただけだった。戦況が全く把握できず、頼朝は叱責[しっせき]したものだ。そのせいか、今回は右筆を使って一巻の巻物に、状況を詳細に綴[つづ]ってきた。 (あいつも成長
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第四章 骨肉の争い(12) 【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
希義[まれよし]の夢を見た三日後、鎌倉に一人の僧が土佐から訪ねてきた。土佐と言えば希義が亡くなった地だ。 聞けばこの僧が、討ち取られて放置された弟の死体を、引き取って埋葬してくれたという。その際、鬢髪[びんぱつ]を切って木箱に収めていたものを、急に思い立って首にかけ、はるばる頼朝[よりとも]まで届けにきたのだ。 「実は土佐殿(希義)が、夢枕に立ちましてな。何も言われませなんだが、拙僧といたしましてはどうしても鎌倉へ参らねばならぬような気がいたしました」 そう言って差し出された遺髪を、頼朝の方から進み寄り、受け取った。 「かたじけない。弟の魂が予の許[もと]へ帰ってきたような気がしま
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第四章 骨肉の争い(11)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三月二十四日の夜、頼朝[よりとも]は夢を見た。 「兄上、兄上」 聞き知った声ではないのに、どこか懐かしさを覚える成人した男の声で呼ばれ、頼朝は真っ暗闇の中、辺りを見渡す。なぜ自分がこんな暗闇の中にいるのか、ここがどこなのかも分からない。 「こちらでございます。兄上」 声の方から男の姿がスーと浮かび上がる。 「何者だ」 誰何[すいか]すると、 「お忘れですか」 男は悲しげに瞳を澱[よど]ませた。初めて見る顔だが、やはりどこか懐かしい。 (母上に似ているな) 思ったとたん、熱いものが体の芯から噴き上がった。まるで火山が身の内で爆発したような感覚の後、大きな哀[かな]しみに包
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第四章 骨肉の争い(10)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は、時期を見て義経[よしつね]を投入するつもりだった。もし、範頼[のりより]だけでいけるようなら、使わないことも視野に入れていた。 平家の擁立した先帝(安徳[あんとく]天皇)の命を守り、三種の神器を取り戻すことは、最優先される事柄で、平家を討ち果たすより大事なことだ。そのため、絶望を与えぬよう侵攻する必要がある。 東国からわざわざ遠征した御家人たちの苦労を思えば、相応の見返りは与えたい。そのために彼らに手柄を立てさせることも、大将軍の任務の一つである。以前、範頼が大将軍にもかかわらず、先駆けしたことがあったが、頼朝は激しく叱責[しっせき]した。軍勢を鼓舞し、先陣争いをさ
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第四章 骨肉の争い(9)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は範頼[のりより]に送る物資の手配を中原広元[ひろもと]に任せ、自身は朝日[あさひ]御前を連れて相模の栗浜明神(現横須賀・住吉神社)へ参拝に向かった。五里ほどの距離だ。祀[まつ]られているのは、海運と家運の神だ。 久しぶりに二人で馬を走らせた。供の者は少し遅れて付いてこさせている。 流人時代はよくこうして二人で駆けた。懐かしい感覚だ。朝日御前も心地よさげだ。 「御台[みだい]の男姿は久々よ。今も似合うておるな」 髪を靡[なび]かせ、朝日御前がにこりと笑った。何の含みもない自然な笑みを向けられたのは、義高[よしたか]を殺してから初めてだ。思いのほか嬉[うれ]しく、頼朝
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第四章 骨肉の争い(8)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
年が明けて元暦二(一一八五)年となった。 頼朝[よりとも]は、義経[よしつね]の出陣を未だ見合わせている。範頼[のりより]が彦島を眼前に捉えるまで待つつもりでいた。もし九州渡海が難しいなら、先に四国を攻めるよう範頼には伝えてあるが、遠い鎌倉からでは現状がどうなっているのか把握できない。目立つ動きは無いものの奥州藤原氏の脅威を背後に受けている以上、頼朝自ら動くのは難しい。 先月、ようよう佐々木三郎盛綱[もりつな]が備前の児島を陥落させ、今年に入って範頼の飛脚便が頼朝の手に渡った。一月六日のことだ。日付を確かめると前年の十一月十四日と記されている。 相変わらず窮状を訴える内容だが、一月半
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第四章 骨肉の争い(7)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「何故だ、何故だ、何故だ」 誰もいないところで、頼朝[よりとも]は荒れに荒れて叫んだ。頼朝には、命令違反を繰り返す義経[よしつね]という弟がまったく理解できなかった。 「慕っていると口で言いつつ、何故言うことをきかぬ。訳が分からぬわい」 朝廷の命令系統に内包される武士団を独立させ、新たに鎌倉政権による支配系統を築き上げ、朝敵とみなされずに並び立たせる―――これが頼朝の目指すところだ。 今は、朝廷の命令系統から引きはがすことを試みている最中である。だのに、頼朝の実弟の義経が、これまで通りの朝廷にかしずく武士として栄達しようとしている。頼朝の計画の大きな綻[ほころ]びとなる前に、取り除
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第四章 骨肉の争い(6)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
郷[さと]姫は、河越重頼[かわごえしげより]の十七歳になる娘だ。色白の肌に、頬がいつもほんのり桃色に色づいている。目が大きく幼い顔立ちだが、頭の回転が速く、見かけと違いしっかり者だ。 「九郎殿が間違った方角に進みそうになれば、きっと郷姫が正しい道へと引き戻してくれましょう」 と朝日[あさひ]御前は言う。そうだろうかと頼朝[よりとも]は懐疑的だ。義経[よしつね]は二十六歳。十七歳の娘が九つ上の男に、気後れせずに意見が言えようか。そう思いつつ十歳下の朝日御前を見る。 (御台[みだい]のように政[まつりごと]も理解したうえで、夫に真っすぐ考えを述べ、嫌われることも厭[いと]わず時に過ちを
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第四章 骨肉の争い(5)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「あの馬鹿をどうしてくれよう……」 頼朝[よりとも]は薄暗い部屋で夜の食事を摂りながら、ぼそりと呟く。 一緒に食事をしていた朝日[あさひ]御前が目線を上げた。傍らに灯された炎の影が、朝日御前の顔や着物の上でゆらゆらと伸びたり縮んだりしている。 「結婚させたらいかがです」 二人の間に亀裂が入ってから、朝日御前とは数えるほどしか会話を交わしていない。思いがけず話し掛けられて、頼朝は少し狼狽[うろた]えた。 「誰のことか分かるのか」 声が、少し上ずる。 「九郎殿のことでございましょう」 「うむ。あ奴め、予の許しもなく判官[ほうがん]となりおった。いった
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第四章 骨肉の争い(4)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
源広綱[ひろつな]は以仁王[もちひとおう]と共に挙兵した頼政[よりまさ]の子だ。あの挙兵が無ければ今の頼朝[よりとも]はない。さらに伊豆守を務める時期が長く、頼朝が流人時代を比較的おおらかに過ごせた理由の一つは、頼政が配慮してくれたためでもある。いわば、恩人の息子である。 最後の一人、平賀義信[よしのぶ]は、河内源氏二代頼義[よりよし]の三男義光[よしみつ]の孫だ。平治の乱の折、義朝[よしとも]に従って都を落ちた七人の一人で、頼朝にとっては辛い雪中の逃避行を共にした男であった。父義朝の信任が厚かった者として、頼朝は源家門葉[もんよう]筆頭と定め、重用している。本拠地は信濃の佐久郡平賀荘で
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第四章 骨肉の争い(3)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
六月に行われた小除目[こじもく]で、範頼[のりより]は三河守に任命されたが、義経[よしつね]は外された。頼朝[よりとも]の意思だ。そのことを範頼が殊更喜んで、「九郎の奴め、意地汚く事前に兄上に頼み込んだくせに外されたぞ」と鎌倉で吹聴して回っていたことを、都にいた義経は人伝[ひとづて]に聞き知っていただけに、非難がましい言い方になった。 範頼は、そんなことは無かったかのように、慰めを口にする。 「あれは政[まつりごと]よ。武功とはまた一線を画した人事ゆえ、仕方あるまい。九郎にもそのうち順番が回ってこよう」 いっそう忌々[いまいま]しいと義経は思った。 「政なら、なぜ蒲[かば]の兄上は
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第四章 骨肉の争い(2)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「いいか、九郎。三郎兄上は、新しいことを成そうとしている」と範頼[のりより]は言う。 「今は東国だけの王だが、いずれは日本全国津々浦々、みな鎌倉政権の支配下に置くおつもりだ。朝廷以外の権力が、この国でそんなことをしたことはかつてない。これは新しい歴史を築こうとしているに等しいのだ。平家にも成しえなかったことだ。なぜかお前に分かるか」 「……いえ」 「平家は、朝廷を刺激せぬよう既存の体制を崩さなかったからだ。兄上は違う。新しい体制を作り上げ、支配なさるおつもりよ。ゆえに新しい職務を作り上げていかねばならぬ。そこに既存の官職を勝手に朝廷から受ける者が出ればどう
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第四章 骨肉の争い(1)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
元暦[げんりゃく]元(一一八四)年八月二十八日。 「馬鹿な奴[やつ]だなあ、お前という奴は。兄上を怒らせるなど、命が幾つあっても足りぬぞ」 昨日、鎌倉から京へ入った範頼[のりより]が、六条堀川の屋敷に義経[よしつね]を訪ね、酒を酌み交わしながら呆[あき]れたような声を上げた。 義経は九つ年上のこの異母兄が、嫌いだった。会うたび今のように、嫌なことばかり言ってくる。 「あんなにお怒りになるなんて、思わなかったんです」 「思うさ、普通は。駄目だと言われたことはやらないものだ、分別があればな。御命令に背いて逆鱗[げきりん]に触れた後でさえ、まだそんなことを言っているようでは、先は長くな
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第三章 鎌倉殿(59)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
鎌倉がどこへ向かうのか―――。明確な答えを頼朝[よりとも]は持たない。朝廷や貴族の命で血を流し、骨肉の争いを強いられ、失うものが多いというのに、あ奴らからは見下げられ、平家や義仲[よしなか]のように邪魔になったら殺される。それが武士だ。 地位を少しでも上げ、振り回されて踏みつけられることのないように、頼朝は鎌倉に政権を樹立した。朝廷の中に入り込み、力を振るって権力を得た清盛[きよもり]は、結局失敗した。その轍[てつ]を踏まぬよう、慎重にことを進めている。その過程で、朝廷に阿[おもね]ることもある。そうしなければ、出来上がる前に潰[つぶ]される。 「国を造る者は残酷でなければならぬ。日と
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第三章 鎌倉殿(58)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]の居室で、夫婦は対座した。重い空気が流れる。頼朝は情けない気持ちでいっぱいだった。 娘があんな状態になって、自分が哀[かな]しくないと妻は思っているのだろうか。 (私だって胸が押しつぶされそうだ) 何としても死なせたくないと、考えに考えた末に出した答えが、海野幸氏[ゆきうじ]と望月重隆[しげたか]の命と龍[たつ]姫の死にたい気持ちを天秤[てんびん]にかけさせる方法だった。 (もうすでに千鶴丸[せんつるまる]を失っているのだ。龍姫まで失くすなど考えられぬ) 優しい龍姫に付け込むような選択を突き付けるのだから、頼朝の心も血を噴いている。だが、これで龍姫は無理やりにでも食べ
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第三章 鎌倉殿(57)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
やってきた頼朝[よりとも]に、朝日[あさひ]御前ははらはらした。いったい何を言う気でいるのだろうか。これ以上、龍[たつ]姫を傷つけてほしくない。 龍姫は、父親に振り向きもせず、どこも見ていない瞳で端座している。 頼朝が小さくため息を吐いた。 「食事を摂らぬそうだが、このまま太郎(義高)の後を追うつもりか」 叱るような言い方では無かったが、冷たいと朝日御前は感じた。温かい言葉を掛けられないなら、今はそっとしておいてほしい。そういう気持ちを込めて、首を小さく左右に振る。頼朝はそんな朝日御前を無視し、信じられない言葉を続けた。 「海野と望月の処刑が決まった」 えっ、と朝日御前は頼朝を
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第三章 鎌倉殿(56)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
大姫様がご病気で、儚[はかな]くなっておしまいになられそうだ―――鎌倉ではこの話題でもちきりだった。 元暦元年五月。もう何も食べ物を口にせず、吉祥天女[きっしょうてんにょ]の如くと言われた姿は、ほとんど骨と皮だけになってしまったと噂されている。 理由は許婚[いいなずけ]だった源太郎義高[よしたか]が殺されたからだ。先月の二十一日の暁、交替の為に自分の屋敷に戻る通いの侍女らに紛れ、女装した義高は無事に御所を出た。乳母[めのと]の手引きで前日に龍[たつ]姫が隠していた馬が繋[つな]がれている場所まで行き、そこからは疾駆した。 一方、生活していた小御所内では、同じ年齢の海野小太郎幸氏[ゆき
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第三章 鎌倉殿(55)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
おかしい、と龍[たつ]姫はまず思った。あの周到な父の立てた計画が、本来なら侍女になど、漏れようはずがない。それを、聞こえるように話したというのなら、これも頼朝[よりとも]の仕掛けた罠[わな]だ。 (けど、父上はもうどうしたって義高[よしたか]様を殺しておしまいになる気でいる。だったら、少しでも望みのある道を選ばなければ……) 真夜中。龍姫は乳母[めのと]の手を借り、義高の寝所に忍び込んだ。寝ずの番をしていた望月重隆[しげたか]が、叫びそうになる口をかろうじて押さえ、 「姫様がお見えでございます」 すでに寝入っていた義高を起こす。 「いったい何ごとだ」
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第三章 鎌倉殿(54)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
父親を殺されてからも、義高[よしたか]は龍[たつ]姫に優しかった。龍姫はずっと、義高の前では無邪気な振りを通した。 そもそも出会ったときから、龍姫は義高の前で違う自分を演じてきた。あまりに聡い女は敬遠されるかもしれないと、なるべく子供っぽく振る舞ったり、和める範囲の我儘[わがまま]を言ったりした。 双六[すごろく]をして遊ぶ時も、正直なところ勝ち負けなどどうでもよかった。義高と同じことを一緒にしているだけで、ただ嬉[うれ]しかった。だが、負けた時は、 「ああ、負けてしまいました。太郎様はさすがです。けれど、次は負けませんよ」 悔しそうに頬を膨らませてみせることもある。 (義高様は本
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第三章 鎌倉殿(53)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が三善康信[みよしやすのぶ]と対面した翌日の四月十六日、改元によって寿永から元暦へと変わった。 龍[たつ]姫は、父の遣わした軍勢によって、許婚義高[いいなずけよしたか]の父義仲[よしなか]が討たれたことを知らされて以降、心から笑ったことがない。ただもう義高に申し訳なく、どんな顔をして何を話せばいいのか分からなかった。 自分の顔など見たくないに違いない。それでも傍を離れなかったのは、二人の様子が逐一、頼朝に知らされていることを知っていたからだ。二人の仲に距離ができれば、すぐにでも義高は殺されてしまうに違いない。 息の詰まるような毎日だった。昔は母の次に大好きだった父が、こ
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第三章 鎌倉殿(52)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
伊豆から鎌倉に戻った頼朝[よりとも]は、鶴岡八幡宮の廊[ろう]で、十四歳の時からずっと会いたかった男と対面した。流人時代の二十年間だけでなく、その後も絶えることなく使者を寄越[よこ]し、都の情勢を頼朝に伝え続けてくれた三善康信[みよしやすのぶ]だ。 ―――そろそろ鎌倉に下り、吾[われ]の仕事を全面的に手伝わぬか。しかるべき地位を約束しよう。そう頼朝の方から誘った。 義仲[よしなか]を屠[ほふ]り、平家も多くの将が死に、未だ滅びてこそいないが、羽を捥[も]がれた鳥のような姿となった。鎌倉と互角に戦える勢力は、もはや奥州藤原氏しかいない。 (随分と力を付けた今なら、鎌倉へ呼んで厚意に報いる
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第三章 鎌倉殿(51)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
