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古関裕而 幻の楽曲「静岡ファンタジー」どこに…【NEXT特捜隊】

 作曲家古関裕而の幻の楽曲を探してくれないか-。2020年6月25日本紙夕刊の見開き特集「古関裕而楽曲 静岡県内にも」を見た古関の研究者から、紙面を作った静岡新聞社文化生活部に、依頼が届いた。曲名は「静岡ファンタジー」。研究者は楽曲を聴いたことがなく、古関の故郷にある福島市古関裕而記念館やレコード会社にも音源がないという。曲名を手掛かりに取材を進めると、思わぬ発見があった。

静岡鉄道で発見された「静岡ファンタジー」
静岡鉄道で発見された「静岡ファンタジー」
静岡ファンタジーのカセットテープ
静岡ファンタジーのカセットテープ
静岡ファンタジーの歌詞を掲載した静岡鉄道の社内報1989年12月号の一部
静岡ファンタジーの歌詞を掲載した静岡鉄道の社内報1989年12月号の一部
古関裕而氏
古関裕而氏
静岡鉄道で発見された「静岡ファンタジー」
静岡ファンタジーのカセットテープ
静岡ファンタジーの歌詞を掲載した静岡鉄道の社内報1989年12月号の一部
古関裕而氏

 
 >>「静岡ファンタジー」
 依頼者は日本大商学部の刑部[おさかべ]芳則准教授。古関研究の権威として知られ、古関をモデルにした20年放送のNHK連続テレビ小説「エール」の風俗考証も担当した。
 古関は生涯で約5000曲を手掛けたとされ、多くは音源や楽譜が残る。刑部准教授によると「静岡ファンタジー」は1949年3月2日に録音したことが、レコード会社日本コロムビアの「吹き込み台帳」に記録されてはいる。「だが、レコード盤や楽譜は見たことがない。ぜひ聴いてみたい。題名に地名があるので、静岡に手掛かりがあるのではないか」
 記者がさまざまな文献を調べると、本紙の49年2月28日付記事に行き当たった。「静岡祭に静岡ファンタジー」という見出しの小さな囲み記事に「川井静鉄社長が音頭取りで普及」とある。27年の狐ケ崎遊園開園を記念して北原白秋作詞「ちゃっきりぶし」を制作した静岡鉄道(本社・静岡市葵区)だけに、「静岡ファンタジー」とも何か関わりがあるのではないかと考えた。
 同社に資料捜索を依頼したところ、2019年の100周年記念事業のために集めた膨大な資料から、同楽曲のレコードやテープが見つかった。広報担当者によると、現役社員はその存在を全く知らないという。
 作詞は古関楽曲を多く手掛ける藤浦洸で、藤山一郎と渡辺はま子のスター2人が歌っている。軽快なリズムに乗せて呉服町、七間町など静岡市内の描写が続く。同社人事部の永田淳也さん(25)は「ミカンやイチゴなどの特産物も織り込まれている。こんな曲があったとは」と驚いた。
 
 >>戦後の機運が表出
 同社社内報の1989年12月号に、当時の役員が制作のいきさつを記録していた。戦後まもなく、川井健太郎社長が、親交のあった藤山と藤浦、古関を静岡市内で開催した従業員の「家族慰安会」に招いたのがきっかけ。役員の記述には「その会場で、即興で歌を作ることになり、会場から題名を募集したところ“静岡ファンタジー”という声がかかり」とある。3番まである曲が30分ほどで出来上がり、藤山がその場で歌った。藤山はその後、自ら編曲して正式に録音し、レコードになった。
 音源を聴いた刑部准教授は「イメージしていたよりずっと明るい曲調」と印象を述べた。古関は当時、NHKのラジオ番組で作詞家野村俊夫と組み、一般の観覧者とのやりとりから曲を作っていたという。即興制作はお手の物だったようだ。
 福島市古関裕而記念館の氏家浩子学芸員はサトウハチローが作詞し、藤山が歌った「夢淡き東京」(47年)との近似性を指摘した。「戦後の復興に向けた明るい機運がよく表れている」と評した。
 (橋爪充)

 こせき・ゆうじ 1909年、福島市生まれ。戦前は「露営の歌」をはじめとした軍歌や戦時歌謡、戦後は「長崎の鐘」など数々の流行歌や映画音楽を作った。64年東京五輪の「オリンピック・マーチ」も手掛けた。89年死去。

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