23歳戦死 横田川さん(島田出身)遺書発見 戦後76年

 太平洋戦争で戦死した島田市出身の横田川政次(まさじ)さん=享年(23)=が陸軍入隊直前の1943年1月に両親へ宛てた遺書が今年9月、市内の横田川さんの実家で見つかった。めいにあたる鈴木八千江さん(75)が壁に掛けられた横田川さんの写真の裏から偶然、発見した。鈴木さんは78年前に戦地に赴いた若者が抱いた覚悟を後世に残してほしいと願い、戦没者をまつる静岡市葵区の県護国神社に収めた。

見つかった横田川政次さんの遺書。戦争に臨む決意と家族への感謝の思いがつづられている
見つかった横田川政次さんの遺書。戦争に臨む決意と家族への感謝の思いがつづられている
横田川政次さん(写真)の遺書に目を通す鈴木八千江さん(右)と姫野秀一さん=10月、島田市内
横田川政次さん(写真)の遺書に目を通す鈴木八千江さん(右)と姫野秀一さん=10月、島田市内
見つかった横田川政次さんの遺書。戦争に臨む決意と家族への感謝の思いがつづられている
横田川政次さん(写真)の遺書に目を通す鈴木八千江さん(右)と姫野秀一さん=10月、島田市内

 鈴木さんは4月に県護国神社に展示する戦没者遺影を追加募集していることを知り、いとこの姫野秀一さん(67)に相談した。応募の意思を固め、遺影として使うために写真を取り外したところ、額の裏に挟まっていた遺書を偶然見つけた。
 「ご両親様の御慈愛をうけ、一人前として国防の第一線に送り出してくださいました事、心から厚く御礼申し上げます」「超非常時に育ち心の中より滅私奉公の強き覚悟は出来ており、今更何一つ思う事はありません」「いつでも天皇陛下の下で万歳をさけんで大東亜のためにつくします」-。文書には祖国のために戦う強い決意と、両親に対する感謝の思いがつづられている。
 横田川さんは6人兄弟の次男として生まれた。就職を機に親元を離れて「満州国」に移り住み、1943年に陸軍に入隊した。遺書の最後には「北満の地にて」と記してあり、横田川さんが離れて暮らす島田の家族に送ったとみられる。
 横田川さんは激戦地のフィリピン・ルソン島で45年6月に亡くなった。それから半年後に生まれた鈴木さんは、実家の壁に掛けられていた横田川さんの写真にいつも「兵隊お兄ちゃん」と声を掛け、手を合わせて拝んでいたという。横田川さんの同級生からは「政次は優しく頭の良い子だった」と聞いていた。
 孫の世代は遺書の存在を誰も知らされていなかったという。鈴木さんは「文章から覚悟が伝わってくる。読み進めていくうちに体が震えだしたのを覚えている」と涙ぐんだ。姫野さんは「未来ある若者が犠牲になった戦争の事実がここに収められている。戦争は二度と起こしてはいけない」と力を込めた。

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