同じころ、京では桜の花びらの降りしきる中、後白河[ごしらかわ]法皇の宴に招かれた義経[よしつね]が、可憐[かれん]な舞いを披露する白拍子[しらびょうし]に心奪われていた。 歴史に残る恋に燃え上がることとなる静[しずか]御前との出会いである。 宴に招かれたといっても、客が大勢呼ばれて盛大に催されたわけではない。会場に指定された神泉苑を訪ねて初めて知ったのだが、客は義経ただ一人であった。 「こ、これは」 狼狽[ろうばい]する義経を、後白河法皇は自身の横に気軽に座らせる。 「当代一の舞姫を呼んだゆえ、存分に楽しむがよい。気に入ったなら、その方の堀川邸に連れ帰ってもよいぞ」 都の警護を
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第三章 鎌倉殿㊿【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
平重衡[しげひら]は、今年二十八歳になる清盛[きよもり]の五男だ。左近衛権中将[さこんえごんのちゅうじょう]まで昇り、従三位[じゅさんみ]に叙されていたため、三位中将と呼ばれている。 闊達[かったつ]で洒脱[しゃだつ]、細やかな情にも通じ、亡き高倉[たかくら]院とは身分を超えて良き友だったらしい。 百戦百勝の常勝将軍として名高い。平家の中でも、群を抜く戦上手だ。源平合戦で、この男が采配を振れば、鎌倉方も苦戦するだろうことは、誰もが予想していた。 義仲[よしなか]軍と行家[ゆきいえ]軍を蹴散らしたのも、重衡なのだ。もし、頼朝[よりとも]が範頼[のりより]・義経[よしつね]勢を上洛させねば
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第三章 鎌倉殿㊾【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
久しぶりに会った時政[ときまさ]は、初めはばつが悪そうだったが、元々磊落[らいらく]な性質[たち]だ。間に入った朝日[あさひ]御前が朗らかに接したこともあり、すぐにまた頼朝[よりとも]と打ち解けた。 頼朝は時政を遠馬[えんば]に誘い、北条荘から三島方面に向かって駆けた。山並みを彩る桜が、たなびく雲のように過ぎ去っていく。 「覚えていようか。初めて会った時、この道を逆に疾駆したのを」 しばらく走った後、馬を軽く歩ませながら頼朝から声を掛けた。 「もちろんです。あの時もちょうど春陽さす日でござったな」 「流人とはどんな扱いを受けるのかと、本音を言えば不安であった。義父上[ちちうえ]が
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第三章 鎌倉殿㊽【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三月。鎌倉と断絶して伊豆に引きこもっている北条時政[ときまさ]に、頼朝[よりとも]は何事も無かったかのように仕事を振った。平家勢力の強い四国の中で、源氏に与する者たちへの指示書を出させる。 広常[ひろつね]が見せしめとなって殺された今、頼朝に逆らっている時政としては、さぞ心乱れているだろう。戻ってくるきっかけを、頼朝から作ってやったわけだ。 さらに朝日[あさひ]御前も連れて伊豆へ鹿狩りに向かった。伊豆から戻る際に時政も連れ戻すつもりだ。 久しぶりの故郷に、朝日御前は嬉[うれ]しそうだ。 「本当は、子供たちも連れてきたかったけれど……」 万寿[まんじゅ]は
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第三章 鎌倉殿㊼【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
謀反人上総広常[かずさひろつね]と嫡子能常[よしつね]の死は、その日のうちに鎌倉中に知らされた。上総氏一族全体が罪に問われ、家人らもみな所領は収公された。広常の兄弟など、近しい関係にある者たちは、加えて蟄居[ちっきょ]という厳しい処分となった。 ざわついたのは、同じような目に遭わぬとも限らぬ千葉氏と三浦氏である。彼らを安心させるため、頼朝は速やかに広常の旧領のほとんどを分け与えた。 さらに、謀殺から一月[ひとつき]も経たぬうちに、広常父子の謀反は誤報であったことを公にし、己の過ちを認めた。手厚く二人を供養するとともに、先に処罰された一族の者たちとその家人らから取り上げた所領は、全て元に
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第三章 鎌倉殿㊻【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
約束もなく屋敷を尋ねた頼朝[よりとも]を迎え、広常[ひろつね]は奥から小走りに現れた。 「先日の願い事を叶えてもらいにきたぞ。双六[すごろく]でもしながら腹を割って話をしよう」 と言う頼朝に嬉[うれ]し気に目尻を下げる。 「そんなことで宜[よろ]しいか」 ただ、供の者がいつもの結城朝光[ともみつ]や江間義時[よしとき]ら、鎌倉殿の近辺に祗候[しこう]する十一人衆でないことに、わずかに不信感を覚えたようだ。 「これは梶原殿に天野殿。珍しい組み合わせですな」 「武衛[ぶえい]とは久しぶりにお会いしましたからな。相撲を取ってもらえるまではと、ひっついて回っております」 おどけた物言
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第三章 鎌倉殿㊺【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が上総広常[かずさひろつね]と嫡子能常[よしつね]の討手に選んだのは、梶原景時[かげとき]と天野遠景[とおかげ]の二人である。どちらも、頼朝への忠誠心が強い。 景時は、石橋山の戦いでは大庭勢に与した。大勝を収めたものの頼朝を取り逃がした大庭景親[かげちか]は、血眼になって山狩りを行った。頼朝は、洞窟に隠れて息を潜めていたが、そこに現れたのが景時だった。 互いに目が合い、あっという顔をした。 「誰かいるのか」 少し離れたところから大庭景親の声が聞こえてきた。 (ここまでか) 頼朝は死を覚悟したが、 「ここには誰もござらぬ」 と答え、景時は見逃してくれた。 一
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第三章 鎌倉殿㊹【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
木曾義仲[よしなか]は、やってはならぬ過ちを、一つ犯していた。後白河[ごしらかわ]法皇が安徳[あんとく]天皇に代わる帝を践祚[せんそ]する際、自身の擁立する以仁王[もちひとおう]の遺児北陸宮[ほくろくのみや]を推したことだ。 何を勘違いすれば、田舎武士の一人に過ぎぬ男が、帝の即位に口を出せるというのか。後白河法皇は義仲を憎悪し、公卿[くぎょう]らもこの男を蛇蝎[だかつ]の如く嫌った。殿上人の拒絶反応は理屈ではない。朝廷は、いかに義仲を排除するかを、早い段階で考えるようになっていた。 都人の拒絶の仕方は回りくどい。義仲は、初めのうちは気付かなかったが、十一月にもなると今のままでは己に芽
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第三章 鎌倉殿㊸【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
寿永二(一一八三)年十月半ば。後白河[ごしらかわ]法皇は、先の頼朝[よりとも]の出した三ケ条の申請書を元に宣旨[せんじ]を出した。 治承四年からの国内の乱戦で奪われた荘園や国衙[こくが]領を元に復し、年貢の徴収を行うこと。逆らう者は東海道・東山道二道の諸国は頼朝が討伐する―――というものだ。 年貢徴収を反乱前の体制に戻すという内容だ。頼朝が挙兵以来、多くの血を流して獲得した利権を、朝廷に奪われることに等しい。当然、多くの鎌倉武士の反感を買った。これには、上総広常[かずさひろつね]だけでなく、三浦氏も千葉氏も不満を露わにした。 後白河法皇もこれらの反発は見越している。だからこそ、逆らう者
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第三章 鎌倉殿㊷【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「鬼神のような将でござった」 上総広常[かずさひろつね]は、頼朝[よりとも]の兄・悪源太義平[あくげんたよしひら]のことをそう語った。 「同じ戦場に立つと、味方には希望を、敵には絶望を―――というやつで……何かに憑[つ]かれたように共に死地を駆け抜けたのです」 「平治の乱の、確か十七騎で平家方五百騎余に突っ込み、追い散らしたという、もはや伝説となった戦いであろう」 広常はそうだとうなずきつつ、賽子[さいころ]を振った。少し遠い目をして過去を語る。 「あれは、実際、夢のようなひと時でござった。得も言われぬ高揚感……。生涯の中であ
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第三章 鎌倉殿㊶【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
上総広常[かずさひろつね]が嫌味を言っているわけではないことくらい頼朝[よりとも]も承知している。一々物言いがきつく、思ったことは腹に溜[た]めこめぬ男だが、口にする以上の悪意はない。 文句は多いが、広常は鎌倉を存外気に入っている。だからこそ、軟弱な対応に見える頼朝のやり方が不満なのだ。鎌倉の主には他者におもねることなく、威厳を保っていてほしいという思いが強すぎて、朝廷の出方を常に気に掛ける頼朝の姿勢が腹立たしいのだろう。 (お前の気持ちは分かっているつもりだ……されど……) それでは困る。これから先は、裏の裏を読み合う戦いを、朝
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第三章 鎌倉殿㊵【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義仲[よしなか]らの強奪にうんざりしていた朝廷は、鎌倉勢の上洛を切望しつつも、頼朝[よりとも]が準備の整わぬうちに軽率に入京しなかったことに感動した。 「義仲らに後[おく]れをとっている現状、これ幸いに急ぎ上洛するかと思いきや、これはなかなか、侮[あなど]れぬ男のようじゃ」 後白河[ごしらかわ]法皇は、俄然[がぜん]頼朝に興味を抱いた。十月九日に除目を行い、頼朝の右兵衛権佐[うひょうえごんのすけ]の地位を復してやった。これで、二十三年前に謀反人となった頼朝の罪が、正式に許されたことになる。頼朝にとって悲願だったため、知らせを受けた時は、喜びが隠せなかった。 「御台[みだい]、吾[われ
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第三章 鎌倉殿㊴【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
(後白河[ごしらかわ]法皇と直接相対するには、まだ早い) 底を知られぬためには、自身の姿を隠すのが手っ取り早い。 それに……と頼朝[よりとも]は思うのだ。義仲[よしなか]や行家[ゆきいえ]以外にも、平家が出て行ったとたん入京してきた武士がたくさんいると聞く。彼らのほとんどが、以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]以来、平家に対して反乱の火の手を上げてきた者たちだ。 (今、入京すれば官軍だからな) 賊の汚名が雪[そそ]がれる。 つまり、平家都落ちの後に京に犇[ひし]めいている大軍は、一見義仲勢のように見えて、ただの混成軍なのだ。それを一番規模の大きな
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第三章 鎌倉殿㊳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
(よくよく考えて動かねばなるまいよ) ここから先は判断一つ間違うだけで、取り返しのつかぬ未来を呼び込んでしまうだろう。せっかく東国の支配を固め、みなと共に鎌倉政権を育てあげてきたのである。 (なれど、どれだけの者たちが、朝廷との駆け引きに付いてこられるだろうか) 頼朝[よりとも]は元々都の出で、権謀術数の水の中で育った男だ。が、鎌倉を支える中心の三氏、上総[かずさ]氏、三浦氏、千葉氏の者たちは、みなどこか純朴である。駆け引きの一つ二つやるにはやるが、朝廷を中心とした魑魅魍魎[ちみもうりょう]の如き連中と比べれば、幼児のようなものだった。 (ことに、後白河[ごしらかわ]法皇は平安京始
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第三章 鎌倉殿㊲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
基通[もとみち]の密告で、平家の思惑を正確に把握した後白河[ごしらかわ]法皇は、捕らえられる前に比叡山へと逃走した。比叡山は義仲[よしなか]と手を結んでいる。法皇が、平家ではなく義仲を選んだという意思表示でもある。 このため、京の政権ごと移動するはずだった平家は、法皇の身柄を諦め、安徳[あんとく]天皇と三種の神器を手中に、都を去ることとなった。 基通は、宗盛[むねもり]に促されるまま、当然のように平家の都落ちの列に加わった。嫌がる素振りを見せぬことで誰にも警戒されず、頃合いを見計らって列を抜けた。 平家が出ていくのを待って二十七日に下山した法皇は、二十八日に入京した義仲と源行家[ゆき
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第三章 鎌倉殿㊱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
この年は、大きく歴史が動いた。 北陸道を制すため、越前・加賀へと進軍した平家の四万を超える大軍を、木曾義仲[よしなか]が倶利伽羅[くりから]峠で打ち破り、破竹の勢いで七月下旬に上洛を果たした。 宗盛[むねもり]率いる平家一門は、都から西海へと逃れた。いわゆる平家の都落ちである。 頼朝[よりとも]はあまりの手際の良さに、度肝を抜かれた。義仲の、ではない。後白河[ごしらかわ]法皇の、だ。 義仲勢はその強さを見せつけたが、三善康信[やすのぶ]や全成[ぜんじょう]らの報告を総合すると、むしろ平家の軍が弱かったのだ。どうやら動員した兵には武士でない者―――例えば木こりなどの、槍[やり]も弓矢
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第三章 鎌倉殿㉟【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
この日、龍姫[たつひめ]は生まれて初めてうっすらと化粧をした。これまで着たこともなかったが、貴族の娘のように十二単[じゅうにひとえ]を身にまとう。 将来の夫と初めて会うからだ。夫となる少年が、実は人質なのだということも、龍姫はよく理解している。まだ六歳だが、自分でも違和感を覚えるほど、頭の回転が速く、考え方も大人びていた。 だから、義高[よしたか]が辛[つら]い気持ちで鎌倉入りすることも、小さな胸が痛むほど分かった。 (でも、せっかくの御縁だもの。うんと仲良くしたい) 「母上様、今日のお着物は似合うておりますか。私のお顔は変ではありませぬか」 義高が到着するまでに、龍姫は何度も母の
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第三章 鎌倉殿㉞【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
明けて治承七(寿永二年・一一八三)年三月。頼朝[よりとも]の娘、龍姫[たつひめ]が婚約した。数えで未だ六歳である。相手は木曾義仲[よしなか]の嫡子、十一歳の義高[よしたか]だ。 将来の婿[むこ]として鎌倉に送られてきた義高だが、実のところ人質なのだ。この年の二月に、頼朝と敵対した志田義広[よしひろ]と源行家[ゆきいえ]が義仲の元に逃げ込んだのが原因だ。 志田義広は頼朝の叔父であるにもかかわらず、鎌倉攻めを計画し、足利俊綱[としつな]と手を組み進軍した。 これを野木宮で、小山朝政[ともまさ]が中心となって迎え撃った。頼朝の傍近く仕える寒河尼[さむかわのあま]の息子朝光[ともみつ]の兄で
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第三章 鎌倉殿㉝【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
朝日[あさひ]御前は、伏見広綱[ひろつな]を御所へと呼び出し、頼朝[よりとも]には何の相談もないまま、鎌倉からの追放を命じた。遠江の出だから、出身地に叩[たた]き返したのだ。 広綱は今年の五月、甲斐源氏安田義定[よしさだ]の推挙で祐筆[ゆうひつ]として鎌倉に迎えられた男だ。文字が流麗なだけでなく、朝廷のことにも通じていたため、頼朝にとって貴重な人材だった。 それだけに、今度ばかりは目を瞑[つむ]っておけぬと、頼朝は朝日御前の居室に乗り込んだ。最後に朝日御前と過ごしてから、一月[ひとつき]以上が過ぎている。冷静に応対できるまで会わぬつもりだったが、さすがにそうも言っていられない。 (怒
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第三章 鎌倉殿㉜【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
弟の死を知らせてきたのは、土佐で希義[まれよし]を支援していた夜須行宗[やすゆきむね]という現地の武将だ。行宗自身も身一つでようよう逃走し、鎌倉まで苦労して辿[たど]り着いたとのことだった。 希義には頼朝[よりとも]のように多くの武将を引き付ける魅力も才も無く、力になってくれたのは夜須荘を本拠とする夜須行宗一将のみだったようだ。 (五郎よ……なんと哀[あわ]れな。もう一度、会いたかった) 別れた時はまだ八歳で、「兄上、兄上」と慕ってくれていた。平治の乱の後、頼朝助命のために多くの者が動いてくれたが、希義のために動いた者はいなかった。兄をさぞ恨んだことだろう
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第三章 鎌倉殿㉛【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
