富士の地酒「田子の浦」半世紀ぶり復活 焼失「山屋」の味

 創業190年を誇る富士宮市の酒造会社「富士高砂酒造」がかつて富士市の支店で醸造していた清酒「田子の浦」を約50年ぶりに復活させ、当時の屋号を配した「天之美禄(てんのびろく) 山屋」として市内で販売を始めた。江戸時代の富士のまちには、旅人を魅了した「富士の白酒」があったと伝わる。同社はこの幻の酒の再現も進める。現在は造り酒屋がない富士市で、地酒文化の再興を目指す。

昭和45年まで富士市で製造された地酒を再現した清酒「山屋」=富士宮市の富士高砂酒造
昭和45年まで富士市で製造された地酒を再現した清酒「山屋」=富士宮市の富士高砂酒造
店内に掲げられた清酒「田子の浦」の看板
店内に掲げられた清酒「田子の浦」の看板
昭和45年まで富士市で製造された地酒を再現した清酒「山屋」=富士宮市の富士高砂酒造
店内に掲げられた清酒「田子の浦」の看板

 同社前身の山中正吉商店は、富士宮市の中屋に加え、明治期に現在の富士市内に支店「日野屋」を構えた。同市岩本から本市場に移転した店は「山屋」の屋号で親しまれたが、1970(昭和45)年に火災で焼失。酒蔵は田子の浦とともに幕を下ろした。同社には今も誇らしげに看板が掲げられている。
 年月が山屋の酒造りを知る蔵人を高齢化させた。「富士市との縁を示す酒を復活させる最後の機会かな」と2018年、同社営業部主任の竹川昌利さん(42)と蔵人が一念発起した。田子の浦の製法や味の記憶をたどり、試行を重ねた。富士山本宮浅間大社の献上酒と同じく、昔ながらの製法で掛米に「五百万石」を使用して3段仕込みで仕上げ、キレを加えた。「富士市でしか飲めない酒」に仕上げた。
 山屋の酒造りを知る蔵人の小口和彦さん(66)は「海に近い山屋の『田子の浦』は刺し身によく合った。すっきりしすぎない仕上がりがいい」と太鼓判を押す。竹川さんは「かつて、富士で最も飲まれた酒。料理と楽しむ気軽な酒として愛されれば」と期待する。
 同社が続いて再現を目指す「富士の白酒」は、具体的な製法を書いた文献が少なく、過去に復活を断念した経緯がある。それでも再び挑戦するのは、この幻の酒がまちの歴史に溶け込んでいるためだ。吉原宿と蒲原宿の間にある間宿・本市場の茶屋で富士の白酒が売られる様子は、数々の浮世絵や文献に登場した。竹川さんは「再現は容易でないが、富士の酒文化や歴史を掘り起こし、前に進めたい」と意気込む。

 <メモ>清酒「山屋」(1.8リットル、税込み1977円)は、富士市内で富士高砂酒造と取り引きのある酒販店20カ所余り(7月10日時点)のみで販売中。取り扱いを希望する同市内の飲食店や酒販店なども募っている。同市のふるさと納税の返礼品に登録された。同社は販売開始から2021年1月までの売上金の3%を市に寄付する。今後は山屋ブランドの展開も検討している。問い合わせは同社<電0544(27)2008>へ。

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