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体調変化見逃せば命取り 気が抜けない在宅介護 周囲との溝にも心暗く【障害者と生きる 第1章 誕生㊦】

 1998年12月1日。渡辺裕之さん(58)=静岡市清水区=の息子、隼(しゅん)さんは生まれて以来、病院のベッドから一度も動かず初の誕生日を迎えた。

退院して間もない渡辺隼さん(1歳8カ月)。気管カニューレを装着しているため、首には布を巻いている(裕之さん提供)
退院して間もない渡辺隼さん(1歳8カ月)。気管カニューレを装着しているため、首には布を巻いている(裕之さん提供)

 人工呼吸器を付けない時間が徐々に増えてきたが、食事はまだミルクだけ。1歳児平均9000グラム程度とされる体重は3500グラムほどしかない。気管切開の手術を受けて「気管カニューレ」を装着したことで、声はほとんど出せなくなった。
 「街を歩いたりテレビを見たりしている時によその赤ちゃんを見ると、隼との違いを痛感してつらさがこみ上げてきました」
 99年8月に退院。生まれて1年8カ月たって初めて隼さんは外の世界に出た。始まった在宅介護は苦労と試行錯誤の連続だった。
 「カニューレが抜けるのが心配で、隼から目を離せませんでした。体調も急に悪くなるので、夜中だろうと気は一切抜けません」
 その年の冬、隼さんは高熱を出した。食事と水分を受け付けず、嘔吐(おうと)する。たまらず夜間救急に飛び込むも、かかりつけの医師ではないため適切な処置は受けられず帰宅。たんが多く出るため5分に一度吸引しながら夜を明かし、翌朝、清水厚生病院を訪ねると即、入院…。
 「夜間は医師が手薄。隼の少しの変化に気づき、なるべく昼間受診しないといけない」。ささいな風邪が隼さんにとっては命取りになる。
 周囲からの視線や言葉にも、裕之さんと妻美保さん(仮名)の心は締め付けられた。
 「家に遊びに来てくれた美保の友人はほとんど動けない隼を見て驚き、口をそろえて『かわいそう』って言うんです。そして誰もそれ以降は来ない」。裕之さんたちのこれまでの人間関係は隼さん誕生を機に、次第に希薄になっていった。
 意気投合できたのは同じ境遇の者同士だった。2003年4月、心身障害児福祉センター「いこいの家」(静岡市葵区)に通うようになった。障害児との触れ合いで隼さんには笑顔が増え、その家族との交流は裕之さんと美保さんにとっても心のよりどころだった。
 「障害児の親と健常児の親では子育てが違いすぎてなかなか分かり合えない。結果、障害児の親たちだけのつながりが強くなる。この溝は深いです」

 〈メモ〉気管カニューレ 呼吸困難を救う目的で喉から気管までを切開して入れる管。自力でたんや鼻汁を出せない場合は機械で吸引する必要がある。吸引は医療行為であり、基本的には医師と看護師、家族のみ実施が可能。

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