屋敷を牧宗親[むねちか]に打ち壊された伏見広綱[ひろつな]は、亀[かめ]を連れて逗子[ずし]にある鐙摺[あぶずり]の大多和義久[よしひさ](三浦義澄[よしずみ]の弟)の屋敷に避難した。 頼朝[よりとも]は、鐙摺に宗親を呼び出し、怒りに任せてその髻[もとどり]を切った。これは、人前に出られぬほどの恥辱となる。 「ああああああああああ」 宗親は頼朝が驚くほど取り乱し、泣きながら逃げていった。 この頼朝の所業に激怒したのが北条時政[ときまさ]だ。 「吾[われ]の義父上[ちちうえ]に何をしてくれとるんだ」 時政は、妻子や郎党を引き連れ、伊豆へ戻ってしまった。 「何という不届きな」
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第三章 鎌倉殿㉚【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
亀[かめ]の前[まえ]を住まわせていた御家人伏見広綱[ひろつな]の屋敷が、御台所[みだいどころ]の命によって破壊された出来事は、鎌倉政権が成立して以降、一番の大事件となった。 伊豆の流人時代から献身的に仕え、支えてくれた亀は、頼朝[よりとも]にとって朝日[あさひ]御前では得ることのできぬ癒[い]やしの人である。 朝日御前と結ばれてから、頼朝は決して亀に手を出すことはしなかったが、いつもその存在は気になっていた。頼朝と朝日御前の世話をする亀の瞳が、時おり辛[つら]そうに揺らぐことも知っていた。それでも互いに自制はきいていたのだ。 走湯権現[そうとうごんげん]から鎌倉入りする女たちの中に
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第三章 鎌倉殿㉙【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「な、何と仰せになられたのか……」 牧[まき]の方[かた]の父、牧宗親[むねちか]は蒼褪[あおざ]めた顔で、朝日[あさひ]御前の命を聞き返した。 「亀[かめ]の前[まえ]の住まう屋敷を打ち壊しておしまいなさいと申しました」 「そんなことをいたせば……武衛[ぶえい]がどれほどお怒りになるか……」 声も掠[かす]れ、脂汗も滲[にじ]んできたようだ。 「そなたの娘が産後で心の落ち着かぬ私のところにわざわざ来て、告げ口をしたのですよ」 「いや、しかしそれは御台[みだい]様を案じてのこと」 「このままに
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第三章 鎌倉殿㉘【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「どうしたのだ、御台[みだい]。何か悩みでもあるのか」 思いつめた表情になっていたのか、頼朝[よりとも]がいつものように優しく尋ねる。 (そう、この人はいつでも私にはお優しい。けれど、無二のものではない) 「いいえ。お昼に牧[まき]の方[かた]がおいでになって、少し疲れたのです」 「ああ、苦手だと言っていたな。実は吾[われ]もあの方は苦手なのだ」 「まあ」 二人で笑い合う。 笑顔の下で、朝日[あさひ]御前は恐ろしい計画を実行に移すことを決意していた。 (やれば、この人はきっとひどくお怒りになる。もう二度と、心より愛されることはないかもしれぬ。けれど、私はこの人の愛する大勢の
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第三章 鎌倉殿㉗【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
妹たちに、「亀[かめ]はどうしたの」と尋ねたが、誰も分からないと言う。 (私の知らぬところで佐殿[すけどの]と過ごすために、妹たちと一緒に来なかったと言うの?) 裏切られたという思いが全身を熱くする。 「下働きの娘に殿を取られて、このままお許しになりますの?」 牧[まき]の方[かた]が囁[ささや]く。何と嫌な言い方をするのだろう。何も答えずにいると、 「私は御台[みだい]様の味方です」 付け足した。朝日[あさひ]御前には、牧の方が亀以上に不快であった。 (波風を立てようとしている) 侍女や下女の中にも、こういう女はいた。他人の醜聞[しゅうぶん]が大好きで、いつも揉[も]め事
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第三章 鎌倉殿㉖【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
この人は何を言っているのだろう……と、朝日[あさひ]御前は眼前の牧[まき]の方[かた]の含みのある笑みを、まじまじと見た。 父時政[ときまさ]が大番役で在京していた時期に婚姻を決め、迎え入れた継室[けいしつ]だ。年齢が朝日御前とほとんど変わらない。透き通る白い肌に、切れ長の目、紅を引かずとも熟れた茱萸[ぐみ]のような唇をしている。 「ね、お気を付けなされまし」 牧の方は心配している表情を作り、朝日御前の手を掬[すく]うように握った。まるで蛇が絡みついたかのように、ひやりとした指先だ。 朝日御前は、万寿[まんじゅ]や龍姫[たつひめ]ら、この部屋にいた者たち
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第三章 鎌倉殿㉕【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
治承六(寿永元年・一一八二)年十一月になった。 平家との争いは依然膠着[こうちゃく]状態のままだ。朝廷は、奥州の秀衡[ひでひら]に頼朝[よりとも]追討を、越後平氏の城資永[じょうすけなが]に木曾義仲[よしなか]追討を命じたが、秀衡は目立った動きを見せず、資永は戦準備中に急死した。 義仲は、鎌倉との衝突を徹底的に避ける姿勢を見せつつ、北陸に足場を固めた。今年の八月、以仁王[もちひとおう]の遺児北陸宮[ほくろくのみや]を招いて奉じ、その後の軍事行動の根拠と成した。 一方、鎌倉方では、内政と宗教に力を入れた。何といっても、鎌倉武士の心の拠[よ]り所は、源家二代頼義[よりよし]が石清水八幡宮
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第三章 鎌倉殿㉔【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義澄[よしずみ]の報告を聞くうちに、頼朝[よりとも]の胸の奥が軋[きし]み始めた。いつものように何ということもない顔を保てているか、自信がない。 水に沈みながら小さな手を精一杯こちらに突き出し、「助けて、父様、助けて」と千鶴丸[せんつるまる]が懇願している姿を、今も夢に見る。 到底、祐親[すけちか]の所業は許せるものではない。 (許せはしないが) その最期は哀[あわ]れであり、決して頼朝に媚[こ]びぬ姿勢は一貫して見事である。 「入道は入道で、良き男であった」 頼朝は義澄の前で祐親を称[たた]え、 「して、息子の九郎(祐清[すけきよ])はいかがした。孝行者のあの男のことだ。父
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第三章 鎌倉殿㉓【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
許された長尾定景[さだかげ]は、今は三浦党の一人となり、頼朝[よりとも]に仕えている。 (他者を重んじることのできる一族なのだな) そう思うにつけ、佐奈田与一義忠[よいちよしただ]の死を残念に思った。生きていれば、良き側近となったことだろう。 「予がわずかな手勢で挙兵した折、すぐさま加勢してくれた三浦一族への感謝を忘れてはおらぬ。その方の願いを聞き届けよう」 頼朝は伊東祐親[すけちか]の命乞いをする三浦義澄[よしずみ]に、首を縦に振ってみせた。義澄の表情がパッと明るくなる。 「かたじけのうございます」 「予が直接、入道に会[お]うて許そう。さすれば今後はこの鎌倉に館を持ってもよい。そ
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第三章 鎌倉殿㉒【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
日本の元号は、治承五年七月に養和へと変わり、さらに今年の五月には寿永となった。が、平家政権を認めない鎌倉政権は、引き続き治承を数えている。 治承六(一一八二)年二月。 昨年から体調を崩して寝込んでしまった朝日[あさひ]御前を見舞うため、年末年始の大倉御所は多くの御家人でごった返した。 今年に入って、朝日御前の体調不良が病ではなく懐妊だったと分かり、鎌倉は活気づいている。 祝い気分一色の中、三浦義澄[よしずみ]が、 「伊東入道の恩赦[おんしゃ]は叶[かな]いませぬか」 伊東祐親[すけちか]の罪を許してほしいと、頼朝[よりとも]に願いでてきた。挙兵から今日まで、休む間も無かった頼朝は
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第三章 鎌倉殿㉑【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「その方たちの申すことはもっともである」 頼朝[よりとも]は、御所に押し掛けて来た御家人たちの目を一人ずつ覗[のぞ]きながら、うなずいた。 富士川の戦いの後、逃げる平家方を掃討しつつ西上しようとしたとき、強く反対した上総広常[かずさひろつね]、千葉常胤[つねたね]、三浦義澄[よしずみ]が今日も中心となっているようだ。他にも、和田義盛[よしもり]や土肥実平[どひさねひら]、足立遠元[とおもと]らの顔も見える。 舅[しゅうと]の北条時政[ときまさ]や小野田盛長[もりなが]もこの場にいたが、二人は初めから頼朝の傍に控えていた。 広常らは、頼朝が平家に和睦[わぼく]を持ち掛けたことを伝え聞
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第三章 鎌倉殿⑳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
吾[われ]は落ちこぼれなのだ、と宗盛[むねもり]は卑下[ひげ]する。栄華を極めた平家一門を率いてよい男ではない、という自覚もある。宗盛は、兄弟たちの顔を一人ずつ思い浮かべた。 本来、家を継ぐはずだった嫡妻の子重盛[しげもり]は、優秀な兄だった。文武両道に秀で、誰からも頼られ、あらゆる折衝も卒なくこなした。だのに、あっけなく病で死んでしまった。重盛と同母の兄基盛[もともり]も二十四歳の若さで死んでいる。二人の母親も、早くに亡くなった。 宗盛は、継室として迎えられた時子[ときこ]が産んだ最初の男児である。時子は他に、知盛[とももり]、徳子[とくし](安徳[あんとく]天皇の母)、重衡[しげひら
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第三章 鎌倉殿⑲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「武衛が平家との和睦[わぼく]を望んでおじゃる。よくよく検討いたせ」 と後白河[ごしらかわ]法皇から聞かされた平宗盛[むねもり]は、いったん御前を退いたあと、ぎりぎりと歯軋[はぎし]りをした。 「おのれ、頼朝[よりとも]。小癪[こしゃく]な手を打ちおって」 独り部屋に籠[こも]って吐き捨てる。兄弟たちに知らせようかとも思ったが、やめた。協議するまでもない。後白河法皇への配慮で、いったん持ち帰る形を取ったものの、返事は決まっている。 (否だ) 頼朝も、初めから平家が首を左右に振ることを見越しているに違いない。 平家は断らざるを得ないのだ。 (院は、われら平家に変わる兵力を欲してお
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第三章 鎌倉殿⑱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
挙兵した翌年、頼朝[よりとも]は降りかかる火の粉を払う以外、自ら進んでの軍事行動は控えて過ごしている。理由は二つある。 一つは、後白河[ごしらかわ]法皇が院政を復活させ、再度平家と手を組んで政務を執っているからだ。下手に動けば、頼朝勢は反乱軍とみなされる。挙兵した時と、すでに状況は違っているのだ。 ただ、後白河法皇は、平家を憎んでいる。自身に平家を追い落とすだけの軍事力がないから、嫌々手を結んでいるに過ぎない。 法皇が清盛[きよもり]の死を聞いたとたん、屋敷に遊女や白拍子を呼び、唄[うた]や踊りを繰り広げ、 「目出[めで]たや、目出たや」 叫びながら朝までどんちゃん騒ぎをしたこと
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第三章 鎌倉殿⑰【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「それで、妻と子とささやかに暮らしていきたかった義円[ぎえん]が、なにゆえ叔父上の挙兵に付き合ったのだ」 頼朝[よりとも]が全成[ぜんじょう]に訊[たず]ねる。 「きっぱりとそうするには、あまりに罪悪感が勝ったのでしょう。暮らしている場所の目の前で、源平の戦いが繰り広げられるのですから、それはもう耳を塞[ふさ]いでも目を閉ざしても、『なぜおまえは参陣せぬのだ』という声なき声が、耳を叩[たた]くではありませぬか」 「……そういうことか。義円も哀[あわ]れな。無理して辛い道を選ばずともよかったのだ」 頼朝は、二人の弟を代わる代わるに見た。 「土地を持たぬうち
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第三章 鎌倉殿⑯【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
義円[ぎえん]がなぜ行家[ゆきいえ]の陣に駆け付けたのか、桜の舞う中、全成[ぜんじょう]は理由を語り始めた。 「高倉[たかくら]宮(以仁王[もちひとおう])が、平家方から見て御謀反[むほん]を起こしたとき、園城寺[おんじょうじ]に逃げ込んだことは知っておろう、九郎」 義経[よしつね]は恥ずかしそうに目を泳がせ、首を左右に振った。 「いえ。中央のことはあまり……」 こんなことも知らぬのか、と頼朝[よりとも]は驚いた。が、少し義経という弟のことが分かった気がする。この男の行いに、政治的意図などまるでないのだろう。奥州から頼朝の許[もと]に駆け付けてきたのは、
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第三章 鎌倉殿⑮【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
後から知ったことだが、墨俣川[すのまたがわ]の戦いには、義朝[よしとも]の八男、頼朝[よりとも]にとっては異母弟の義円[ぎえん]が参陣し、平家に討ち取られた。 義円は全成[ぜんじょう]の同母の弟で義経[よしつね]の兄に当たる。 頼朝は、全成を鎌倉に呼び出し、義経にも声を掛けると、風光る中、酒を片手に三人で大倉御所の西方にある亀ケ谷まで歩いた。 黄瀬川で対面した後、ほとんど頼朝に放られていた義経は、呼ばれたことが嬉[うれ]しくて、足取りも弾んでいる。 全成の方は事情を察している顔つきだ。そんな、楽しいことじゃないよ、と言いたげに、眉を八の字にして弟を見守っている。 向かった亀ケ谷に
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第三章 鎌倉殿⑭【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
まずは武田の力を殺[そ]ぐ。 京の三善康信[みよしやすのぶ]がいつもの定期便で、都の状況を伝えてきた中に、武田信義[のぶよし]について言及している部分があった。「噂」[うわさ]で、朝廷が信義に頼朝[よりとも]追討を命じたというものだ。 富士川の戦いから半年も経っていなかったが、すでに両者の勢力は大きく差が開いてきている。鎌倉殿になった頼朝の勢力は、今も日に日に膨れ上がっているのに対し、信義率いる武田勢はむしろ人数が減った。加賀美氏のように、武田の中でも頼朝方に走る者が、時を経るごとに増えているからだ。 富士川の戦いの時、頼朝は武田に強く出ることができなかった。今は、信義にとって頼
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第三章 鎌倉殿⑬【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]はまず、全成ら[ぜんじょう]を使って、自身に関する噂[うわさ]を、京に流した。 「頼朝は朝廷に対し、謀反[むほん]の心はない。頼朝が起[た]ったのは、幽閉された院の敵、清盛[きよもり]を討つためだ」 「清盛は天罰を受けて滅び、頼朝は寺社を手厚く保護するゆえ、仏神の加護がある」 「東国の武士は、佐竹氏以外、頼朝の許[もと]に心を一つにしている」 「平家の寄越[よこ]す追討軍が来れば、撃破して後、上洛を果たすつもりだ」 「頼朝は奥州藤原氏と婚姻関係を結ぶ約束を取り付けている」 当然、嘘と真実が入り混じっている。頼朝が、これらの噂を流すことで人々に伝えたい印象は以下の
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第三章 鎌倉殿⑫【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「御台[みだい]は、私自ら清盛[きよもり]の首を取れなかったことだけが、残念だと思うか」 頼朝[よりとも]が問うた。 「いえ、討つべき大悪人がいなくなったため、これから先の『的』がぼやけておしまいになったことこそが、真に残念にございます」 「そうだ。挙兵の根拠となる令旨[りょうじ]は、そもそも院(後白河[ごしらかわ]法皇)が清盛に幽閉されたことに端を発しておる。上皇を幽閉し、王位を奪い、勝手に国を操り、わが物とした謀反の罪により、清盛とその一族ならびに家人らを討滅せよとの内容であった。ゆえに、清盛おらずとも平家を討つのに何ら矛盾はないが……」 今年の一月
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第三章 鎌倉殿⑪【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
治承五年二月二十七日に平清盛[きよもり]は謎の熱病に侵され、地獄の火炎に炙[あぶ]られる幻覚に悶[もだ]え苦しみながら、七日後の閏[うるう]二月四日に亡くなった。死ぬ間際、 「清盛の血の流れる者は、最後の一人になるまで源家と戦い、頼朝[よりとも]の首をわが墓上にかけよ」 と命じたと、鎌倉にも伝わった。 伝えてきたのは、この時もやはり三善康信[みよしやすのぶ]である。 「平相国[へいしょうこく]が死んだぞ」 頼朝は、真っ先に朝日[あさひ]御前に康信からの文を見せた。 「えっ、佐殿[すけどの]のお首を、墓前に供えるのではなく、お墓の上にかけるのでございますか」 朝日御前は、目を見
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第三章 鎌倉殿⑩【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
