江戸幕府御用絵師・狩野常信の富士山画に和歌 右大臣近衛家熙の書か 静岡県世界遺産センター調査

 「雲よりも うへにみえたる 冨士のねの ゆきはなにとて 降はじめけむ」。江戸幕府御用絵師・狩野常信が描いた秋景富士三保清見寺図(1699年、県富士山世界遺産センター所蔵)に書かれ、作者が分からなかった和歌について、当時右大臣だった近衛家熙(いえひろ)が絵を解説する賛者として記した可能性が極めて高いことが29日までに同センターの調査で分かった。元禄時代の代表的文化人2人の「合作」が発見されるのは初めてという。

狩野常信の富士山画に記された和歌を確認する松島仁教授=富士宮市の県富士山世界遺産センター
狩野常信の富士山画に記された和歌を確認する松島仁教授=富士宮市の県富士山世界遺産センター
「近衛」の文字が記された木箱(同センター提供)
「近衛」の文字が記された木箱(同センター提供)
木箱の右上に「近衛」の文字が浮かぶ
木箱の右上に「近衛」の文字が浮かぶ
狩野常信の富士山画に記された和歌を確認する松島仁教授=富士宮市の県富士山世界遺産センター
「近衛」の文字が記された木箱(同センター提供)
木箱の右上に「近衛」の文字が浮かぶ

 これまで同作品の賛者を知る手かがりがなく同センターでは賛者未詳として紹介してきた。2020年春の企画展終了時に学芸課長の松島仁教授(美術史)が同作品の収納作業に当たっていた際、作品を収める木箱に「近衛…」と判読できる剥落しかけた文字列を発見した。
 木箱の裏には元禄12年(1699年)10月と記されていた。当時の近衛家は公家最高位の摂政を務めた近衛基熙と、その長男で右大臣の家熙が想定され、それぞれの和歌の筆跡などを詳細に比較したところ、家熙の書体に一致したという。
 後陽成天皇の子孫に当たる家熙は、妻も皇族出身で天皇家と関わりが深い。当時右大臣だった家熙は後に、関白や摂政、太政大臣まで上り詰めた。一方で和歌や茶、書にも明るく、文化界の中心的人物としても知られた。
 家熙の言行録「槐記」には、2人の関わりを示す内容が記されており、今回の作品は家熙が常信に描かせた可能性があるという。松島教授は「家熙の文化活動の一端を知れる貴重な作品になった。狩野派の富士山画を研究する上でも意義深い発見」と語った。
 研究成果は31日に同センターが新たに発行する機関誌・富士山学で発表する。今後、企画展では賛者不明を家熙に改めていく方針。
 (富士宮支局・吉田史弥)

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