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小柴氏死去、浜松ホトニクス関係者悼む 光技術、功績継ぎ次代へ

(2020/11/14 11:45)
ノーベル物理学賞の受賞が決まった直後、晝馬輝夫氏(右)と会って祝福を受ける小柴昌俊氏=2002年10月、都内の浜松ホトニクス現東京営業所
ノーベル物理学賞の受賞が決まった直後、晝馬輝夫氏(右)と会って祝福を受ける小柴昌俊氏=2002年10月、都内の浜松ホトニクス現東京営業所

 素粒子ニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏の訃報が伝わった13日、研究を通じて関係を築いてきた人々から悼む声が相次いだ。浜松ホトニクス(浜松市中区)の晝馬明社長は、小柴氏の功績を引き継いで新たに始まる次世代観測装置ハイパーカミオカンデの研究支援や、光技術研究を加速させることに強い意欲を示した。
 小柴氏は1979年、浜ホト創業者の一人で2018年3月に91歳で他界した晝馬輝夫名誉会長に、大口径20インチ光電子増倍管の開発を依頼した。8インチの試作に着手したばかりだったが、輝夫氏は誕生日が1日だけ早い“小柴先輩”の要望を赤字覚悟で引き受けた。
 「研究にシビアで怖い先生だった。それは人材育成を大切にしたからこそでしょう」。こう振り返るのは同社の元顧問袴田敏一さん(71)=現光科学技術研究振興財団職員=。輝夫氏が小柴氏と出会う7年前、当時入社5年ほどの袴田さんは営業担当で研究室に呼ばれた。その際の増倍管が高評価で、3インチを3千本納めることに。これが最初の縁となり、今も世界をリードする研究へとつながった。
 厳しい物言いの中に思いやりがあふれていたと回想する。まな弟子の素粒子物理学者戸塚洋二氏=富士市出身=が2008年に他界した際は「立派なやつほど早く亡くなる」と心底落胆していた。18年、輝夫氏のお別れの会での「やあ元気か」が最後の会話に。袴田さんは「輝夫氏とはいろいろ波長が合っていた。天国でも2人で誰もまねしない研究に挑むでしょう」と話す。
 輝夫氏の長男明社長は新観測装置への増倍管納入決定を踏まえ、「微力ながら支えていく」とコメントした。
 静岡大電子工学研究所の三村秀典所長(64)は、小柴氏の教え子で同物理学賞を受賞した梶田隆章氏と交流を続ける間柄。光研究拠点の浜松での活動加速が「恩返しになる」と声に力を込めた。

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