静岡新聞NEWS

被ばくの語り部、孫が感謝 第五福竜丸元機関士、池田さん通夜

(2020/2/26 18:15)
葬儀場に飾られた池田正穂さんをしのぶボード。孫の愛都さん夫婦が作った=24日午後、焼津市
葬儀場に飾られた池田正穂さんをしのぶボード。孫の愛都さん夫婦が作った=24日午後、焼津市
愛都さんが小学4年生の時、池田正穂さん宛てに書いたメッセージカード
愛都さんが小学4年生の時、池田正穂さん宛てに書いたメッセージカード

 1954年3月1日、米国のビキニ水爆実験で被ばくした焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」元機関士で、20日に胃がんのため亡くなった池田正穂(まさほ)さん(享年87)=焼津市保福島=の通夜会場には、孫の愛都(まなと)さん(28)=島田市=夫婦が手作りしたボードが飾られていた。「じいじ、ありがとう」。長らく体験を語ることがなかった池田さんが晩年になり、地元の子どもたちに被ばくの恐ろしさを伝える講演活動に取り組んだのは、愛都さんに頼まれたことがきっかけだった。
 池田さんは事件後、都内の病院に1年2カ月入院。故郷の焼津に戻り、待っていたのは放射能を浴びたことによる差別や風評被害だった。市が1985年に始めた追悼式典「6・30市民集会」には毎年参加したが、事件は思い出したくない出来事だった。
 転機が訪れたのは愛都さんが小学4年の時。夏休みの課題でビキニ事件について調べていた愛都さんに頼まれ、「孫のためなら」と学校に出向いて児童の前で体験を明かした。2013年にも同様に、島田市にある愛都さんの母校の高校で話をした。池田さんが最後にマイクを握ったのは19年8月、焼津市の焼津文化会館で行われた「日本母親大会」。この時も愛都さんが付き添った。
 愛都さんには、被ばくそのものより「被ばくによる差別がつらかった」と語る池田さんの印象が強く残る。「祖父は大変な経験をした。世界が平和になるためにこういうことがあった、二度とあってはいけないと伝えていきたい」と話す。
 第五福竜丸の仲間が亡くなるたび、「次はおれか」と死の恐怖を感じていたという池田さん。次男弘志さん(53)によると、池田さんは亡くなる日の朝、「ここまで生きてこれました。ありがとう」と酸素マスク越しに感謝の思いを家族に伝えた。
 愛都さん夫婦は24日に焼津市内で営まれた通夜会場の入り口に、池田さんの写真を中心に祖父の死を悼むボードを置き、参列者を出迎えた。遠い海へ出向き、どこまでもマグロやカツオを追いかけた自慢の祖父。祭壇に飾られた池田さんの遺影は、愛都さんにいつも向けていたとびきりの笑顔だった。

池田正穂さん(手前)最後の登壇になった日本母親大会。孫の愛都さん(右から2人目)が車いすを引いた=2019年8月、焼津市の焼津文化会館
池田正穂さん(手前)最後の登壇になった日本母親大会。孫の愛都さん(右から2人目)が車いすを引いた=2019年8月、焼津市の焼津文化会館

静岡暮らし・話題の記事一覧

ニュースアクセスランキング

  • 読み込み中です・・・
静岡新聞データベース

SBSテレビチャンネル

YouTube
こどもみらいプロジェクト「おやこアットエス」
静岡新聞SBSスクープ投稿
静岡新聞モバイルサイト