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先人引いた水、地域の礎 元小笠町長・黒田淳之助氏【大井川とリニア 私の視点】

 リニア中央新幹線のトンネル工事が大井川の水や南アルプスの自然に与える影響を巡り、国と静岡県、JR東海による検討が続いている。「リニア問題」を流域に暮らす人々や専門家、県外の沿線関係者らはどう見ているのか。それぞれの思いや考えを聞く。

黒田淳之助氏
黒田淳之助氏

    
 江戸時代から水不足に苦労してきた掛川市や菊川市。その小笠地域で代々、代官職を務めた黒田家の15代目当主で、合併前の旧小笠町の町長を務めた黒田淳之助さん(83)は、水の安定確保に尽くした人々の思いや歴史に幼いころから接してきた。水の大切さを知っているからこそ、今、地域の水源となっている大井川の流量減少問題への危機感は強い。
 -どのように水に苦しんできたのか。
 「江戸時代から、水が不足する時は全く足りず、逆に多い時は川の氾濫に悩まされてきた。日照りが続くと、水田の水が足りなくなり、水を巡る住民の争いが起きた。井戸を掘ると、鉄分を多く含んだ水が出るため、3日もすると白いタオルが茶色になり、生活用水の確保も難しかった。母親からは、水害時には倉庫に備蓄された米で炊き出しをし、大量のおにぎりを作って船で地域住民に振る舞ったという話を聞いて育った」
 -水不足解消のための先人の努力は。
 「地域のため池の数は県内でも有数だ。菊川市の嶺田用水は江戸前期、菊川から水を引いてくるため、農民の中条右近太夫が幕府に直訴して整備された。直訴の罪は重く、中条は処刑された。明治時代には掛川市の資産家山崎千三郎が大井川から水を引くため、私財を投じて測量し、水路の計画図を作った。整備に膨大な費用が必要で断念したが、計画は現在の右岸側用水路の基になった」
 -地域に大井川用水がもたらしたものは。
 「地元にとっては水を安定して使えることは念願だった。大井川用水ができるまでは、木炭や砂を入れた『こしがめ』で水をこして生活用水として使っていた。メロンやトマトなど施設栽培が盛んになったのも大井川のおかげ。先人が大変な思いをして引いた水があったからこそ、生活や産業が発展した」
 -JR東海に求めることは。
 「水が減ることは住民にとって生きるか死ぬかの問題だ。川の流量が維持できないのであれば、ルートを変更してほしい。本来は事業計画が進む前に工事による影響がどれほどあって、どう対応するのかを住民に説明すべきだ。水に苦労した歴史を知れば、なぜ流域住民がこれほど水に敏感なのかが分かる。現地の声をしっかり受け止めてほしい」
 
 <取材後記>雨水などを蓄えるため池は菊川、掛川など大井川右岸の4市に計424カ所ある。左岸地域の計100カ所と比べても4倍以上で、いかに水が不足していた地域かが分かる。
 小学生のころ、授業で掛川市満水(たまり)の地名の由来を学んだことを思い出した。逆川の氾濫にちなんだとの説や、水が足りないから豊富にあってほしいとの思いで付けたという説など諸説あるという。「掛川」や「菊川」の地名も川に由来する。
 「流域住民がなぜ水に敏感なのか」。地名からも、苦労の歴史や人々の水への切実さが伝わってくる。
 
 くろだ・じゅんのすけ 県農業会議会長。1989年から小笠町長を4期、98年から2011年まで大井川右岸土地改良区理事長をそれぞれ務めた。徳川幕府の旗本本多氏の代官だった黒田家の15代目当主。

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