家康の力量にじむ書状 非業の死遂げた豊臣秀次宛て 静岡市、貴重原本を入手

 静岡市は31日、徳川家康が1590(天正18)年に豊臣秀吉のおいの秀次に宛てた書状の原本を入手したと発表した。伊達政宗や浅野長吉(のちの長政)など歴史上の武将が登場し、豊臣政権下での家康の役割や秀次との関係が分かる。若くして非業の死を遂げた秀次宛ての書状発見は珍しく、市は2023年開館予定の歴史博物館に展示する。

徳川家康が豊臣秀次に宛てて書いた書状(静岡市提供)
徳川家康が豊臣秀次に宛てて書いた書状(静岡市提供)
JR静岡駅北口前の家康公像
JR静岡駅北口前の家康公像
徳川家康が豊臣秀次に宛てて書いた書状(静岡市提供)
JR静岡駅北口前の家康公像

 書状の日付は1590年12月8日で、秀吉の命令で家康が居城を駿府から江戸に移したころ。東北で起きていた一揆に政宗が関わっているとうわさされていたことを巡り、鎮圧に当たっていた長吉から「政宗の動向が分からないとのことでしたが、政宗は味方で間違いない」と報告を受けた家康が秀次に伝えるために出したとされる。
 家康は当時、秀次や長吉らと東北の平和維持に当たっていたとみられる。書状からは家康が関東・東北で豊臣政権と大名をつなぎ、大名に指導する「取次役」を担っていたことが分かる。駿府城にいた時から豊臣政権の大名の中でも東の重鎮だったと考えられ、静岡市によると、この時期の家康の動きに注目することが、駿府城築城における豊臣政権の関わりの追究につながるという。
 市歴史文化課の担当者は「20代で亡くなったとされる秀次宛ての書状が見つかること自体が貴重」と話した。市は博物館開館に向け、展示資料の収集を進めている。書状は京都市の古美術商が昨年10月発行したカタログに紹介され、静岡市が650万円で購入した。
 書状の内容は6月12日に、市民文化会館中ホールで開く駿府城をテーマにしたシンポジウムで柴裕之東洋大講師(日本中世史)が解説する。書状は市文化財資料館で9月11日~10月10日に開催予定の企画展で披露する予定。
 (政治部・池谷遥子)

 <メモ>豊臣秀次 1568年、豊臣秀吉の姉の子として生まれる。秀吉に従い、小牧長久手合戦や小田原合戦などに従軍。徳川家康とともに東日本を治める役割を果たした。長男を亡くした秀吉の養子となり関白職を継いだが、後に秀吉に秀頼が生まれると、1595年高野山に追放された。官位剝奪の上で自害させられたと伝わる。

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