マラドーナさん静岡へ「あと一歩だった」 獲得交渉秘話
(2020/11/27 08:38)-
史上最高のサッカー選手の一人、元アルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナさんが25日死去した。かつて世界的な英雄を静岡でプレーさせようと奔走した桑原勝義日本フットボールリーグ理事長(76)=浜松市中区=は「まさに神の子。絵になる選手だった」と振り返った。
桑原さんは1987~92年、県や東海地区の社会人リーグ所属で浜松市に拠点があったPJMフューチャーズの監督を務めていた。創設準備が進められていたプロリーグ(現Jリーグ)への参加を目指し、その起爆剤としてマラドーナさんの獲得方針を表明。90年9月、マラドーナさんがプレーしていたイタリアのナポリに渡り、直接交渉した。「プロリーグを成功させるためにも、大物が求められていた」
桑原さんによると、当時はワールドカップ準決勝でマラドーナさん率いるアルゼンチンが開催国のイタリアを破った直後で、本人はイタリアでプレーを続けることに身の危険を感じていたという。
「桑原のほらだという人もいたが、マラドーナは『日本でやりたい』と話していた。あと少しという感触だった」と、桑原さんは思い起こす。先に弟ウーゴさんの獲得に成功し、その後も代理人を通して根気よくマラドーナさんとの折衝を続けた。しかし本人の麻薬問題などが響き、チームも数年後に獲得を断念した。
桑原さんは「メッシともジーコとも違う。左足の技術は見ていて楽しかった」と懐かしみ、「あの時、日本に来ていれば…。私生活の問題もあったのだろうが、早すぎる死。もう一度、アルゼンチンの監督をしてほしかった」と惜しんだ。
■「胸板厚く躍動感」 元ヤマハ発 吉田さん
マラドーナさんは1988年にイタリアのナポリのメンバーとして来日し、ゼロックス・スーパーサッカーで日本代表と対戦した。当時ヤマハ発動機(現磐田)でプレーしていたMF吉田光範さん(FC刈谷育成ダイレクター)は、GK松永成立さん(浜名高出)らとともにナポリ戦に先発出場した。吉田さんは「胸板の厚さと下半身など、体つきからもすごさが伝わってきた。姿勢も良く、躍動感があった。左足だけで勝負していた」と天才のプレーに驚嘆したことを振り返った。
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