多くの者を許した頼朝[よりとも]だったが、大庭景親[かげちか]の首は刎[は]ねた。源家側に付いた兄の大庭景義[かげよし]に、「弟の命乞[ご]いをするか」と訊[たず]ねたところ、首を左右に振ったからだ。 景義は、保元の乱で左足の膝を射られて以来、思うように歩けず、家督を継ぐことができなかった。代わりに継いだのが、景親だ。 「大庭の家はこの三郎に任せ、兄上はこれより先はゆるりと過ごされよ」 労[いた]わりのつもりで掛けた言葉が、逆に景義の行き場のない憤懣[ふんまん]を刺激した。戦場で動けなくなった景義を救い出したのも景親なのだ。が、景義は弟を憎んだ。自分ではどうしようもない感情である。 頼
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第三章 鎌倉殿⑨【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
佐竹攻めを上総広常[かずさひろつね]の活躍で成功させた頼朝[よりとも]は、十一月十七日に鎌倉に凱旋[がいせん]した。 出陣前は朝日[あさひ]御前だけが鎌倉入りしていたが、無事に戻ってきた頼朝を、幼い龍姫[たつひめ]が出迎えてくれた。最後に見たのは八月だったから、もう三か月も経っている。顔立ちが以前よりはっきりしたようだ。 小さな桃色の唇が、父様、おかえりなさいませ、という言葉を、たどたどしくなぞる。 「父様が戻ってくるまでにと、何度も繰り返し口にしてきたのです」 姫の横で、朝日御前が瞳を輝かせ、教えてくれた。頼朝は姫を抱き上げる。 「もう一度言うてくれぬか」 父親に頼まれて、龍
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第三章 鎌倉殿⑧【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
戦勝祈願をした三島社に、御礼参りへ行く準備をしていた頼朝[よりとも]の許[もと]に、昼過ぎ、一人の男が訪ねてきた。旅装も解かず、身なりの乱れたままの弟、九郎義経[よしつね]だ。 「兄上、お会いしとうございました」 宿所に通された義経は、少し高めの声で叫ぶと、見る見るうちに目に涙を溜[た]めた。 全成[ぜんじょう]も、初めて会ったとき、「兄上」と自分を呼んで、咽[むせ]び泣いた。あの時はいじらしく感じたが、広常[ひろつね]らとのやり取りの後では、 (九郎はいったい何を望み、平泉からわざわざ私の前に現れたのだ) その意図を探ろうとする冷めた己がいる。 「全成には会うたか」 頼朝の問
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第三章 鎌倉殿⑦【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
屈辱的だったが、頼朝[よりとも]自身が一兵も持たぬのは、周知の事実だ。怒りを露[あら]わにすれば、笑いものになるのは己であった。 (頭を冷やせ) 朝日[あさひ]御前が嵐の中、蛭島[ひるがしま]の頼朝の許[もと]に走った夜、自分は教えられたのではなかったか。自身の目だけではなく、他者の目も持てと。 (よく考えろ。平家の軍勢を追撃して「利」があるのは誰だ) それは頼朝であって、源家に味方している東国武士らではない。 (広常[ひろつね]らは、なぜ参向した) 平家に付くより頼朝の味方をした方が「利」があるからだ。武士の利とは具体的には領土のことだ。今のままの世が続けば、平家の息のかかった者ど
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第三章 鎌倉殿⑥【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
これが、その後おおよそ八百五十年の長きにわたり、維盛[これもり]が嘲笑され続けることになる、「水鳥の羽音で総崩れとなった富士川の戦い」の顛末[てんまつ]である。 頼朝[よりとも]は、憐[あわ]れな、と維盛にわずかに同情した。だが、これこそが「時の勢い」というものなのだ。平家は官軍を名乗ってさえ、すでに味方となる者が少ない。その事実を、都以東に晒[さら]してしまった。 (平家は滅びる。そして、源家の世が来る) 頼朝は、確かな予感に、ぶるりと身震いをした。この「時の勢い」を、もっと確かなものとするため、少々無理をしても追撃すべきだ。 (このまま都まで駆け上がれるのではないか) 逸[は
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第三章 鎌倉殿⑤【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
黄瀬川に集まった頼朝[よりとも]勢の中には、ここまできて先陣争いに加われないことを、不満に思う者もずいぶんいた。 空気がひりついている。 戦が始まり、武田勢が次々と手柄を挙げ始めれば、どれだけの武将がじっとしていることができるだろうか。 (果たして抑え込むことができるのか。全軍の将としての資質を試されることになろう) 頼朝はわずかに身構えながら、気を張っていた。 二十日の夜。宿所で寝ているところを盛長[もりなが]に叩[たた]き起こされた。 「平家軍、敗走」 との言葉に、頼朝は耳を疑う。 「どういうことだ。何があった」 「はっきりとしたことは未[いま]だ何も…&
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第三章 鎌倉殿④【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
祐親[すけちか]が義澄[よしずみ]によって連れていかれた後、頼朝[よりとも]はその子祐清[すけきよ]を連れてこさせた。祐親の時とは違い、縄は打たず、体は自由にしてある。祐清は、土の上に平伏し、何一つ言い訳せずに頼朝の裁断を待った。 祐清は、かつては流人だった頼朝によく仕えてくれ、父祐親に逆らってまで命も救ってくれた。頼朝にとって恩ある男だ。処罰を与えるつもりは毛頭ない。 頼朝は床几[しょうぎ]を降り、祐清の前まで歩むと、片膝を立ててしゃがみ、親しく肩に手を添えた。 「長い間、流人時代を支えてくれたことは忘れておらぬ。石橋山で予に弓を引き、許された者は多くいるゆえ、その方の行いも不問
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第三章 鎌倉殿③【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「まさか相撲を取りたくて駆け付けたのではあるまいな」 つい、親しさから頼朝[よりとも]は軽口を叩[たた]いた。天野遠景[とおかげ]は、嬉[うれ]しげな顔を一瞬、見せたものの、すぐに真顔に戻り、 「伊東入道とその子九郎を捕らえ、引き連れて参りました」 伊東祐親[すけちか]と祐清[すけきよ]を生け捕りにしたことを告げる。 (何だと) 祐親から受けた数々の屈辱が、頼朝の中に瞬[またた]く間に蘇[よみがえ]る。流人風情が、と罵[ののし]られ、子を殺され、自身も命を狙われた。到底、許せることではない。 「一人ずつ会おう。入道から連れて参れ」 縄を打たれ惨[みじ]めな姿で引きずり出された
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第三章 鎌倉殿②【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
十月十九日。 頼朝[よりとも]は、平維盛[これもり]を総大将とする平家の頼朝追討軍と対峙[たいじ]するため、三日前に鎌倉を出て駿河国黄瀬川まで進軍していた。 すでに武田勢や時政[ときまさ]、義時[よしとき]父子らも到着している。加藤光員[みつかず]、景廉[かげかど]兄弟も、石橋山の敗走後に甲斐に逃れ、時政や義時と合流していた。聞けば、思った以上に甲斐に逃れた者は多いようだ。 彼らは、武田勢に混ざり、駿河国目代橘遠茂[とおもち]を攻め、首級を上げていた。討ち取ったのは、光員だ。弟が山木兼隆[かねたか]の首を取ったことを合わせれば、加藤兄弟の働きは格別である。 流人時代、 「佐殿[す
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第三章 鎌倉殿①【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
(ここが鎌倉……) 治承四(一一八〇)年十月十一日。 朝日[あさひ]御前、後の北条政子[まさこ]は、武衛頼朝[ぶえいよりとも]の御台所[みだいどころ]として、鎌倉入りを果たした。 本当は昨日のうちに着いていたが、縁起を担いで今日にしたのだ。妹たちや娘の龍姫[たつひめ]は、まだ潜伏先の秋戸郷[あきとのごう]にいる。まずは朝日御前だけが駆け付けたのである。 (やっと会える。やっと、やっと) すました顔をしていたが、心の中は余裕がなかった。石橋山の大敗の報に触れて以来、頼朝は無事だろうか、このままどうなるのだろうか、と毎日不安で胸が潰[つぶ]れそうだった。九
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第二章 決起㊵【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
下総[しもうさ]国から武蔵国へ向かうための渡河は、上総広常[かずさひろつね]と千葉常胤[つねたね]主導で行わせた。 佐々木兄弟が石橋山の戦いでばらばらになった伊豆や相模の兵を集め、全成[ぜんじょう]と共に引き連れてきたので、頼朝[よりとも]の使える軍勢は三万騎に膨れ上がっている。 「石橋山で戦ったのが八月二十三日、そして今日が十月二日。ここまで来るのにわずか四十日……。見渡す限り味方の兵でございますなあ」 隅田川の対岸、武蔵の地を踏んだ頼朝の横で、盛長[もりなが]がしみじみと言った。 その盛長の甥で武蔵国足立荘を本拠とする足立遠元[とおもと]が、手勢を引
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第二章 決起㊴【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「佐々木四兄弟、みな無事であろうか」 頼朝[よりとも]は、急かすように全成[ぜんじょう]に尋ねた。頼朝に付いた、定綱[さだつな]、経高[つねたか]、盛綱[もりつな]、高綱[たかつな]のことだ。 「誰一人欠けることなく御無事です」 「おおっ。されど、戦から一月[ひとつき]以上、いったいどこに隠れておったのだ」 戦地も、その周辺も、大庭勢の支配下に置かれているはずだ。一番土地勘のある居住地の渋谷[しぶや]荘は、領主の渋谷重国[しげくに]が平家方に付いたから戻れまい。そう考えたが、 「渋谷殿がずっと匿[かくま]ってくだされました」 全成は意外なことを口にした。 「何だと。重国は敵で
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第二章 決起㊳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
全成[ぜんじょう]は、頼朝[よりとも]に促されるまま語り始めた。 「平治の乱が起こったのは、七つを数える年でした。母は清盛[きよもり]の前に引き出され、私と二歳下の弟八郎(義円[ぎえん])は、それぞれ醍醐寺[だいごじ]と園城寺[おんじょうじ]に預けられました」 「叔父上も園城寺ゆえ、義円の話は少し聞いておる」 「はい。祐範[ゆうはん]様とわれらには、血の繋[つな]がりが無いというのに、兄上(頼朝)とのご縁で、ずいぶんと目をかけていただいたと、弟も感謝しております」 「九郎(義経[よしつね])は鞍馬[くらま]寺だったな」 「まだ生まれたばかりの赤子だったため、大蔵卿[おおくらきょ
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第二章 決起㊲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
広常[ひろつね]の時とは違い、頼朝[よりとも]は訪ねてきた一人の僧兵を、鷺沼[さぎぬま]の宿所の方に親しく招き入れた。人払いをして、二人きりになる。 僧兵は、頼朝をじっと見つめると、じわりと涙を浮かべ、感慨無量と言いたげに、 「兄上……」 と頼朝のことを呼んだ。 六歳下の異母弟だ。幼名今若丸[いまわかまる]、醍醐寺[だいごじ]に預けられて出家し、今は全成[ぜんじょう]と名乗っている。 頼朝は内心ひどく戸惑った。「兄上」と呼ばれたところで、これまで一度も会ったことのない弟だ。全成の母は、義経[よしつね]と同じ常盤[ときわ]御前である。身分が低いため、仮に
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第二章 決起㊱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は厳しい態度を取ったが、実のところ上総広常[かずさひろつね]を手放す気などない。これはいわば政治的駆け引きだ。 藤原忠清[ただきよ]の讒言[ざんげん]で清盛[きよもり]から嫌われている広常が、平家政権の下で奪われ続ける日々に甘んじるはずもなく、頼朝から離れれば独立して起[た]つほか道はない。 だが、白旗の下にどんどん人が集まりつつある頼朝勢と違い、広常の軍勢が二万から増えることはない。その二万とて、頼朝と敵対すると聞けば、離れる者もかなり出るのではないか。 案の定、取り次いだ盛長[もりなが]がすぐに戻ってき、広常が謝罪を申し入れてきたことを告げた。頼朝の読み通りだ。
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第二章 決起㉟【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
九月も下旬に差し掛かるころ、安西景益[かげます]が安房[あわ]国府を制圧し、一千騎に膨れ上がった軍勢を引き連れてきた。下総[しもうさ]の国府南西の高地、鷺沼[さぎぬま]城を宿所にしている頼朝[よりとも]と合流する。 頼朝は、占拠した国府北方の台地に、武蔵国側に見せつけるよう、源氏の白旗数十流れをはためかせ、武威を示した。 これには思った以上の効果があり、日に日に人が集まってくる。数日前には三百騎しかいなかった頼朝軍は、今では万を数えるほどになった。 そして、ようよう上総広常[かずさひろつね]が頼朝を訪ねてきたのだ。 取り次いだ盛長[もりなが]が、 「奴め、なかなかどうして。二万もの
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第二章 決起㉞【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が動かせる手勢は未[いま]だ五百騎に満たない。このうち、安西景益[かげます]の集めた軍勢には、安房[あわ]の役所を襲わせる。 (今、引き連れて出立できるのが……三百騎ほどか……) 三百騎を連れて、旗色のはっきりしない上総[かずさ]を通過せねばならない。もし、広常[ひろつね]が襲い掛かってくれば、頼朝の命運は尽きる。 待っていれば千葉氏が頼朝を迎えにくるかもしれない。だが、それを当てにしているようでは、将としての底が知れる。手勢三百を数万騎に変えるため、頼朝自身の力で死地を踏み越えるのだ。 頼朝は再び広常に書状を
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第二章 決起㉝【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は景益[かげます]の進言を受け入れ、上総[かずさ]広常[ひろつね]を呼び出すことにした。上総氏を訪ねて引き入れた後、千葉氏に使いを送るつもりでいたが、同時に参向を促す。 広常には和田義盛[よしもり]を、千葉常胤[つねたね]には盛長[もりなが]を使者に立てた。自身は、景益の館に入る。 二日後、義盛が広常の返事を持って帰った。「千葉氏と相談し、参上する」という煮え切らぬ内容だが、頼朝は広常は必ず己に付くと読んでいる。 (あの男はもう、平家政権の下では生きられぬ) 愚図[ぐず]るのは、もったいぶっているからだろう。 (広常め、己をできるだけ高く売る気だな) 頼朝勢に参加
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第二章 決起㉜【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「おおっ、鬼武者様、いえ、佐殿[すけどの]、お久しゅうございます。この通り景益[かげます]が駆け付けて参りましたぞ」 翌日。書状で呼び付けていた安西三郎景益が、言われた通りに近隣の在庁官人を引き連れ、頼朝[よりとも]の宿所を訪れた。 頼朝も懐かしさを隠しきれず、立ち上がって迎え入れる。 「三郎か、待ちかねたぞ。元気そうで何よりだ」 景益の頬を両手で撫[な]でんばかりのはしゃぎように、盛長[もりなが]がぽかんとなる。頼朝は軽く咳[せき]払いをし、 「かように早く参向してくれるとは、嬉[うれ]しいぞ。書状を受け取り、すぐさま出立してくれたのだな」 泊まっている部屋に景益を招き入れた
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第二章 決起㉛【夕刊小説・頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
幼少期にどれほど親しく接していても、乳母子[めのとご]の山内首藤経俊[やまのうちすどうつねとし]のように裏切る輩[やから]もいる。 経俊は、石橋山の戦いに大庭景親[かげちか]の傘下として参戦しただけでなく、頼朝[よりとも]の首を狙って直に弓を射た。自分でもどうかしていると思うほどの執念だが、頼朝は経俊の射た矢が刺さる鎧[よろい]を、刺さったままの状態で、配下の者に房州まで運ばせてある。 「矢も抜かず、これをどうなさるおつもりですか」 人の良い盛長[もりなが]が心底不思議そうな顔で訊[たず]ねてきたが、頼朝はフッと笑っただけで答えなかった。 再起した後、経俊を捕らえ、その鎧を見せな
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第二章 決起㉚【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
安房[あわ]国平北郡猟嶋の地を踏んだ頼朝[よりとも]を、先に渡っていた北条時政[ときまさ]や義時[よしとき]、三浦義澄[よしずみ]、岡崎義実[よしざね]らが出迎えた。 「佐殿[すけどの]、よくご無事で」 時政の目に涙が滲[にじ]んでいる。頼朝の胸にも熱いものが込み上げてきた。まずは時政の目を見つめ、他の男たちの顔も、一人一人語り掛けるように見渡す。 「そこもとらもよくぞ生きて、源氏の白旗の下に再び集ってくれた。これからまだまだ戦が続くが、頼りにしておるぞ」 力強く労った。おうっ、と鯨波[げいは]が上がる。 体は疲れていたが、一息つく暇はない。 房総へ渡ったのは、大庭勢の勢いが届
