南海トラフ地震臨時情報5年、課題は 専門家2氏に聞く【インタビュー】

 運用開始から5年となった「南海トラフ地震臨時情報」。静岡新聞社が県と35市町に対して実施したアンケートでは、情報の発表で混乱が生じるとの回答が9割を超えた。複雑な情報を住民に周知する難しさや、予知や予測ではないという情報の性質が理解されていない状況が浮かび上がる。制度構築に携わった2人の専門家に課題を聞いた。(社会部・中川琳)

自主的な備え促す仕組み 平田直氏(南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会会長)平田直氏
 ―9割以上の市町は情報が発表された場合に何かしらの混乱が生じると回答した。制度が浸透しない理由は。
 「予知、予測の仕組みだと捉えられ、自治体職員にも正しく理解されていない。国も、私自身も説明が十分ではなかった。地震は何の前触れもなく起きる。1回起きた後に、また起きるかもしれないという注意を促すのが臨時情報だ。『また起きる』と言っても、『巨大地震警戒』が発表されるマグニチュード(M)8の場合の後発地震の発生可能性は十数回に1回、『巨大地震注意』が発表されるM7は数百回に1回程度で十中八九、何も起きない可能性が高い。過去数百年の統計データで発生可能性を示しているだけで、すぐに情報の精度が上がることはない」
 ―複雑な仕組みが周知のハードルになっている。
 「大規模地震対策特別措置法(大震法)に基づく警戒宣言と現行の臨時情報は、予知を前提としない点で決定的に違う。しかし、地震対策への補助率を上げるために対策を強化する地域を指定したり、気象庁で専門家が地震の発生可能性を評価したりするスキームはそのままだ。発表された際の対応を国、自治体、民間が事前に決めておくのも同じ。自治体からしたら以前の仕組みとどこが変わったのか、分かりにくいのかもしれない。確度の高い情報が出せないからこそ、国が強い制限をするのではなく、自治体や民間が主体的に対応を決めることが重要だ」
 ―さらなる地震発生への注意喚起という点では、気象庁は1週間程度、同規模の地震への警戒を呼びかけている。
 「南海トラフ地震であってもそうでなくても地震が発生したら、周辺では地震が発生しやすくなる。南海トラフの場合、神奈川県から宮崎県まで広い範囲に影響が出る。現在の被害想定では最大で約32万人が犠牲になり、そのほとんどが津波だ。地震が発生してからでは避難が間に合わない人がいて、他の地震とは区別し、一段階高いレベルの情報を発信するのは意義がある。事前に避難すべきかどうか、地域の状況に合わせて自治体単位あるいは個人レベルで考えてもらうのは、避難意識を高めてもらう点で有効だ。自治体は臨時情報の目的を、自主的に逃げる人を少しでも増やすきっかけと捉えてほしい」
 ―現状の仕組みがベストだと考えるか。
 「ベストとは思わないが、強制的に経済や社会活動を止めずに、注意を促すことは民主的な方法だ。情報は『巨大地震注意』と『巨大地震警戒』の大きく2種類で、重要なのは『警戒』の方。一般住民は『注意』が出される条件まで細かく覚える必要はない。最も理解してほしいのは、①地震は予知できない②大きな地震が発生すると周辺で地震が発生しやすくなる③地震はいつ起きても不思議ではない―の3点だ。このような状況だからこそ、普段から耐震化や家具の固定、避難路の確認が必要だ。制度の周知が足りないのは言うまでもないが、国は国民が主体的に考え、備えられるような普及啓発策を工夫してほしい」

 ひらた・なおし 気象庁の南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会会長、政府地震調査委員長などを務める。2017年、中央防災会議の「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ」では主査として、異常現象の評価や事前対応の在り方について議論した。東京都出身。69歳。

