頑張りたい、お姉ちゃんの分まで 五輪体操女子・芦川うらら

 体操女子平均台の個人枠代表で東京五輪の大舞台に挑む芦川うらら(静岡新聞SBS、常葉大常葉高出)。脊椎側彎(そくわん)症の影響で競技を断念した姉の七瀬さん(24)も、同じ五輪の舞台を夢見ていた。「体操を続けたくても続けられなかったお姉ちゃんの分まで頑張りたい」。姉の思いを背負い、25日に有明体操競技場で行われる予選に臨む。

姉の七瀬さんの思いを背負い、東京五輪の舞台に立つ芦川うらら=6月、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンター(日本体操協会提供)
姉の七瀬さんの思いを背負い、東京五輪の舞台に立つ芦川うらら=6月、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンター(日本体操協会提供)
姉の七瀬さん(右)と仲良く記念撮影する芦川うらら=6月、富士市(七瀬さん提供)
姉の七瀬さん(右)と仲良く記念撮影する芦川うらら=6月、富士市(七瀬さん提供)
姉の七瀬さんの思いを背負い、東京五輪の舞台に立つ芦川うらら=6月、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンター(日本体操協会提供)
姉の七瀬さん(右)と仲良く記念撮影する芦川うらら=6月、富士市(七瀬さん提供)

 脊椎側彎症は脊椎が左右に曲がっていく病気。七瀬さんは小学6年生の時、背中に痛みを感じた。体操を続けたい一心で、脊椎の曲がりを抑えるために、体にコルセットを着用して生活した。
 痛みを抱えながらも五輪への思いが強かった七瀬さんは、中学2年時から水鳥体操館(静岡市葵区)に通い始めた。3年時はアジアジュニア選手権個人総合で優勝。五輪出場も期待された。
 ただ、症状は悪化するばかり。高校に進学後、医者からは手術を勧められた。「体操よりも普段の生活に支障が出て、学校に行けないこともあった」と母孝子さん(53)。高校3年まで競技は続けたが、五輪の夢を断念せざるを得なかった。
 七瀬さんが競技を引退した時、芦川は小学6年生だった。「お姉ちゃんがいなかったら体操をやっていたかも分からないし、五輪を目指していたかも分からない。本当に大切な存在」。七瀬さんの日頃からの支えに感謝し、演技で恩返ししたいと誓う。
 いつも身近で見守ってきた七瀬さんは「日本中の誰もが知る大舞台に自分の家族が立てることは誇らしい」と感慨深げ。「自分でつかみ取った権利。出せる力を100%出して楽しんでもらいたい」。無観客試合で会場に駆けつけることはできないが、妹が輝く姿を楽しみにしている。(東京支社・青木功太)
 

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