<命のたまご>胚培養士と不妊治療(1) ラボの1日 "授かり"担う緊張感

 不妊治療のうち、卵子や精子を体外で受精させる生殖補助医療で、今や国内新生児の27人に1人が誕生している。子どもを望む男女が頼るこの医療には、医師とは別に、胚培養士(エンブリオロジスト)と呼ばれる技術者が大きく関わっている。受精卵を培養し胎児の元となる「胚」にまで育てる極めて重要な部分を担いながらも、目立たない胚培養士の姿を通し、不妊治療の今を追う。

精子を卵子に注入する顕微授精。モニター画面は胚培養士の手元の様子=静岡市駿河区の俵IVFクリニック
精子を卵子に注入する顕微授精。モニター画面は胚培養士の手元の様子=静岡市駿河区の俵IVFクリニック
受精に備え、精液を調整する作業
受精に備え、精液を調整する作業
精子を卵子に注入する顕微授精。モニター画面は胚培養士の手元の様子=静岡市駿河区の俵IVFクリニック
受精に備え、精液を調整する作業

 午前7時すぎ、俵IVFクリニック(静岡市駿河区)。顕微鏡や作業台など専門機器が並ぶ早朝のラボ(培養室)で、手術着姿の胚培養士が採卵の準備を進めていた。不妊治療専門の同クリニックでは、8人の胚培養士が年間約2500件の生殖補助医療に携わっている。

 採卵は、排卵寸前にまで育った女性の卵巣から卵子の入った卵胞を取り出す手術。高度な不妊治療に臨む場合、成熟した卵子が採れないと、次のステップに進めない。質の良い卵子をできるだけ多く得るため、患者は何日も前から点鼻薬や注射などの排卵誘発剤で卵巣を刺激し、体調を整える。

 この日の採卵は、30代の女性2人。多い日は10件を超すこともある。医師が取り出した卵子を確認するため、胚培養士山本裕子さん(25)と森本藍さん(29)が顕微鏡と培養皿を前に待機する。手術室とは、受け渡しに使う小窓でつながり、ラボを緊張感が包む。

 生殖補助医療における採卵は、診察を重ねながら適切な時期を医師が判断する。事前に大まかな計画を立てるが、具体的に決まるのはわずか2日前だ。

 午前8時。1人目の採卵が始まり、数分で小窓から卵胞液が届いた。山本さんが手早く培養液の入った皿に移し、ガラス管で円を描くように卵子を探す。残念ながら卵子は確認できなかった。隣で待つ森本さんが皿を受け取り、見落としがないかを再チェックした。
 5分ほどで、次の患者の採卵が始まり、卵胞液が届いた。胚培養士の手元を映すモニターに、乳白色の卵子が現れた。肉眼では見えない0・1ミリ大の卵子が、キラキラと輝くように見えた。2人目からは6個の卵子が採取され、午後の受精に備えて保管された。
 採卵を終えた午前中は、前日までに行った体外受精や顕微授精の結果確認、受精卵の凍結、受精に備えて精子を遠心分離器にかけて調整する作業が行われていた。受精卵などを保管しているのはインキュベーターと呼ばれる培養庫。庫内の温度や二酸化炭素濃度は子宮内に近い環境に保たれている。この中で胚盤胞にまで育て、子宮に戻す移植日まで、マイナス196度の液体窒素タンク内で凍結保存する。
 取り違えを防ぐために細心の注意を払う。作業台に置くのは必ず1人分。卵子や精子は生物学的にはまだ細胞だが、間違いなく命の源だ。作業に臨む際にスタッフたちは2人1組で患者名を確認し合う。「生命の誕生につながるたまごを預かる培養士には、一つのミスも許されない」。見守る藤田智久培養検査部長(46)はそう話した。

 世界初の体外受精児「試験管ベビー」誕生から37年。受精卵などの細胞を半永久的に凍結する技術は飛躍的に進歩した。晩婚化を背景に、不妊に悩むカップルも増加の一途。胚培養士に求められる役割は広がっている。ただ、培養士は生殖補助医療の専門家でありながら、国家資格ではない。

 午後1時すぎ、早朝採取した患者の卵子と配偶者の精子を出合わせる作業が始まった。受精させる方法は、卵子や精子の状況を見て、卵子の皿に調整した精液を入れて受精を促す「体外受精」か、精子一つを選んで細い針で卵子に注入する「顕微授精」かを医師が判断する。この日は、胚培養士の腕が問われる顕微授精が行われた。
 チーフの志田有加さん(28)が、調整した精液の中から、できるだけ形や運動性のいい精子を一つ選び出す。精子が違えば、誕生する人間も変わってくるのでは―。仕事の重みを感じる瞬間だ。顕微授精の専用の顕微鏡に移り、精子を入れた針を卵子を覆う膜にそっと突き通し、注入した。

 「がんばれ」。志田さんはいつも、顕微授精を終えた卵子をインキュベーターに戻す際に心の中でささやく。「言霊(ことだま)というと大げさだけど、気持ちが結果につながる気がするんです」

 夕方、ラボの電話が鳴った。前々日に顕微授精を行った40代の女性からの結果の問い合わせ。「採卵した二つのうち、一つの受精が確認できました」と、志田さんが応じた。「順調に育ってますよ」。それまで硬かった表情がふっと緩んだ。

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