現状で混乱が増す可能性 岩田孝仁氏(静岡大防災総合センター特任教授)岩田孝仁氏
 ―アンケートの結果をどのように受け止めたのか。
 「臨時情報も大規模地震対策特別措置法(大震法)に基づく警戒宣言も、発災後の避難では間に合わない地域に住んでいる人に事前に逃げてもらうという点では本質的には同じ。しかし、臨時情報の場合は発生可能性は1割程度だとしつつ、事前避難を求めているため、ちぐはぐで中途半端だと受け取られる。かえって大震法による警戒宣言よりも混乱をもたらすのではないか。情報の理解や行動を国民のリテラシー任せにしているが、国民が判断できる材料を国、県、市町などの関係機関が示せていない」
 ―臨時情報の防災効果は。
 「行政の立場では、注意を促す仕組みが制度化されていることで、避難指示を出す根拠となる。半割れが発生した場合は『巨大地震警戒』が出るなどのように、国に一定の基準を設けてもらうのは行政側からの強い希望だ。一方で、確度が低い情報だと強調されすぎると、本当に避難を必要とする人までもが逃げなくなってしまう懸念がある。私自身は従来の警戒宣言の枠組みを維持したままでよかったと思う。二つは本質的には変わらない。各関係機関が地震防災応急計画を修正し、予知を前提としない対応を取れば十分だ。臨時情報は気象庁が発表することになっているが、一部とはいえ事前避難など国民の行動を制限することになる。従来のように内閣総理大臣から発する仕組みが望ましい」
 ―制度自体を見直すべきか。
 「国の2017年のワーキンググループでは、津波だけではなく、土砂災害の危険がある地域を事前避難の対象とすべきかどうかの議論があった。結果的には土砂災害の予測ができないため対象からはずれたが、発災してからでは避難が間に合わないため、本来は対象とすべきだ。国民生活に密接に関わる鉄道や学校、病院などの対応について検討が深まっていない。情報ができたことだけを周知しても意味がない。問題点がクリアにならなければ、制度そのものの良しあしを評価できない」
 ―2019年に県版ガイドラインを作った際に抽出された課題が未解決で、市町からは県のより積極的な関与を求める声もある。
 「『巨大地震警戒』が発表された場合でも、大多数の人は通常の社会経済活動を行う。しかし、実際の社会の状況がどうなっているのか、イメージしにくい。関係機関が情報発表時にどう対応するのか、それぞれの計画状況が見えてこないためだ。例えば県の地域防災計画では、鉄道は運行に必要な対応を行うと書かれているが、『必要な対応』が具体的に何を指すのかは、はっきりしない。学校は事前避難対象地域で休校措置となっているが、個々の学校レベルで具体化されているのか、あるいは休校期間中の学習の担保をどうするのか。発表時に直接対応をするのは市町や民間だが、議論を引っ張って行くのは県の役目だ。改善の必要があれば県から国に訴えていくべきだ」

 いわた・たかよし 元県危機管理監。県の防災専門職として、「防災先進県」の土台づくりに取り組んだ。日本災害情報学会長や内閣府の「火山防災エキスパート」などを務める。中央防災会議の「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ」では委員として議論に参加した。大阪府生まれ、69歳。

臨時情報の仕組み

 南海トラフ沿いでは、江戸時代や昭和期に二つの大地震が①ほぼ同時(宝永)②約32時間後(安政)③約2年後(昭和)という時間差でそれぞれ発生した。南海トラフ地震臨時情報は、そうした歴史を踏まえ、想定震源域で大地震が発生した場合、もう一つの大地震(後発地震)も起きる可能性が高まったことを気象庁が発表する。最初にマグニチュード(M)8以上の地震が起きた場合、最短2時間で「巨大地震警戒」という情報が出される。事前避難対象地域では、1週間程度の避難をする。休校や一部商業施設が休業対応を取る可能性もある。県内では15市町が同対象地域を定めている。対象地域外は、家具の固定や備蓄、避難路の確認などの備えを再確認する。1週間経過すると「巨大地震警戒」は解除されるが、大地震発生の可能性がなくなったわけではない。

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