<インタビュー特集>南アルプスの地質、追加調査を 狩野謙一氏/静岡大防災総合センター客員教授(構造地質学)

 リニア中央新幹線工事に伴う大井川の流量減少問題は2027年リニア開業時期を巡る手続き論に議論が集中し、水資源の確保や円滑な工事のために必要な地質の議論に焦点が当たっていない。数少ない南アルプスの地質専門家、狩野謙一静岡大防災総合センター客員教授(構造地質学)に知られざる南アルプスの地質について聞いた。

プレートの動きと南アルプスの成り立ち
プレートの動きと南アルプスの成り立ち
リニア静岡工区付近の大規模な断層
リニア静岡工区付近の大規模な断層
狩野謙一氏
狩野謙一氏
プレートの動きと南アルプスの成り立ち
リニア静岡工区付近の大規模な断層
狩野謙一氏


 ■日本一崩れやすい 地殻衝突で高速隆起
 南アルプスは世界的にも特殊な地質だ。海側のフィリピン海プレートが陸側のユーラシアプレートに沈み込む際、海側のプレートの堆積物がはぎ取られた「付加体(ふかたい)」でできたのが南アルプス。海側のプレートに堆積した地層が、陸側から運ばれた砂泥と混じり合って隆起した。
 付加体は日本列島の太平洋岸を中心に分布しているが、南アルプスは通常の付加体からさらに変形している。フィリピン海プレートに横から押し出されて「ハの字型」に折れ曲がった。強い圧力がかかって壊れていく過程で糸魚川―静岡構造線などの大規模な断層がいくつも作られた。隆起スピードは年間3ミリ以上で世界最速のレベルだ。
 南アルプスは日本で一番崩れやすい地質とも言える。深層崩壊の頻度が最も高い地域の一つになっていて、崩れやすい3要素がある。一つ目は形成の過程で地質に割れ目がたくさん入っている点。二つ目は高速で隆起している点。三つ目は降雨量が多い点。
 こうした点を踏まえると、燕(つばくろ)沢の残土置き場には問題がある。山間部の平たん地に残土置き場を作ると水の通り道が狭くなり、土砂で詰まりやすくなる。対岸にある大規模な崩壊地、千枚崩れが崩壊すれば燕沢の水の通り道をふさいで天然ダムができ、上流にある千石非常口が水没して機能しない。天然ダムが決壊すれば、残土置き場の土砂が大量に畑薙ダムに流入することも考えられる。貯水容量が減り、下流の利水に影響を与えるだろう。導水路トンネルを掘削する際は発破が深層崩壊を引き起こす危険性もある。

 ■工事たびたび中断
 【ポイント】「日本一崩れやすい地質」とされるリニア中央新幹線静岡工区周辺の南アルプス。昨年10月の台風19号で各ヤード(作業基地)を結ぶ林道東俣線などの作業用道路は通行止めになり、最も奥にある西俣ヤードは地盤がえぐられた。
 今年6月末からの梅雨前線停滞に伴う豪雨でも林道東俣線が通行できなくなり、作業員がヘリコプターで現地から避難した。工期が最も切迫している西俣ヤードは昨年10月以降、ほとんど復旧作業が進んでいない。
 崩れやすい地質と近年の気候変動を考慮すると、今後も作業用道路崩落などで工事がたびたび中断することが考えられる。JR東海がリニア開業時期を再設定する際は余裕を持った工期設定が必要になるだろう。

 ■山梨県境の大断層 コアの採取 分析必要
 JR東海は、トンネル湧水の県外流出で問題になっている山梨県境付近の大規模断層は北東―南西方向の畑薙山断層の一部だと主張しているが、現地調査を踏まえると南北方向の井川―大唐松山断層と推定される。
 既存の文献に記された畑薙山断層は、リニアトンネル予定地より下流側の西側山腹斜面に想定されている。JRの推定通り、トンネル本線と交差する断層が畑薙山断層の延長であれば、千石非常口の下流側で大井川を断層が横断する。しかし、付近の現地調査で断層は確認されていない。
 山梨県境付近の大規模断層はJRの地質調査が不十分だ。コア(円柱状の地質試料)を採取していないボーリングを1本しただけで、破砕帯(岩石が砕かれ、水を通しやすくなっている層)が幅800メートルと推定しているが、山梨側に延長したボーリングをすれば、その幅と性格がもっと分かるかもしれない。
 大井川の直下に破砕帯が伸びている可能性もある。表流水が地下に染み込む「水みち」とその性状を明らかにするには、コアを取らないとはっきり分からない。トンネル掘削だけを考えればJRの方法で十分かもしれないが、大井川の水資源が問題になっていることを考えると、コアを採取して水みちを調べる必要がある。
 南アルプスは破砕帯がどこにあってもおかしくない地質だ。破砕される前の岩石が何か、どう変化したか、どの程度粉砕されて細かくなったか、いつ、どのぐらいの深さで形成されたのか、コアから得られる情報は多い。破砕帯をどう定義するかで断層の規模の表現も変わる。JRは破砕帯の定義を明示するべきだろう。

