伊豆山信仰が結ぶ3地区 歴史と文化、復興の礎に【再起への一歩 熱海土石流3カ月⑤完】

 「被災後1~2週間は電話が鳴りやまなかった。夜眠れない時期もあった。それが今、やっと日常を感じる時間ができてきた」

被災した伊豆山地区を見つめ、住民と復興への思いを語る岸谷町内会の当摩達夫会長(手前)=9月30日、熱海市伊豆山
被災した伊豆山地区を見つめ、住民と復興への思いを語る岸谷町内会の当摩達夫会長(手前)=9月30日、熱海市伊豆山

 最も被害が大きかった岸谷地区の当摩達夫町内会長(75)は、変わり果てた町内を眺めながら、小さくため息をついた。発災からの3カ月。被災した浜、仲道地区の町内会長とともに、行政と住民の間に立って無我夢中で奔走した日々だった。
 3地区は伊豆山信仰を中心に深く結ばれた歴史を持つ。「この地域の一番の基礎は、伊豆山神社の祭のつながりなんだ」。そう語るのは、浜地区の中田剛充さん(79)。町内会長を12年務めた町の相談役は「伊豆山は熱海とは違う。ここは固有の歴史を持った場所。その中心が伊豆山神社だ」と強調する。
 同社の例大祭は毎年4月、岸谷、浜、仲道の各地区でみこしを出し、逢初(あいぞめ)川沿いの道や参道を練り歩く。土石流はそのルートを直撃した。同社の禰宜(ねぎ)大鳥居素さん(56)は「例大祭での絆が本当に強い地域。当社と住民が築いてきた歴史と文化は復興のシンボルになるはず」と前を向く。
 一方、災害で浮き彫りになった課題もあった。町内会役員の高齢化と、なり手不足だ。いずれも高齢化が著しい3地区。浜町内会の千葉誠一会長(74)は「8人いる役員も大半が70代。被災後は、正直言って手が回らなかった」と振り返る。
 そうした不足を補ったのが、地域外のボランティアだった。食事の手配や独居世帯の見回りなど、献身的な活動が続けられた。「彼らには本当に助けられた」と千葉会長は思いをかみしめる。
 ボランティア活動は、団体の枠を超えて伊豆山を支援する動きに発展しつつある。発災後、市中心部のNPOや県内外の支援団体が週に1度、情報交換会を開いている。浜地区の地蔵堂の改修を始めたNPO法人アタミスタの市来広一郎代表(42)は「地区外のいろんな人間が伊豆山に関わり始めた。外の視点から伊豆山の価値を見直したい」と語る。
 復興への道は長く険しい。「地区外に転居した人が何人帰ってくるか、どんな復興ができるかも分からない。それでも-」。当摩会長は、復興後の伊豆山にみこし囃子(ばやし)が鳴り響く日を思い描き、古里の再生に希望を持ち続ける。

 <メモ>熱海駅から北東約1キロに位置する伊豆山地区は、伊豆山神社を中心に古くから霊場として信仰を集めてきた。海沿いに日本三大古泉の「走り湯」が湧出することから、かつては走湯権現とも呼ばれた。伊豆山神社の男神立像や般若院の走湯権現立像(ともに国重文)をはじめ、多くの文化財が繁栄の歴史をいまに伝えている。
 斉藤栄市長は9月、市議会で復興まちづくり計画に触れ、「地区の皆さまが大切に守り、育んできた歴史、文化資産を再生、活用していくことが重要」と指針を示した。国や県と連携し、住民の声を聞きながら年度末までに計画を策定する予定。
 (この連載は社会部・荻島浩太、武田愛一郎、熱海支局・豊竹喬、御前崎支局・木村祐太、天竜支局・垣内健吾が担当しました) 

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