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第二章 決起㉙【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
楠[くすのき]の丸太をくりぬいた側面に棚板を貼った小舟で、頼朝[よりとも]は房州を目指した。 舷か[ふなべり]ら海側にせり出す上船梁[うわふなばり]に渡した板の上で、土肥実平[どひさねひら]の雇った水手[かこ]らが、塩水を浴びながら舟を漕[こ]ぐ。沖に押し出されて黒潮に流されれば、二度と陸には着けぬという。赤銅[しゃくどう]に焼けた名も知らぬ男たちに、今は命を預けるよりほかない。 共に乗っているのは、腹心の盛長[もりなが]と、案内役の実平と、その郎党一人だけだ。 何ともいえぬ頼りなさの中、頼朝は戦で命を落とした男たちのことを想った。 (そうか、三郎〈宗時[むねとき]〉は死んだのか&he
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第二章 決起㉘【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
月が替わり九月になった。走湯権現[そうとうごんげん]に逃げ込む頼朝[よりとも]残党が後を絶たぬため、平家の探索に備え、朝日[あさひ]御前たちは近くの郷へ居を移した。ちょうどその日に、一人の男が訪ねてきたのだ。男は土肥弥太郎遠平[どひやたろうとおひら]で、朝日御前とも顔見知りだ。 「おや、御台[みだい]様は、今日は女の形[なり]をしてますな」 おどけた口調でからかった。遠平の明るさから察し、 「佐殿[すけどの]は、ご無事なのですね」 高鳴る胸を押さえ、朝日御前が訊[き]く。 「ご無事でございますとも。心配しているだろうから早く御台様に知らせてほしいと、真鶴岬から房州へ向かう舟に乗る
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第二章 決起㉗【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
石橋山の戦いにて、頼朝[よりとも]大敗。その後、行方知れず―――。 この知らせが走湯権現[そうとうごんげん]に身を潜める朝日[あさひ]御前の耳に、噂[うわさ]として届いてから数日が過ぎた。朝日御前の胸は潰れそうになったが、 (未[いま]だ、お亡くなりになったというお話は、口の端に上っていないのだから、気を強く持たなければ。それに、あの方は必ず迎えに来ると約束してくれた……) 妹たちが、これから北条の女はどうなるのかと打ち震えている姿を見るにつけ、自分がしっかりしなければと、気持ちを奮い立たせる。 (父上や兄上、それに四郎……ど
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第二章 決起㉖【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
景親[かげちか]の脇には、その弟・俣野景久[またのかげひさ]が佐奈田与一義忠[さなだよいちよしただ]の兜[かぶと]を被ったままの首を郎党に持たせ、兄を守るように立っている。 戦が始まる前、若い義忠は初陣に張り切って、ひときわ派手な鎧[よろい]を着ていた。嬉しそうにしている姿が微笑[ほほえ]ましかったものの、それでは標的になる。頼朝[よりとも]は、「目立つから着替えた方が良いぞ」と声を掛けたが、「戦は男の晴れ舞台でござればこのままで」と首を左右に振った。 「ならば、景親か景久の首を、お前が取れ」 将来への期待を込めて頼朝が掛けた言葉を、義忠は守ろうとしたのだ。 (あんな闇の中で、景親兄
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第二章 決起㉕【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「きっと、到着を佐殿[すけどの]にああいう形で知らせたのでしょう」 頼朝[よりとも]はほっと息をついた。闇の中、逆巻く川を前に今は渡ることができずとも、こちらが持ちこたえれば、いずれ三浦勢が来る。そうなれば、互角に戦えるはずだ。 「三浦党が渡河するまで、何としても持ちこたえるぞ」 頼朝勢は活気づいた。が、煙が見えるのは大庭方も同じだ。三浦党が川を渡れば挟撃[きょうげき]される。その恐怖に突き動かされたのか、朝を待たず、風が吹き荒れる闇夜の雨中を突き、頼朝陣営に一斉に襲い掛かった。 頼朝は、景親[かげちか]がよもや夜のうちに攻めてくるとは思わなかった。 (景親は戦が下手なのか。闇夜は
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第二章 決起㉔【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
土肥実平[どひさねひら]の所領に着き、頼朝[よりとも]率いる三百騎は、三浦崎(三浦半島)方面に向かって相模湾沿いを北上した。三浦崎の入り口、鎌倉にほど近い鐙摺[あぶずり]館に結集した三浦氏も、すでに土肥に向かって早駆けしているらしい。 だが、頼朝勢が早川まで来た時、三浦勢より早く大庭景親[かげちか]率いる平家方軍勢が、一里(四キロ)ほど先の丸子川(酒匂[さかわ]川)の対岸に姿を現したと知らせが入った。このまま進軍しても踏みとどまっても、平地で大庭勢を迎え討たねばならなくなる。 向こうは三千、こちらは三百。寡兵で大軍に当たるには、狭隘[きょうあい]の地に誘い込むべきだが…&
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第二章 決起㉓【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三浦氏は桓武[かんむ]平氏の流れだが、義明[よしあき]は娘を義朝[よしとも]に嫁がせ、源家との縁が深い。頼朝[よりとも]の兄・悪源太義平[よしひら]の母が遊女だったため、義明の母が養母となって養育した。 平治の乱の折は、東国の義朝の家人を束ねて上洛したのは義平だ。今、頼朝に従う武士の多くが、一度は義平の下で戦った者か、その遺族である。 ことに、義明の息子・義澄[よしずみ]、平山季重[すえしげ]、足立遠元[とおもと]、上総広常[かずさひろつね]らは、義平と共に、五百の軍勢にわずか十七騎で斬り込んだ強者[つわもの]たちの生き残りだ。その勇猛な過去を誇りに、生きている。神々しいまでに猛[たけ]
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第二章 決起㉒【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は縁側に出て、厩番[うまや]に命じ、何度も木に登らせた。襲撃の際、順当にことが進むようなら、山木館に火を掛けるよう命じてある。 だが、いつまでたっても煙が上らない。確かに繰り出した兵数は少ないが、敵方も三島社の神事で出払って、手薄のはずだ。 (苦戦しているのか) 頼朝は横に控える盛長[もりなが]に、館に残っていた加藤景廉[かげかど]、佐々木盛綱[もりつな]、堀親家[ちかいえ]を呼び出させた。 「迂回[うかい]路から徒歩で山木攻めの援護に向かえ」 全員に命じ、特に景廉には自身の薙刀[なぎなた]を渡す。 「これで兼隆[かねたか]の首を取れ」 日頃の大言を現実のも
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第二章 決起㉑【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
治承四年八月十七日夜。二十年間引きこもっていた流人頼朝[よりとも]は、武士の棟梁となるべく、人生逆転への第一歩を踏み出した。 策は、実際に兵を率いて山木館を襲撃する時政[ときまさ]にのみ伝えてある。漏れるのを防ぐためだ。 自身は北条館を動かず、不測の事態に備え、全体の動きに合わせて予備兵力を適宜、投入するのだ。 時政は、三島社の祭りのために、大通りが人で溢[あふ]れていることを危惧し、迂回[うかい]路を取ることを進言したが、その方角はぬかるんで馬が使えない。 「全ての初戦ゆえ、堂々と騎馬で大路を行け」 頼朝は突っぱねた。 「雌雄を決し、これより先の吉凶を判ずる。出陣せよ」 よく通
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第二章 決起⑳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
夜。二人きりになると、朝日[あさひ]御前が膝枕をしてくれた。 「寝ぬつもりか」 「顔を見ていたくて」 この日は特別に、枕元で灯りをともしている。 「いよいよ明日だ。怖くはないか」 本当なら、女子供は先に走湯権現[そうとうごんげん]に逃してやりたかった。だが、北条館と山木館の距離は半里(二キロ)ほどしかなく、山木方の下男がこちらの下女に夜這[よば]いに来ている。 それぞれの郎党たちは祭りの人出に紛れ、北条荘のあちらこちらに身を潜めている。頼朝[よりとも]の館にはここ数年の間、毎日のように誰かしらが遊びに来ていたので、武士の出入りが多くてもさほど不審には思われないだろう。だが、館の
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第二章 決起⑲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
決起予定十七日の二日前から、まるで頼朝[よりとも]の運命を暗示しているかのようにどす黒い雲が立ち込め、やがて雨が降り始めた。それが、時が経つほどに激しさを増していく。 雨中でも、大馬鹿者らはぞくぞくと頼朝の許[もと]に集まってきたが、十六日の夜になっても佐々木兄弟の姿が見えない。 佐々木家は元々近江国に本領を有する豪族だったが、平治の乱で敗れて後、国を追われた。当主秀義[ひでよし]は藤原秀衡[ひでひら]の従弟[いとこ]に当たるため、奥州藤原氏を頼り、東下した。ところが、その途上、相模国で宿を借りた渋谷重国[しぶやしげくに]の家があまりに居心地良く、ずるずる居候するうちに二十年が経って
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第二章 決起⑱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は時政[ときまさ]の前に数枚の絵図を取り出した。 「これは」 「山木郷の詳細を記した絵図だ」 郎党の藤原邦通[くにみち]に探らせ、描かせたものだ。遊芸諸般に秀で、占いもできるため、敵地に乗り込んで探らせるのに適した男だ。 時政は、頼朝が周到に準備を進めていたことを知り、ほっと息を吐いた。 山木攻めの決行日は、八月十七日早朝と決まった。三島社の神事のため、この近隣の者たちは、みな三島に出向く。山木方の力が最も削[そ]がれる日だ。 頼朝は、呼び出しに応じて配所に参向してきた豪族たちを、一人ずつ私室に呼び入れた。 工藤茂光[もちみつ]、土肥実平[どひさねひら]、岡崎
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第二章 決起⑰【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
時政[ときまさ]は、ぽかんとした顔を頼朝[よりとも]に向けた。 「山木殿を何故[なにゆえ]」 平兼隆[かねたか]は、山木郷在住のため、山木殿と呼ばれている。 「山木郷は、北条荘と同じ田方郡にあり、目と鼻の先に位置する。遠征せずとも北条館を拠点に、吾[われ]が先手を打てる唯一の平家方だからだ。さらに比較的規模が小さく、不意を突いて援軍の来ぬ間に片を付けられれば、最初の一勝を掴[つか]めよう」 いざことが起こったときに、誰が味方して誰が敵に回るのか、この一月[ひとつき]ほどでだいたい見えてきた。頼朝の読みでは、ほとんどの者が最初の一戦では動かないということだ。みな、口では良いように言っ
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第二章 決起⑯【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
怖い―――。 挙兵を目前に、頼朝[よりとも]は強い恐怖心に囚[とら]われていた。態度に出れば誰も付いてこなくなると、冷静を装っていたが、胃がきりきりと痛み、食欲も出ない。 朝日[あさひ]御前と結ばれて以降、太って貫録の出ていた体は、八月を迎えるころにはすっかり細ってしまった。本音を吐露するなら、何もかもが分からなかった。 (挙兵とは……どうするのだ?) 鹿ケ谷[ししがたに]の陰謀にしても、以仁王[もちひとおう]の平家打倒の計画にしても、全て事前にことは露見した。だから、頼朝は未だ時政[ときまさ]以外の者に、「挙兵」という直接的な言葉は一切発したことがない
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第二章 決起⑮【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三善康清[みよしやすきよ]が帰ると、頼朝[よりとも]の周囲はにわかに慌ただしくなった。 まずは時政[ときまさ]を呼び出す。以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]の際は、舅殿[しゅうと]への相談という形を取ったが、今回は違う。主君として自身が上座に着くことで、時政を家臣として扱った。 時政は頼朝のまとう空気の変化を敏感に察し、以後、態度も口調も、臣下の礼を尽くすようになった。頼朝は、時政という男の資質に満足した。 そのうえで、事態が暗転したことを淡々と告げる。 「佐殿[すけどの]の御心は決まっておいでか」 「うむ。これより迎え撃つ用意をいたす」 時政は目を閉じ、わずかに上を向
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第二章 決起⑭【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
―――平家の差し向ける討伐軍が、近々首を取りにくる。 衝撃的な知らせに、頼朝[よりとも]は胸をぎゅっと掴[つか]まれる思いがした。背骨が内側から粉々に砕けていくような、気持ちの悪い感覚が体中に広がる。 これが世にいう、「足元から崩れていく」という感覚なのだろうか。鼓動が激しく鳴り、頭に血が上ったのか、くらくらする。 「兄が申すには、一刻も早くこの地を離れ、どこか平家の手の届かぬところへ……」 康清[やすきよ]はしばし視線を泳がせ、言いにくそうに続けた。 「つまり……お逃げになるのがよいかと……」
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第二章 決起⑬【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
その知らせをもたらしたのは、やはり三善康信[みよしやすのぶ]だった。いつもの定期便ではない。毎月、三度遣わされる使者は、数日前に来たばかりだ。 今度の使者は、頼朝[よりとも]に急を告げに駆け付けてきたのだと知れる。しかもやってきたのは、立ち居振る舞いが隠しようもなく優美な男だ。変装はしていたものの、朝廷に出仕経験のある頼朝には、男が僕従ではなく貴族だと一目で知れた。 「吾[われ]は康信の弟の康清[やすきよ]と申すもの」 二人きりになると男は名乗った。 「おお、三善殿の……」 当人ではないとはいえ、これまで二十年間尽くしてくれた康信の肉親を目の当たりにし
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第二章 決起⑫【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
令旨[りょうじ]が届いてから、頼朝[よりとも]は朝日[あさひ]御前(朝日姫・政子[まさこ])と娘の龍[たつ]姫(大姫)と過ごす時間をいっそう大切にした。数え三歳の娘とは、他愛[たわい]ないことばかりする。手を繋[つな]いで散策しながら花を手折ったり、川を覗[のぞ]き込んで魚を探したりした。 龍姫は頼朝が傍[そば]にいると機嫌が良い。 「父様、父様」 愛らしい声で呼び掛け、にこりと笑う。 娘の顔を見ていると、なぜ自分は戦わねばならぬのかという、源氏の嫡男として許されぬ恐ろしい感情が湧き上がってくる。 自分にとって本当に大事なものは何なのか。真に手にしたかったものとは―――。もし、自
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第二章 決起⑪【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「これは……」 以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]に目を通すうちに、時政[ときまさ]は色を失っていく。視線は文末に至ったはずだが、しばらく令旨を睨[にら]みつけたまま、顔を上げようとはしなかった。 処刑宣告されたような気分だろうと、頼朝[よりとも]は時政の心中を推し量った。娘と頼朝の婚姻を表立って認めたときから、いつか起[た]つ日が来ることを、時政にしても覚悟していたはずだ。が、いざとなると底なしの沼に沈むような恐ろしさが、ぞわぞわと這[は]い上がってくるのであろう。 頼朝も怖い。だが、もし此度[こたび]に機が見えるなら、屈辱にまみれた一族の後継者と
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第二章 決起⑩【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は水干[すいかん]姿で源行家[ゆきいえ]の前に出た。以仁王[もちひとおう](高倉宮)の令旨[りょうじ]を持ってきたというので、内心はひどく動揺している。 (高倉宮が、流人に何の用があるというのだ。それに令旨とはいったい……) 頼朝は、何か突飛な印象を受けた。以仁王という名に、馴染[なじ]みがなかったためである。 以仁王は後白河[ごしらかわ]法皇の第三皇子だが、親王宣下は受けておらず、政[まつりごと]の表に名が上ることもなかった。頼朝が以仁王を重要人物と目したことなど、今日まで一度もなかったのだ。 首を傾[かし]げる思いで、行家から令旨を受け
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第二章 決起⑨【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