 ■大井川直下で減水?
 【ポイント】山梨県境付近の大規模断層が畑薙山断層ではなく、井川―大唐松山断層だとすれば、大井川と千石非常用トンネルの交点に破砕帯はないと推定される。県側が破砕帯があるために下り勾配の掘削が困難ではないかと懸念していた交点付近は、JR東海が計画していた通り掘削できる可能性は十分ある。
 一方で山梨県境付近の大規模断層は別途、コアを採取する必要がある。特に大井川直下は「水みち」によって大量に減水する可能性があり、県側の専門家から追加調査の必要性が指摘されている。また、流量予測に重要な破砕帯の透水係数(水の通りやすさ)も山梨県内のコアから推定するのではなく、実測値で確かめる必要があるという声が上がっている。

 ■長野側の測量 レーザーで詳細把握
 JRがトンネルを掘削して水利用への影響がないと主張しても、今のままでは根拠が不十分だ。流域住民の理解を得るためにも、工事が先行する山梨工区で、糸魚川―静岡構造線や笹山構造線などの大規模断層を掘削したコアのデータを活用すべきだ。山梨県境付近の大規模断層のコアを採取して比較分析すれば、詳細な地質の把握につながる。
 JRがボーリングをほとんど実施していない長野県寄りの大井川上流部は、標高が高く山が険しいので、地形的に地質を調べにくいのは事実だ。ただ、調査のやりようはある。JRは最新のデジタル技術を活用して航空レーザー測量を追加で実施してはどうか。5メートル四方間隔の位置情報で樹林の影響を排除した地表の状態が分かり、断層の存在などをより詳しく調べられる。
 JRは既存の文献などに基づいて地質図を作っているが、その元になっている畑薙山断層に関する資料は40年間、追加の現地調査がされていない。航空レーザー測量を含む新たな手段で調査する必要がある。
 JRは国や県の有識者会議に提出した資料で、南アルプスのトンネル工事の比較対象として、津軽海峡の海底を掘削した青函トンネルや、四国にある地芳トンネルを示した。青函トンネルは全く地質が異なり、比較の意味が薄い。地芳トンネルは付加体石灰岩の地質で水が染み込みやすい場所だが、大きな川の下を掘削するトンネルではない。
 世界の地質を見ても比較対象がないほど、南アルプスでのトンネル掘削は挑戦的なプロジェクト。だからこそ南アルプスでトンネル掘削が成功すれば画期的だと言える。

 ■流量予測を精度高く
 【ポイント】2014年にJR東海の環境影響評価書に付けられた環境大臣意見には「事前に精度の高い予測を行った上で対策を検討しておく必要がある」と明記された。しかし、JRの地質調査はボーリング箇所数が少なく、過去の地質図など既存文献に頼る部分が大きい。そうしたデータに基づく現在の流量予測は精度が高いと言えず、JRも国土交通省の専門家会議で予測の限界や不確実性を認めている。
 精度が低いと、大井川の域外に流出する水資源を代替水源で補う場合、流出量の事前把握が難しい。全域での地質把握は困難だが、実施箇所を絞ったり、最新技術を導入したりして追加調査すれば、流量予測の精度が高まり、流域住民の安心感につながる。

 かの・けんいち氏 2013年まで静岡大理学部教授を務めた。日本地質学会構造地質専門部会長、県環境審議会地下水部会長などを歴任。南アルプスの世界自然遺産登録に関する学術的検討にも携わった。73歳。

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