旧日本海軍「戦艦大和」記憶継承担う 建造地広島・呉の科学館 久保健至学芸員(川根本町出身)

 太平洋戦争中に米軍の攻撃を受けて沈没した旧日本海軍の戦艦大和は今年、完工から80年を迎える。存命の元乗組員は年々減少し、記憶の継承が困難になる中、大和の歴史を伝える広島県呉市の同市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で、川根本町出身の学芸員久保健至さん(30)が遺品の調査や展示の企画に奮闘している。

戦艦大和の模型の前で建造の経緯や最期の様子を説明する学芸員久保健至さん=8月上旬、広島県呉市の同市海事歴史科学館「大和ミュージアム」
戦艦大和の模型の前で建造の経緯や最期の様子を説明する学芸員久保健至さん=8月上旬、広島県呉市の同市海事歴史科学館「大和ミュージアム」

 大学院で近現代史を研究した久保さんは2017年から勤務する。業務の中でも重要なのが資料の収集と整理。大和を建造した呉海軍工廠(こうしょう)の関係文書は終戦時に焼却されたとみられ、ここで行われた軍事研究や開発、建造の全体像は不明な点が多い。
 同館の収蔵庫では工廠や大和の関係者の写真や手記、遺物など計約23万点を保管する。現在も年に20~30件の寄贈の申し出があり、学芸員が歴史上の発見につながらないか、一点一点を精査する。
 戦後、工廠の工作機械や造船設備は進駐軍に接収されたが、一部は民間企業に引き継がれた。大和の主砲身を削った大型旋盤は、兵庫県の機械加工会社「きしろ」で2013年まで稼働していた。旋盤は同館への寄贈が決まり、現在、移送や展示準備の費用をクラウドファンディングで募っている。久保さんは「残っていたのは奇跡。大和を生み出した技術は、日本の造船業の発展につながった」と説明する。
 元乗組員の遺族や有志でつくる大和会の顧問相原謙次さん(66)によると、同会で存命を確認できている大和の乗組員は現在3人。毎年4月に呉市で開く追悼式は今年初めて、元乗組員の出席者が一人もいない式典になったという。
 久保さんは「資料の重要性は日に日に増している。大和に関わった人の思いを明らかにして後世に伝えるため、根気強く資料と向き合いたい」と語る。

 <メモ>戦艦大和 広島県の呉海軍工廠で極秘に建造され、1941年12月に完成した。全長263メートル、基準排水量6万5000トン、口径46センチの主砲9門を搭載した世界最大の戦艦だった。45年4月、沖縄に上陸した米軍に向けて出撃し、鹿児島県沖で米軍機の攻撃を受けて沈没した。乗組員3332人のうち、生還者は276人。戦死者には、判明しているだけで22人の本県出身者が含まれる。

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