重盛[しげもり]は、院と対立を深めていく平家の中で、後白河[ごしらかわ]法皇との橋渡しのできる最後の人物だった。それが、死んだ。 後白河法皇は、重盛の所領を取り上げ、前月に亡くなった清盛[きよもり]の娘・盛子[もりこ]管理下の摂関家領をも没収した。それだけでなく、平家に不利な人事異動すら行った。 清盛が激怒したのは言うまでもない。清盛は十年前から、日宋貿易で栄える摂津国福原に屋敷を構えていたが、数千騎もの軍勢を引き連れ、直ちに上洛した。 それだけで、後白河法皇は震え上がった。清盛が口を開く前に、自ら今後の政[まつりごと]への不介入を誓ったのだ。 が、清盛は許さず、法皇を鳥羽の離宮に
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第二章 決起⑧【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が朝日[あさひ]姫と走湯権現[そうとうごんげん]へ逐電してから、三年弱の月日が流れた。 その間、朝日姫は頼朝の娘を産んだ。この子が、驚くほど美しい。頼朝も朝日姫も顔立ちは整っている方だが、比べようもない。 噂を聞きつけた時政[ときまさ]が、いそいそとやってきて、 「吉祥天女[きっしょうてんにょ]のように可愛[かわい]らしい子よ」 顔をしわくちゃにした。朝日姫に促され、抱き上げる。「あばばば」とあやしながら、 「そろそろ北条荘に戻ってこぬか、婿殿」 頼朝に声を掛けた。 「義父[ちち]上とお呼びしても宜[よろ]しいのか」 頼朝の問いに、 「今後、何が起きても、
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第二章 決起⑦【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
真実は一つではない。見えるものが全てではないのだ。 相対する人物の眼は[まなこ]、いかなる景色を見ているのか―――必ず推し量る癖をつけようと頼朝[よりとも]は肝に銘じた。 それは、相手がどんな情報を保有しているか、精査することと等しい。 (姫には大切なことを教えられた。やはり、わが人生において、かけがえのない人だ) 時政[ときまさ]と敵対する形で朝日[あさひ]姫の手を取れば、頼朝の評判は再び落ちるだろうが、自分さえしっかりしていれば取り戻せる。だが、姫のような女は、二度と巡り合えぬかもしれない。 頼朝は今、自身の未来を大きく分かつ岐路に立っている。自然と脂汗が滲[にじ]む。 (
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第二章 決起⑥【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が何か言う前に、 「水が引いたら、父上の手の者が捕らえに来る前に、私は独りで走湯権現[そうとうごんげん]様へ参ります。佐殿[すけどの]は、北条館へ戻るよう私を説得して帰したゆえ、その後のことは分からぬと、父には言うてくださりませ」 きっぱりと、二人が今後成すべきことを朝日[あさひ]姫は口にした。 「何を言うのだ。二人の問題を、何もかもその方だけに押し付けて良い道理があろうか」 「けれど、佐殿は私の身勝手な振る舞いに、困っておいでです」 頼朝は言葉に詰まった。こちらの動揺は、とうに見透かされている。それに、先刻の印象とは違い、思ったより姫は冷静だ。驚きはしたが、今の
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第二章 決起⑤【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「会いたくて会いたくて、来てしまいました。この野分[のわき]で、見張りが手薄になったのです」 冷え切った体を震わせながら、朝日[あさひ]姫は頼朝[よりとも]の目を見つめた。 時政[ときまさ]は反対したが、怒ってはいなかった。時を待つのが最善だったはずだ。それを、こんなふうに無理を通せば、きっと頑[かたく]なになるだろう。 (何ということをしてくれたのだ) そう思う一方で、恐ろしい嵐の暗闇の中を、女独りで走った姫のひたむきさに、頼朝の心が震える。これほど激しい女は見たことがない。泣きたくなるような嬉しさの中、頼朝は姫を抱きすくめた。 「荒れ狂う風の中、何が飛んでくるやもしれぬ。死ぬ
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第二章 決起④【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
いったん横になった頼朝[よりとも]だが、虫の知らせというのだろうか。何か心ざわめいて、半身を起こした。室内はすでに闇に沈んでいる。 雨音は少しずつ激しさを増していく。盛り土を固め、そこそこの雨なら土橋の役割を果たす道も、半時経たぬうちに水没するだろう。 遠くで馬がいなないたような気がした。まさか、と思いつつ頼朝は立った。もう長く住んでいる場所だ。目を閉じていても、苦も無く移動できる。 灯りは点けぬまま、蔀[しとみ]に守られた障子の傍に寄って耳をそばだてた。気のせいだったのか、雨音以外、何も聞こえない。 (いや、待てよ) 息を止め、しばし外の音に集中する。水しぶきの上がる音とともに
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第二章 決起③【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「まあ、時期が悪い。汲[く]んでくれ」 時政[ときまさ]はくどくどした説明は省き、そうとだけ言った。微妙な言い方だ、と頼朝[よりとも]は思った。 「時期が過ぎれば、大姫をいただけるのか」 「女なら、幾らでも用意致そう」 「大姫でなければ意味がござらぬ」 「巻狩[まきがり]の後、佐殿[すけどの]は近隣の豪族らと交流を深めているそうではないか……。もしもの時を見越しての行いと見たが、どうだ」 そうだ、と言えるわけもないから、頼朝は黙っている。言質[げんち]を取られ、今清盛[きよもり]に突き出されれば、頼朝も顔を踏まれて殺されるだろう。 頼朝が答えないの
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第二章 決起②【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
鹿ケ谷[ししがたに]の陰謀事件には、別の側面がある。事件が起こる少し前、後白河[ごしらかわ]法皇と寺社は対立を深め、平家は院命で比叡山攻めを行うことが決まっていた。 寺社勢力との反目は、どんな権力者にとっても命取りになり兼ねぬ。進んで、敵対したい者などいない。この世の春を謳歌[おうか]する平家とて、真っ向から対決することになれば、どれほどの痛手を被ることか。 これまで細心の注意を払い、時に機嫌を取りつつ上手[うま]くやってきた清盛[きよもり]としては、どうしても避けたい事態だったに違いない。だが、法皇の命とあらば、兵を動かさぬわけにいかぬ。平家とはそのための家柄なのだから。清盛は、忸
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第二章 決起①【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
元号が、安元から治承に変わって間もない野分[のわき]の季節。頼朝は写経の手を止め、亀[かめ]に一杯の白湯を頼んだ。 「まだ続けられますか」 椀を渡しながら訊[たず]ねる亀に、頼朝は首を左右に振る。 「いや、もう寝よう」 これ以上、起きていては灯りの油がもったいない。いざという時のために銭を貯めねばならない。それに、数か月前に叔父の祐範[ゆうはん]が亡くなり、わずかに生活が苦しくなった。頼めば比企尼[ひきのあま]も三善康信[みよしやすのぶ]も祐範が支援してくれていた分を補填[ほてん]してくれるだろうが、頼朝は黙っている。 「嵐が来るな」 外は風が荒れ狂い、古くなった蔀[しとみ]
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第一章 龍の棲む国(52)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
わが子、千鶴[せんつる]丸の死を想うにつけ、頼朝[よりとも]の中から怒りが湧く。 (子を失った悲しみを、お前が口にするのか。己の保身のために、実にくだらぬ理由でこの頼朝から子を奪ったお前が。此度[こたび]のことは、自業自得であろう。貴様の薄汚い欲が、祐泰[すけやす]の命を奪ったのだ) 頼朝は祐親[すけちか]の胸倉を掴[つか]んで問いたかった。 どうなのだ、祐親。実際のところ、わが子と領地の、何[いず]れが大事なのだ、と。 「入道は、因果応報でございましょう」 ふいに、鞭[むち]打つような鋭い声が、哀しみに満ちた空気を乱した。声の方を振り返った頼朝の目に、怒気を含んだ朝日姫が映った。
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第一章 龍の棲む国(51)【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は、前を行く祐親[すけちか]の婿の土肥遠平[どひとおひら]とその父実平[さねひら]に、すぐさま使いを出し、祐泰[すけやす]の死を知らせた。後は、伊東館への急使も含め、実平が差配するだろう。 夜。山を下りて朝日[あさひ]姫・義時[よしとき]姉弟やその妹たちと宿所で待機していた頼朝の許[もと]に、伊東館に駆け付けていた宗時[むねとき]が戻ってきた。疲れ切った様子で、弟妹と頼朝を一室に集める。ことの顛末[てんまつ]を伝えるためだ。 「爺様(祐親)と三郎叔父上(祐泰)が、大見小藤太[ことうた]と八幡三郎に、襲撃されたのだ」 小藤太と三郎といえば、祐親に領地と妻を奪われた工藤祐
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第一章 龍の棲む国㊿【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
行列は、波多野義常[はたのよしつね]を先頭に、大庭景親[かげちか]、海老名季貞[すえさだ]、土肥実平[さねひら]、頼朝[よりとも]、河津祐泰[すけやす]、伊東祐親[すけちか]……と続く。多い者で三桁に上る郎党を引き連れ、ゆるゆると進んだ。 てっきり七日目の狩りの最中に、事故に見せかけて殺すのだと思っていたが、その予想は外れた。 (なるほど、かほどに射殺しやすそうな場所があったわけだ) 横は木の生い茂った急な斜面になっている。射手が身を隠すには恰好[かっこう]の場所で、さらに道の狭さから標的の進む速度は極端に落ちる。 ただ、木々の合間を縫って射かけねばなら
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第一章 龍の棲む国㊾【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]はその後も幾人かと相撲を取り、勝ったり負けたりした。 相模[さがみ]の佐原義連[さわらよしつら]や土屋宗遠[むねとお](土肥実平[どひさねひら]の弟)など、新たに友誼[ゆうぎ]を結べそうな者たちがいたのは収穫だが、中でも〝祐親[すけちか]の婿殿〟である土肥遠平[とおひら]が親しげに近寄ってきたのは、意外だった。 この男は、後々小早川秀秋[こばやかわひであき]に続く沼田小早川氏の始祖となる人物である。 翌日からの巻狩[まきがり]は、松川の上流奥野を中心に、八幡山から赤沢山に抜ける形で七日間にわたって、野営しつつ行われる。 主に久須美荘[くすみのしょう]の百姓三千余人を
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第一章 龍の棲む国㊽【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
相撲を通じて、なるべく多くの男たちに、頼朝[よりとも]という男を好きになってもらわねばならぬ。相撲が強ければ良かったが、あいにく力自慢の部類ではない。 弓が人より優れていることは、これまで数回催された巻狩[まきがり]で知っている者も多い。知らぬ者も、明日からの狩りで知るだろう。 (必ずしも相撲で勝たねばならぬわけでもなかろう。勝つにしろ負けるにしろ、勝ち方、負け方が肝要だ) 諸肌を脱いで股立ちを取り、 「さあ、来い」 頼朝は大声を上げた。土着の武士はみな声が大きいから、彼らに合わせたのだ。掛け声と同時に、表情もパッと明るく楽し気な風に変える。 「おっ、なんだ。そこもともかなり相撲
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第一章 龍の棲む国㊼【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
料理と酒があらかた運ばれ、酒宴が始まった。 「でも、まあ」と、天野遠景[とおかげ]が手酌で注いだ酒を干す。 「入道が佐殿[すけどの]の首を狙っているにしろ、今日、明日中に片を付けようとはすまい」 と見解を述べた。 頼朝[よりとも]が遠景と親しく話すのは初めてだが、これまでも巻狩[まきがり]で何度か顔を合わせ、挨拶くらいは交わす仲だ。居住地が北条荘に近く、できれば親しく付き合いたいものの、祐親[すけちか]の義兄弟(実際は叔父)・工藤茂光[もちみつ]の娘を娶[めと]っているため、警戒心も湧く。しかし、この話ぶりでは、祐親に傾倒はしていないようだ。 「私も同じ考えだ。巻狩は成功させたか
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第一章 龍の棲む国㊻【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
賄いを運んできた女たちの中に、紅を引いた小袖姿の朝日[あさひ]姫が見える。久しぶりに女の形をした姫の艶やかさに、頼朝[よりとも]は息を呑[の]んだ。 北条荘を出立する前、朝日姫が提案した〝二人が許婚[いいなずけ]の仲であるという嘘〟は、吐かぬよう言い含めてある。 「さような小細工をせずとも生きて戻れぬようでは、姫の言う『世を統べること』などできようか。私は、我が力で生還し、我が意思でそなたを奪おう」 宣言した頼朝に、姫は目を見開き、きらきらとした瞳を向け、 「では、佐殿[すけどの]を信じて、口は出しませぬ」 と、うなずいた。 その迷いのない様に、朝日姫という人間の潔さや敢然とし
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第一章 龍の棲む国㊺【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
狩り前夜の宴には、それぞれの領主やその家族は伊東館の広間に集い、郎党らは野外で焚[たき]火を囲んで飲み食いする。 頼朝[よりとも]は盛長[もりなが]らと別れ、北条宗時[むねとき]、義時[よしとき]兄弟と共に広間に入った。百席ほど用意されているが、すでに座しているのは六十人ほどか。頼朝が現れた途端に、男たちから、ざわめきが起こる。 「佐殿[すけどの]ではないか」 「おお、来おったか」 「堂々としておるな」 「ほほう、これはなかなか」 客人らと挨拶を交わし、歓談していた伊東祐親[すけちか]が立ち上がり、頼朝の方へ体を向けた。ひときわ大きく場はどよめいたが、すぐに静かになった。誰も
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第一章 龍の棲む国㊹【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
おおっ、と盛長[もりなが]ら郎党たちはどよめいた。 けれど、と朝日[あさひ]姫は付け足す。 「勘違いなさらないでください。佐殿[すけどの]がその気にならなければ、このお話は終わりです。その時は、佐殿は夢のお人ではなかったということですから。きっと、他の人が私の前に現れます」 そこまで話して朝日姫は立ち上がった。 「いずれにしても巻狩[まきがり]は参加と兄上にお伝えいたします」 郎党たちの顔を一人一人見定め、もう誰も反対しないのを見届けると、 「用は済みました。帰りますよ」 弟の義時[よしとき]を促し、姫は頼朝[よりとも]の館[たて]を去った。 「はあ、何だか迫力がありやすね
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第一章 龍の棲む国㊸【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
しかし、仮に自分が朝日[あさひ]姫の伴侶となり、夢のお告げ通り世を統べるとなれば、清盛[きよもり]のように朝廷に入り込み、帝[みかど]の外祖父として世を操るようなやり方はしたくない。 (目指すは武士が天下を握る世だ) そこまで考え、頼朝[よりとも]は自身の中に生まれ出た、恐ろしい野望に息を呑[の]んだ。 (武士が天下を握るだと) 源氏の復興もままならぬ中、武士政権の樹立など、あまりに話が大きすぎて笑い出したくなる。だが、他の誰でもない。己自身の内から湧き上がった望みだ。 今まで言語化しなかっただけで、頼朝の中には存在していた考えなのだ。それが、朝日姫に促され、言葉にすることで輪郭
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第一章 龍の棲む国㊷【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
みなが、朝日[あさひ]姫を一斉に見た。男たちの鋭い視線に怯[ひる]むことなく、 「私は不思議な夢を見ました」 姫は続けた。 「夢……それはいかような」 頼朝[よりとも]が訊[たず]ねる。 「見知らぬ地を、上へ向かってひたすら登っていく夢です。遥[はる]か高い峰を登り切ったとき、この手の中に満月と日輪が握られていました。それを左右の袂[たもと]に収め、私は橘の実が三つ生[な]る枝を翳[かざ]すのです」 ごくりと盛長[もりなが]が息を呑[の]んだ。 「月と日が姫君のお手に……それはつまり……」
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第一章 龍の棲む国㊶【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]とその郎党四人、朝日[あさひ]姫に義時[よしとき]が、車座となって、広くもない板間に雁[がん]首をそろえている。 何を言い出すのだ、この姫は……と頼朝は慌てた。許婚[いいなずけ]などと嘘[うそ]を吐き、後々話が流れたとなれば、双方の名に傷が付く。流人の自分はともかく、すでに婚期が遅れ気味の朝日姫の人生を、揺るがすことになりかねない。 「あ、姉上……」 弟の義時も驚いて、身を乗り出してきたが、姫のひと睨[にら]みで黙してしまった。 藤九郎盛長[もりなが]はその点には一切触れず、 「手出しできぬと言ったところで、
