渋沢栄一、静岡に足跡 偉業の礎築いた10カ月

渋沢栄一(国立国会図書館ウェブサイトより)
渋沢栄一(国立国会図書館ウェブサイトより)

 2024年度から発行される新1万円札の顔となる渋沢栄一(1840~1931年)。徳川慶喜に仕えた後、明治新政府で貨幣制度の導入など財政基盤を整え、実業家として約500もの会社の設立・運営に携わった。「日本の資本主義の父」などと称されるが、こうした偉業の礎は1868年12月~69年10月、静岡藩士だった10カ月間に築かれたともいわれる。この間、渋沢が過ごしたのは静岡市中心部。歩いて巡ることができるゆかりの地を紹介する。
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 ■浮月楼 代官屋敷に「商法会所」
 かつて徳川幕府の駿府代官屋敷があった「浮月楼」。藩から財政改革を命ぜられた渋沢栄一は1869年1月、「商法会所」を創設した。
 商品を抵当とした現金貸付や定期預金の受付といった銀行の役割と、静岡で不足しがちな米の購入、茶や漆器を藩外に販売し利益を出資者に還元する商社の機能を備えた。茶生産のための資金融通や養蚕業の振興のほか、静岡の豪農、豪商の結集、再編成を促した。 autumn2021
 渋沢は妻子を屋敷に呼び寄せ、事務所兼住居としていた。渋沢が1万円札の肖像画に決まったことをきっかけに、浮月楼では徳川慶喜と渋沢の関係を記したパネルや年表などを掲示している。若おかみの久保田暁子さん(43)は「ビジネスで訪れる方が多く、(渋沢の)ゆかりの地と知るととても喜んでいただける」とし、「さまざまなアイデアで歴史を伝えていきたい」と言葉に力を込めた。

 ■教覚寺 家族と寺の〝情〟に触れ
 1869年10月、大政奉還に伴う謹慎を解かれた徳川慶喜が旧代官屋敷(現・浮月楼)に移ったことをきっかけに、同所を事務所兼住居としていた渋沢栄一は家族で教覚寺に移り住んだ。「商法会所」も「常平倉」と改組して移転した。屋敷から近く、「商法会所」の御用商人の筆頭が寺の檀家[だんか]だったことから移転先に選ばれたと寺には伝わる。 autumn2021
 渋沢の長女穂積歌子の著書「はゝその落葉」には当時、寺に家族が多く寂しくなかったことや、住職が母千代に灸[きゅう]をすえたことなどが記されている。南荘宏住職(66)は「古くから住職の妻帯が認められ、漢方や灸による治療を行ってきた浄土真宗の寺ならではの暮らしを体験されたようだ」と思いをはせる。
 渋沢は政府から出仕の命が下り3週間ほどで上京したが、妻子は約2カ月滞在した。南荘住職は「寺の歴史を考えると渋沢さんがいた時間はわずかだが、このご縁を大切にしたい」と話した。

 ■宝台院 庫裏座敷で慶喜と面会
 大政奉還により将軍職を辞した徳川慶喜が、1年2カ月謹慎していた宝台院。家康の側室で2代将軍秀忠の母である西郷局の菩提[ぼだい]寺で、当時は現在の4倍ほどとなる約1万坪の広大な敷地だったという。 autumn2021
  1868年12月、慶喜の弟、昭武に従って渡仏し、帰国した渋沢栄一は、昭武からの書状を渡すために訪れた。慶喜と面会したのは6畳ほどの庫裏座敷とみられ、慶喜に求められてパリ万博などでの出来事を話したとされる。野上智徳住職(59)は「慶喜と面会できたのはごく限られた人だけだったと伝わる。新しい日本のために、海外の最先端を学んだ渋沢に期待したのでは」と想像する。この翌日、勘定組頭に命ぜられ、静岡にとどまることになった。
 同所では渋沢の書簡のほか、慶喜の書やキセル、火鉢などを見ることができる。

 渋沢栄一は静岡に何を残し、今を生きる私たちは彼から何を学べるか―。「渋沢栄一と静岡 改革の軌跡をたどる」(静岡新聞社)の著者、岡村龍男さん(37)=静岡市葵区=に聞いた。 autumn2021
 渋沢栄一は「商法会所」を計画からわずか2週間ほどで設立した。欧州で見聞を広め、構想を練っていたこともあるが、渋沢が自身の日記に記しているように、地元商人らと意見交換しながら事業を進めていたことも大きいと感じる。静岡を去る時には商人に企画書を出させて、自立できるようにしていた。商人たちが受け継いだ“渋沢イズム”は茶の海外輸出などに生かされ、その存在は静岡の近代化に大きな役割を果たしたといえる。
 玉泉寺(下田市)の改修や県立中央図書館(静岡市駿河区)の前身である県立葵文庫の設立に協力するなど静岡との関わりは深い。60~70代には県内各地で講演し、「転ばぬ様にはしたいが、も少し駆足に御歩きなさる事を希望する」などとげきを飛ばしたことがある。当時、清水港が日本一の茶輸出港となり、静岡の経済は成長を見せていた。成功を認めながらも、保守的でのんびりした県民性を感じ取り、新たな挑戦を促したのだろう。
 渋沢がこの地で発揮した組織運営に必要なさまざまな調整能力や商機を逸しない決断力などは、今の時代にも大切なことだと思う。

 おかむら・たつお 静岡市文化財課、島田市博物館などを経て、2021年から豊橋市図書館学芸員。NPO法人歴史資料継承機構理事として、古文書や史料の調査保存活動も行う。

 

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