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第一章 龍の棲む国㊵【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「姫はなぜ、私が巻狩[まきがり]に出ると思われたのか」 気になって訊[たず]ねた頼朝[よりとも]に、「だって……」と朝日[あさひ]姫は上目遣いに空を見上げた。こんなことは率直に答えていいはずがない、と言いたげに肩を竦[すく]め、 「その方が、色々とお得でしょう」 とだけ口にした。 (油断ならぬ人だ) 朝日姫は、こちらの心中をほぼ正確に測っているのかもしれない。もしかしたら、この伊豆でもっとも警戒せねばならないのは、この姫かもしれぬと頼朝には思えた。 (まさかな) すぐに打ち消したが、恐ろしく頭がいいことだけは確かだ。もし男なら、なんとしても仲間に引
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第一章 龍の棲む国㊴【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
初めは米粒ほどの土煙が瞬く間に大きくなり、馬で疾駆する朝日[あさひ]姫の姿に変わった。供の代わりに、十四歳になる弟の四郎義時[よしとき]を従えている。 少し手前から、頼朝[よりとも]を大声で呼びながら、姫は明るい笑みを浮かべた。頼朝の前で、馬の脚を留める。 「ちょうど良かった。後で蛭島に[ひるがしま]寄ろうと思っていたところです」 「何か?」 「今年は数年に一度の大掛かりな巻狩[まきがり]のある年です。佐殿は、いかがいたしますか」 朝日姫は、頼朝に参加の有無を訊[たず]ねた。場に、微妙な緊張が走る。巻狩を主催するのが、伊東祐親[すけちか]だからだ。 (ほう…&
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第一章 龍の棲む国㊳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三善康信[みよしやすのぶ]が今回遣わした使者も、いつもと変わらぬ月に三度の定期便の一つであったが、文に書かれた都の情勢には、見過ごせない「兆し」があった。 そこには、後白河院[ごしらかわいん]の皇太后で、今上帝高倉[たかくら]天皇の生母、建春門院[けんしゅんもんいん](平滋子[しげこ])が七月八日に崩御したことが綴[つづ]られている。建春門院は、清盛[きよもり]の嫡妻・時子[ときこ]の妹だ。 近頃、徐々に後白河院と平家の利害がずれ、両者の間に亀裂が入りつつある中、かろうじて建春門院の存在が崩れかけた絆を繋[つな]いでいた。 後白河院の寵愛[ちょうあい]を一心に受けていただけでなく、建
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第一章 龍の棲む国㊲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が北条荘に移って、一年が過ぎた。安元二(一一七六)年七月。 ひぐらしが盛んに鳴く中、頼朝は蛭島[ひるがしま]の館[たて]で使者と面会した。眼前に座す使者とは初めて会うが、遣わした男との付き合いは長い。 頼朝が伊豆に流されて以来、十六年もの長きにわたり、欠かさず月に三度、手の者を今日のように都から寄越し、御機嫌伺をし続けている。 名を三善康信[みよしやすのぶ]というその男は、頼朝に複数付いた乳母のうちのひとりの甥[おい]にあたるということだ。太政官に務める従五位下の貴族である。 頼朝はまだ直に会ったことのない康信に、舌を巻く思いでいた。いったい、誰が十六年間も、配流され
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第一章 龍の棲む国㊱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
北条荘に戻った頼朝[よりとも]には、驚くことばかりだ。 五年前に、蛭島[ひるがしま]の館[たて]はうち捨てていた。さぞや草に埋もれ、朽ちているに違いないと覚悟していたのだ。 本来なら、先に手の者を差し向けて、普請し直してから館に入るべきである。それを、朝日[あさひ]姫に促されるまま、轡[くつわ]を並べて戻ってきた。 見ると、草は刈られ、古くはなっていたが、それだけに趣ある館の佇[たたず]まいだ。 中から煙が立ち上っている。おいしそうな匂いが鼻をくすぐった。 「これは……」 振り返ると、朝日姫が姿の良い富士を背に、にこりと笑う。 「お疲れでしょう。今
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第一章 龍の棲む国㉟【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
まさか、とその聞き覚えのある声に頼朝[よりとも]は驚きを隠せない。 (なぜこんなところにいるのだ。ここは走湯権現[そうとうごんげん]だぞ) 息をゆっくり呑[の]み込み、頼朝は自分を落ち着かせてから振り返った。 「佐殿[すけどの]、お久しぶりでございます」 やはり、そこに立っていたのは北条の姫、朝日[あさひ]姫だ。直垂[ひたたれ]に野袴姿の男の形で、頭頂で高く結い上げた髪を、軽快に風に靡[なび]かせている。朝日姫は、相好をくしゃりと崩した。姫自身が光を発しているような明るさだ。 (こんな感じの人だったろうか) ここ数年、ずっと伊東荘にいたから、朝日姫とは五年ぶりの再会だ。最後に見た
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第一章 龍の棲む国㉞【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は走湯権現[そうとうごんげん]へ「逃げてきた」のだが、「伊東氏は流人を逃がしてしまうような失態は犯していない」と言い張りたいのだ。 だから、「北条氏の許しを得て参拝にきた」という頼朝の主張を、祐親[すけちか]はあっさり受け入れたのだと、祐清[すけきよ]は教えてくれた。 「もう二度と伊東の地を踏まねば、北条荘で佐殿[すけどの]が何をしようと、父曰[いわ]く、『知らぬこと』とのことでございます」 「相分かった」 つまりは、もう走湯権現に隠れていなくともよいということだ。危機は脱した。だのに、少しも気が晴れず、屈辱感に苛[さいな]まれる。 頼朝は一度、視線を上げて遠くを見
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第一章 龍の棲む国㉝【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が、愛児の遺体さえ引き揚げてやれず、後ろ髪引かれる思いで伊東荘を脱出して、二か月が過ぎた。今は、走湯権現[そうとうごんげん]の中の文陽房覚淵[もんようぼうかくえん]の僧房に世話になっている。 毎日、覚淵から仏の教えを聞き、写経と読経を欠かさない。海岸線から続く八百段を超える石段の上にある本殿と、そこからさらに参道を上った先の山頂に建つ本宮へも、雨の日、風の日問わず参拝した。 暑い盛りのこの日、伊東に戻っていた祐親[すけちか]の息子・祐清[すけきよ]が、ようやく頼朝を訪ねてきた。二人は、本殿の裏山に当たる〝古々井[こごい]の森〟を、歩きながら話をした。『枕草子』に「森はこご
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第一章 龍の棲む国㉜【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
迷っている時間はない。頼朝[よりとも]は即断した。 「走湯権現[そうとうごんげん]に参る」 祐親[すけちか]は、平家を憚[はばか]って孫に手をかけた男だ。それだけ、波風が立つことを嫌っている。走湯権現の衆徒と争うなど、清盛[きよもり]が聞けばこめかみを震わせそうなことをするはずがない。 それに、頼朝には走湯権現に知り合いの僧がいる。文陽房覚淵[もんようぼうかくえん]というたいそうな名の男だ。頼朝を慕って時々遊びに来る九つ下の加藤景廉[かげかど]の兄である。 加藤氏は元々伊勢の豪族だ。それが、平家と揉[も]めて、伊豆まで逃げてきていた。景廉も覚淵も、「同じ反平家」として頼朝に親しみを
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第一章 龍の棲む国㉛【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]主従は、千鶴[せんつる]丸の骸[むくろ]を探しながら松川を下ったが、見つからぬうちに夜を迎えた。骸が腐敗することや魚についばまれることなどを考えると、一刻も早く見つけてやりたい。 だが、暗闇の中で水底を探るのは無理な話だ。この日は諦め、また明日、太陽が昇ると同時に再開することにした。 館に戻って一人になると、頼朝は拳を床に叩きつけ、己を呪った。 すまぬ、すまぬ、千鶴丸―――。 同じ言葉だけが、頭の中で繰り返される。 どのくらいそうしていたろう。 「佐殿[すけどの]、起きておられるか」 郎党藤九郎盛長[もりなが]の声だ。板戸の向こうから呼吸は二つ。盛長は誰かを伴
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第一章 龍の棲む国㉚【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
伊東祐清[すけきよ]の話では、千鶴[せんつる]丸は腰に大きな石をくくり付けられ、簀巻[すま]きの状態で生きたまま、松川の上流の滝壺[つぼ]に投げ込まれたという。 (どれほど苦しかったか。せめて、苦しまぬよう逝かせてやる慈悲すらなかったのか) ぐっと、頼朝[よりとも]は手を握り込んだ。 頼朝たちは、千鶴丸が放り込まれたという淵に、祐清を先頭に馬で向かった。伊東館から南方に一里ほど川を遡[さかのぼ]る。 重しを付けられたのなら、骸[むくろ]はまだ淵の底に留まっているはずだ。頼朝は、引き揚げて手厚く葬ってやりたかった。 疾駆する途中、頼朝の鼻を嗅ぎなれた匂いがくすぐる。橘[たちばな]の香り
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第一章 龍の棲む国㉙【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
だからといって、なぜ千鶴[せんつる]丸が死なねばならぬのか。 両手を広げて立ちはだかる盛長[もりなが]が、さっきは怒鳴ったくせに、今度は淡々と告げた。 「どうしても辛抱できぬと仰せなら、それがしを斬って行くがよろしかろう。佐殿[すけどの]を失った後の世に、なんの未練がござろうか」 騒ぎを聞きつけて、館の奥から出てきた藤原邦通[くにみち]も、盛長の言葉の後を継ぐ。 「それがしもお斬りくだされ。あの世に先に渡って、冥途[めいど]の露払いをいたしましょう」 頼朝[よりとも]は愕然[がくぜん]となった。いつもどちらかといえばふざけていることの多い二人だ。源氏の御曹司頼朝に、何か期待してい
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第一章 龍の棲む国㉘【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「それで」 頼朝[よりとも]は上ずりがちの声で、祐清[すけきよ]に先を促す。 「いったい千鶴[せんつる]丸様はどこへ消えたのだと、誰彼となく館の者を捕まえて訊[き]き出した話によれば……」 掠[かす]れかけた声を戻すため、祐清は唾をのみ込み、先を続けた。 「すでに父の命で殺してしまったと……」 「千鶴丸を、手にかけたと申すか」 頼朝は耳を疑った。 幾ら頼朝が憎いからといって、祐親[すけちか]にとっても血の繋[つな]がった孫ではないか。しかもまだ数えで三つ。この世に生まれ出て二年の幼子だ。何の罪があるというのか。 千鶴丸は
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第一章 龍の棲む国㉗【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
付き従っていた小野田藤九郎盛長[もりなが]が、 「今はいったん引く時でござろう」 祐親[すけちか]の本音に愕然[がくぜん]となる頼朝[よりとも]に、逃走を促す。 先に千鶴[せんつる]丸を見せに伊東館を訪ねた八重[やえ]姫は、どうしているのだろう。共に連れて帰りたかったが、今はそれどころではない。 祐親の命で、弓を携えた郎党ら数人が駆け出してくる。本当に射殺されかねない勢いに、頼朝は慌てて馬に跨[またが]り、逃げ戻るしかなかった。 「首尾よく行きましたかな」 何も知らぬ押し掛け郎党の藤原邦通[くにみち]が、おどけた様子で主を出迎え、ただならぬ空気に言葉を詰まらせ黙り込んだ。 頼
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第一章 龍の棲む国㉖【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
野望の道具にされた八重[やえ]姫の姉・万劫[まんこう]御前のことは気の毒に感じたが、土地争いの件は元々の嫡流である祐親[すけちか]にも言い分があると頼朝[よりとも]は判じている。 道理を違[たが]え、順番を乱せば一族の争いを生む。争った一族は弱体化する。弱いものは、他家に蹂躙[じゅうりん]される。河内[かわち]源氏のように。 「案ずることはない」 頼朝は先刻と同じ言葉を、八重姫に繰り返した。 「むしろこの時を待っていたぞ。やっと父君にご挨拶[あいさつ]ができるのだ。お許しが出たら、共に暮らそう」 八重姫は不安げに頼朝を見つめたが、 「うれしゅうございます」 弱々しく微[ほほ]笑
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第一章 龍の棲む国㉕【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
伊東祐親[すけちか]が伊東荘に戻ってくる。 初めから三年で戻ってくるのは分かっていたとはいえ、その名を聞くだけで、頼朝[よりとも]の胃はきりりと痛んだ。 庭に降りた千鶴[せんつる]丸が、「きゃあ」と高い声を上げてはしゃいでいる。乳母子らと一緒に庭木に隠れながら、追いかけっこを楽しんでいるのだ。 庭には、橘[たちばな]の木が白い花を無数に付け、まるでそこだけ雪が降り積もったかのようだ。辺りは良い匂いに包まれ、時じくの香の木の実の生[な]るという常世の国に迷い込んだ錯覚を覚える。八重[やえ]姫と頼朝が初めて口づけを交わした、あの日と同じ香りであった。 「案ずることはない」 頼朝は八重姫の
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第一章 龍の棲む国㉔【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
わが子がこれほど可愛[かわい]いなど、実際に授かるまで、頼朝[よりとも]は知らなかった。 八重[やえ]姫も愛[いと]おしいが、今は千鶴[せんつる]丸と会うのが楽しみだ。数え三つの幼子は、見るたびに成長している。昨日までできなかったことが、今回はできる様[さま]に、つい心が弾む。 この日も頼朝は八重姫を訪ねた。 「おと様、おと様」 千鶴丸は頼朝に懐いていて、姿を見せると喜んでまとわりついてくる。抱きつく指の小ささはどうだろう。 この子を見ていると、自分は一生、起[た]つこともなく、この地に骨を埋めても良いとさえ思えてくる。 (もとより、源氏の再興など夢物語ではないか) 大切なものの
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第一章 龍の棲む国㉓【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
安元元(一一七五)年。 頼朝[よりとも]が父親になって二年経つ。生まれたのは男児で、いつまでも息災に長生きできるよう願いを込め、千鶴[せんつる]丸と名付けた。 子ができたのをきっかけに、頼朝は八重[やえ]姫の女親に挨拶[あいさつ]に行った。母親には、祐親[すけちか]の反応を恐れて渋い顔をされたが、実際に産まれてしまうと孫は可愛[かわい]いらしい。頼朝は、館[たて]に通うことを許された。だが、最大の関門、祐親の許しを得ていない。 女方の実家の力が強い時代だ。女親がうなずけば、必ずしも父親の許しを待たずとも、結婚が許される場合もある。ただ、それは両家の力関係や、妻がどの位置づけにあるかによ
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第一章 龍の棲む国㉒【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「分からない……とは」 口ごもりながらも、頼朝[よりとも]は「まさか」と思い始めていた。 「私が初めての口づけを捧[ささ]げ、今日はこうして館[たて]を抜け出してきた理由でございます」 耳まで赤くなった八重[やえ]姫のいじらしさに、ぎゅっと頼朝の胸が痛んだ。ここまで言われれば、さすがの頼朝でも分かる。姫は「好きだ」と言ってくれているのだ。だが、自分は流人ではないか。一時の激情に任せれば、身を滅ぼす。頼朝は首を左右に振った。 「父君はお許しにならぬだろう」 いいえ、とは八重姫も言わない。 「後のことは考えないで」 今、この一瞬に生きると言った、あの日
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第一章 龍の棲む国㉑【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
あの後も頼朝[よりとも]は音無[おとなし]の森に足を運んだ。伊東の中央を東西に割る形で、ほぼ南北に流れる松川沿いにこの森はある。水際の森は心地よく、ほっと息がつけた。 しょっちゅう森に通っていると、時おり八重[やえ]姫の姿を見かける。いつも侍女が一人か二人、姫を守るように従っていた。侍女の目を憚[はばか]ってか、八重姫にあの日のような大胆な振る舞いは見られない。少し、残念だった。 初めは挨拶[あいさつ]を交わす程度が、侍女も打ち解けてくるに従い、秋にかけて緑の実が黒ずんでいく椨[たぶ]の木の下で、二人の男女は距離を縮めていった。 「私、父上の館[たて]とは別に、この森の近くの館に、母
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第一章 龍の棲む国⑳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
図らずも都風に振る舞って、八重[やえ]姫に恥をかかせてしまったことを、頼朝[よりとも]は悔いた。 だが、急に口を閉ざせば、「何を言われたのか分からなかったのだな」という事実を突きつけてしまうことになる。 「姫は、不老不死をお望みか」 口にした「時じくの香[かぐ]の木の実」が何であるのか分かるように、慎重に会話を進める。 いいえ、と八重姫の薄紅色の唇が、すぐさま否定した。その柔らかそうな唇が、ふいに頼朝の眼前に近づいたかと思うと、男のかさついた唇を、潤いと共に包み込んだ。 (えっ?) 頼朝の体が硬直した。十三歳で平治の乱に巻き込まれ、十四歳で配流[はいる]されたのだ。すでに二十六歳
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第一章 龍の棲む国⑲【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
「姫様、ふざけていないで、出てきてくださいまし。こんな森の中で、隠れ遊びなど、はしたのうございますよ」 女の言葉に頼朝[よりとも]は、ああ、と合点して神社の前を通り過ぎた。 かどわかしや、行方知れずになったのなら、共に捜し出してやる必要もあろうが、あの様子では「姫様」がただふざけて隠れてしまっただけのようだ。 (邪魔にならぬよう、姿を見られぬうちに立ち去ろう) 祐親[すけちか]は、内裏[だいり]の警護の任、大番役で京にいる。地方武士が担う役目の一つで、任期は三年。祐親は今年、任務に就いたばかりなので、三年は戻らない。 父親の長期の留守中に、嫁入り前の娘と森で顔を合わせるなど、誰に見
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第一章 龍の棲む国⑱【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は、海沿いにある伊東が好きだった。都育ちの頼朝は、ここに来るまで海を知らなかった。潮風の匂いも、晴れた日の瑠璃色の縮緬[ちりめん]を広げたような水面に跳ねる光の粒も、頼朝の心を慰めてくれる。 南西を振り返ると天城山脈が迫り、四季によっても時間によっても、色とりどりに表情を変える様は見事であった。深く心に染み入る景勝だ。 気候も良く、夏が涼しく冬が暖かい。逆に、京の夏は蒸し暑く、冬は手足を凍えさせた。 今の生活を失いたくないと思えるほど、伊豆の日常に馴染[なじ]んでしまった自分がいる。それだけに、平治の乱の亡霊たちに、後ろめたさと申し訳なさを覚え、息苦しかった。 平家
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第一章 龍の棲む国⑰【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]が伊豆配流になって、十二年が過ぎた。 齢[よわい]はすでに二十六。 平家はますます勢いを増し、清盛[きよもり]の娘は今上帝高倉[たかくら]天皇に入内[じゅだい]し、今年の二月に中宮となった。皇子が産まれれば、いずれはその子が即位し、清盛は帝の外祖父となる。 帝は、二条[にじょう]天皇から六条天[ろくじょう]皇、そして今上の高倉天皇へと、頼朝が京を追われてから二代かわった。だが、清盛はどの帝の御代も、上手[うま]く泳いでいく。いったん握った権力を、この乱世に十二年も揺らがず維持し続けるなど、驚異的なことだった。 あの男は頭がいいな、と頼朝は舌を巻く思いだ。政治力を比べれ
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第一章 龍の棲む国⑯【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は目をみはった。乳母・比企尼[ひきのあま]の、厳しくも優しい顔が脳裏に蘇る。 (こんな……手を差し伸べたところで何の得にもならぬ男の許[もと]に、人を遣わしてくれたというのか) 懐かしさと、変わらぬ情けに、涙が滲[にじ]みそうになる。 (懐かしい、か。思えば、あの騒乱から、三月[みつき]しか経っていないのだな) 頼朝は、眼前にひざまずく「小野田藤九郎盛長[もりなが]」と名乗る男から、比企尼の文[ふみ]を受け取った。乳母らしい心がこもった温かい文面だ。 頼朝のことをひとえに心配し、『父君や兄君たちを亡くして見知らぬ地に追われた今は、どれほ
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第1章 龍の棲む国⑮【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
北条館の板敷きの広間に最後に入ってきたのは、小さな姫だった。名は教えてくれず、長女を表す「大姫[おおひめ]」とだけ名乗った。四つになるという大姫(朝日[あさひ]姫・政子[まさこ])は、頼朝[よりとも]を見るなりぽかんと口を開けて驚いた顔をした。 こんな表情をする姫は都にはいないので、頼朝は新鮮に感じた。 (可愛[かわい]い姫だ。なんでも顔に出るのだな) 型通りの挨拶[あいさつ]が終わると、大姫が身を乗り出し、話しかけてくる。 「私、鬼武者のような方を想像しておりました」 舌足らずのくせに、やけに早口だ。 人見知りが激しく、いつも兄の陰に隠れたがる妹の坊門[ぼうもん]姫とは、正反
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第1章 龍の棲む国⑭【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
北条荘に着くと、まずは時政[ときまさ]の住む北条館へ案内された。湯で体を清め、時政が用意してくれた直垂[ひたたれ]に、頼朝[よりとも]は戸惑いつつ袖を通す。 直垂は元々庶民の着る服装なので、頼朝はこれまで袖を通したことがなかったが、着やすく便利なので地方の武士たちが好んで着ていると、父・義朝[よしとも]から聞いたことがある。 そういえば、三島に現れた時政らは、みな直垂姿だった。実際に着てみると、確かに動きやすい。悪くない。 この時代、貴族も武士も服装がどんどん崩れ、乱れつつある。騒乱続きのせいで、動きやすさがより注目され、格式張ることも馬鹿[ばか]らしく思われ始めているからだ。 誰
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第1章 龍の棲む国⑬【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
罪人となった頼朝[よりとも]に付き従って共に遠流[おんる]の地・伊豆まで下った者は、叔父で僧の祐範[ゆうはん]が若い甥[おい]を憐[あわ]れんで付けてくれた僧兵の心安[しんあん]と、義朝[よしとも]の家人高庭介資経[たかばのすけすけつね]が付けてくれた藤七資家[とうしちすけいえ]のわずか二人であった。 都から伊豆国府のある三島までおおよそ百里。道中、今日という日を忘れるな、と頼朝は自分に言い聞かせ続けた。 何もかも失くし、ただ二人の供人[ともびと]を従えることしかできぬ自分を惨めに思うか、こんな身となっても手を差し伸べてくれる者がいることを有り難く思うか、心持ち一つできっと迎える明日は
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第1章 龍の棲む国⑫【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
三月。頼朝[よりとも]は、平治の乱の勝者、平清盛[きよもり]の前に引き出された。 二人が会うのは初めてではない。朝廷行事の際に何度か顔を合わせ、挨拶[あいさつ]程度なら交わしたことがある。清盛はいつも優しげだった。 が、この日は違う。座敷の上から、地べたに座らされた頼朝を、冷ややかに見下した。清盛の横には、池禅尼[いけのぜんに]の息子・頼盛[よりもり]が座している。 頼朝はまっすぐに首を上げたが、憎しみや怒りのこもった目で親の仇を睨[にら]み返すようなことはしなかった。いや、睨み返さぬどころか目を合わせなかった。目と目が合うと、記憶に残りやすくなるからだ。清盛の印象に残らぬよう、頼朝
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第1章 龍の棲む国⑪【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は後から知るが、このとき助命嘆願に動いてくれた者は複数いた。 母の実家・熱田大宮司藤原氏は、罪人となった頼朝を見捨てなかった。主筋の上西門院[じょうさいもんいん]と後白河院[ごしらかわいん]に、助けてくれと懇願したのだ。 上西門院は、亡き母・待賢門院[たいけんもんいん]と縁の深い池禅尼[いけのぜんに]に、清盛[きよもり]への口添えを頼んだ。後白河院は、清盛へ直接、配流[はいる]に留めるよう伝えた。 頼朝を捕らえた宗清[むねきよ]は、主である平頼盛[よりもり]に、池禅尼の力を借りて何とか助けることができないかとすがり、頼盛は母である池禅尼に助命を依頼した。 池禅尼は、二
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第1章 龍の棲む国⑩【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
生きたいか、死にたいか、どうであろうと宗清[むねきよ]が返答を促す。 頼朝[よりとも]は、宗清をじっと見据える。 父や兄者たちの死。清盛[きよもり]に握られた己の命。まだ生きてはいるが、続々と捕らえられつつあるという弟妹たちの行く末。壊滅しかけている一族の明日。 あらゆることが頼朝の心に爪を立て、容赦なく引き裂きにくる。胸中はかき乱され、揺さぶられ、血を噴き、果てない恐怖に包まれていたが、自分でも驚くほど穏やかに言葉が出た。 「むろん、生きとうござる」 宗清は、ほう、と言いたげに目を細めた。 保元の乱のとき、父・義朝[よしとも]は親兄弟と敵味方に分かれて戦い、勝利した。自身の輝か
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第1章 龍の棲む国⑨【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
追手の刃をかわしつつ逃げる途中、頼朝[よりとも]は自分でも信じられない失態を犯した。 戦の後の逃亡に、ひとり体力が持たず、どうしても一行から遅れがちになる。恥ずかしくてたまらなかったが、十三歳の少年の体では、どれだけ心中で己を叱咤[しった]しても、思うように動かない。 雪で視界が危うい。義朝[よしとも]が何度も馬を返し、頼朝の馬を後ろから追い立て、年若い息子がはぐれぬよう気遣ってくれた。 長兄の悪源太義平[あくげんたよしひら]はチッと舌打ちをしたが、そのたびに次兄の朝長[ともなが]が、 「三郎はよくやっている。戦場で引いた弓の腕前も見事だったぞ」 などと褒めてくれた。 それにして
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第1章 龍の棲む国⑧【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]の胴が嬉[うれ]しさにうち震えた。今から臨む戦いは、多勢に無勢。もし、勝てれば奇跡だろう。そんな生と死の狭間[はざま]で、父が命じたのだ。お前が源氏を継ぐのだと。 嫡妻の第一子である以上、頼朝が義朝[よしとも]の後を継ぐのは、すでに決まっていたことだ。だから、嫡男の証しの鎧を頼朝がまとうのは当たり前のことである。が、源氏の命運を懸けた出陣前に、己の立ち位置を誰の目にも明らかな形で示してくれた父に、頼朝は限りない温かさを感じた。 これまで、訳も分からず乱に巻き込まれたような印象を受けていた頼朝は、源太産衣[げんたのうぶぎぬ]を着用して以降、自身が平治の乱の当事者なのだという
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第1章 龍の棲む国⑦【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
頼朝[よりとも]は、考える。なぜ、父の義朝[よしとも]は、政変に加担してしまったのか。 確かに義朝は信西[しんぜい]を憎んでいた。信西のせいで、保元の乱の際、実の父の首を自らの手で斬らねばならなかった。同じように兄弟の首も斬った。だが、だからこそ、政変に負ければどうなるか身に染みていたはずだ。 (恨みだけで決起したのではない。他に理由があるはずだ) 義朝は、政変の首謀者である藤原信頼[のぶより]と親しかった。さらに、標的となった信西からは、平家とは逆に冷遇されていた。 このまま信西の世が続けば、平家と源氏の力に、雲泥の差が生じるのは目に見えていた。 (指をくわえて見過ごすわけにはいか
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第1章 龍の棲む国⑥【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
元々、後白河[ごしらかわ]天皇は、息子の守仁[もりひと]親王が即位するまでの中継ぎの天皇だった。皇位継承権を持つ父親が存命している中、それを飛び越えて守仁親王が帝位に就くのは不自然なので、形を整えるためだけに、いったん帝位に就いたにすぎない。 「あれに政[まつりごと]をさせるな。守仁親王の帝政が整うまで、美福門院[びふくもんいん]と関白が力を合わせよ」 後白河天皇がお飾りの帝に終始するよう、鳥羽[とば]法皇はわざわざ遺言した。 それゆえ、後白河天皇に実権はない。関白も高齢で力が弱まっている。実際にこの時期、国政を取り仕切ったのは、鳥羽法皇の後家の美福門院であった。美福門院から譲位を迫ら
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第1章 龍の棲む国⑤【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
後白河[ごしらかわ]天皇に対抗するため、崇徳[すとく]上皇側も兵を募ったが、集まりは芳しくなかった。この時、源氏は後白河天皇側と崇徳上皇側に、一族を割って味方したが、平家のほとんどが後白河天皇側についた。 これは誰にとっても予想外の出来事だった。なぜなら、崇徳上皇の第一皇子重仁[しげひと]親王の乳母を清盛[きよもり]の義母・池禅尼[いけのぜんに]が務めていたからだ。当然、池禅尼とその息子たちは崇徳上皇側につくと思われていた。 だが、池禅尼は冷静に両方の兵力を見極め、 「此度の争いは、上皇方が負けます」 後白河天皇側につくよう示唆した。 鶴の一声である。 元々、平家の中でも、人脈が
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第1章 龍の棲む国④【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
この時代、嫡妻(正妻)の長子にとって、実母の死は人生に大きく影を落とす。男親がより力のある家から後妻を娶[めと]れば、嫡子の座を奪われるからだ。 母を介して浴していた実家の影響力も、以前ほど享受できなくなることもある。 そして、腹違いの兄弟姉妹らは、場合によっては一番の敵となる。 十三歳の子供にとって、慕わしい母の死そのものが哀[かな]しく堪[こた]えるというのに、これからのことを思うと、守らねばならぬ幼い弟妹を抱え、頼朝[よりとも]は闇に放り出された心地であった。 (怖い) 夜、一人になると体が震えた。 だが、有り難いことに、父義朝[よしとも]は由良[ゆら]御前を失ってのち、その
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第1章 龍の棲む国③【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
前年の平治の乱で平家に敗北した河内[かわち]源氏の棟梁・源義朝[よしとも]の三男、三郎頼朝[よりとも]は、伊豆に配流[はいる]されたとき、まだ十四歳の少年だった。 鬼の如[ごと]き荒武者どころか、成長しきれていない体はしなやかで、立ち居振る舞いは、伊豆近辺の豪族らには真似[まね]できぬほど洗練されている。母親似の端整な顔は、少し大きく、遠目にも華があり、人目を引いた。 頼朝は生粋の都育ちで、罪人になる前の身分は従五位下右兵衛権佐[じゅごいのげうひょうえごんのすけ]。わずかな間ではあったが、武士でありながら貴族に列せられていた。 これは母方の実家が大きく影響している。頼朝の母、熱田大宮
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第1章 龍の棲む国②【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
乳母の明音[あかね]は盗み見など「なりませぬ」と目を吊[つ]り上げたが、朝日[あさひ]姫(後の北条政子[まさこ])は駄目だと言われてあっさり引く性質ではない。それに明音が、幼い自分の上目遣いの「お願い」に弱いことも、よく知っている。 明音の小袖を小さな手で摘まむと、精一杯[いっぱい]背伸びをし、じっと目を見上げた。 「お願い」 どこからこんな声が出るのかと自分でもあきれるほど甘い声を、朝日姫は作った。 「うっ」と明音は、言葉を詰まらせる。だが、こればかりは惑わされてはいけないと言いたげに、頭[かぶり]を振った。 「お屋形様に知られたら、私が追い出されてしまいます。姫様と離れ離れに
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第1章 龍の棲む国①【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】
狩野川の水面が、春の柔らかい日差しを浴びて、光彩を放っている。その光の間を、桜の花びらが幾枚も通り過ぎていくのを、朝日[あさひ]姫はうっとりと眺めていた。 後の世に北条政子[まさこ]の名で知られ、尼将軍と呼ばれる女傑は、この年わずかに四歳の童女だった。「政子」の名は、五十八年後の建保六(一二一八)年に朝廷に対して便宜上名乗った名に過ぎない。 伊豆北条荘の在地豪族、北条四郎時政[ときまさ]の一人目の娘だから、館の者たちからは「大姫[おおひめ]」と呼ばれていた。名は朝日という。 この日、朝日姫の寝起きする北条館の大人たちはみな忙しそうだった。何か朝からざわめいて落ち着かない。だから、喧騒
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3月15日から小説「頼朝 陰の如く、雷霆の如し」を連載 平日午後6時更新【あなたの静岡新聞 リリースノート】
ふるさとメディア「あなたの静岡新聞」をご利用、ご愛読くださり、誠にありがとうございます。本サイトでは3月15日から、秋山香乃さん(沼津市)による小説「頼朝 陰の如(ごと)く、雷霆(らいてい)の如し」を連載します。平日午後6時に更新します。伊豆に流され、征夷大将軍まで駆け上がった源頼朝の波乱の生涯を、新たな切り口で描きます。挿絵は、イラストレーターの山田ケンジさん(静岡市葵区)。情感豊かに小説世界を表現します。ご期待ください。 あきやま・かの 1968年、北九州市生まれ。2002年に「歳三往きてまた」でデビュー。18年、「龍が哭(な)く 河井継之助」で野村胡堂文学賞。「氏真、寂たり」「茶々