支援者の実験、大きな成果 袴田巌さん「救援する会」歓喜 5点の衣類、不自然さ追及が突破口に 東京高裁 再審認める決定
一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(87)の無実を証明しようと、弁護団と二人三脚で活動してきたのが支援者たちだ。とりわけみそ漬けの状態で発見され、犯行着衣とされた「5点の衣類」に疑問を突きつけてきた「みそ漬け実験」は、静岡地裁に続いて東京高裁が再審開始を認める大きな根拠となった。20年以上にわたり実験を主導する「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長(69)は「市井の人間の素朴な疑問で『おかしい』と言い続けてきたことが、やっと認められた」と喜びをかみしめた。
みそ漬け実験のルーツは2000年にさかのぼる。最初は「5点の衣類」の色や付着した血痕の色ではなく、ズボンのポケットに入っていたマッチとばんそうこうに注目した。山崎さんは「みそが染みておらず、きれいだった。どの段階になると染みるのかを調べようと思った」と回想する。
その実験で「ためしに」みそに漬けた白シャツが茶に変色。実験に本格的に取り組むきっかけとなった。07年、初めて人血を使用した。「10人ぐらい来てもらったが、3人分の血液20~40ミリリットルもあれば『5点の衣類』と同じような衣類を作れることが分かった。血液量の不自然さを実感した」
袴田さんの第1次再審請求審は08年、最高裁で弁護団の特別抗告が棄却されて終了した。直後、山崎さんは弁護団から「第2次請求の新証拠にしたいから、実験の準備をしてほしい」と頼まれたという。「われわれがみそ漬け実験をしてこなかったら、すぐには第2次の申し立てをできなかったのではないか」と自負する。
実験は条件を変えながら絶えず繰り返し、差し戻し審でも新証拠として報告書を提出。長年の努力が東京高裁の再審開始判断に結びついた。
山崎さんは「(5点の衣類で)死刑判決を維持すること自体が、日本の司法制度そのものに対する信頼をなくすのではないか。検察官は原点に立ち返って再審公判に協力してほしい」と語った。
解説 争うなら再審公判で
袴田巌さんに2度目となる再審開始を認めた13日の東京高裁決定は、差し戻し審での弁護団の主張をほぼ全面的に肯定した。2014年に再審開始を決めた静岡地裁の裁判体に加え、審理を差し戻した20年の最高裁判事5人のうち2人は再審を開始すべきと明言。確定判決の事実認定は明らかに揺らいでいる。地裁決定から間もなく9年。検察側は特別抗告して再審開始の可否をめぐる審理をこれ以上長引かせるのではなく、争うなら再審公判で主張すべきだ。
みそ漬けされた血痕の色の変化に影響を与える要因について、専門的な知見を踏まえて検討を尽くすよう求めた最高裁の「宿題」に対して、弁護団は旭川医科大法医学講座の教授らによる鑑定書を「答え」として提出できたことが大きい。弱酸性かつ塩分濃度が10%程度というみそ漬けの状況下では、ヘモグロビンの変性や分解などによって赤みが失われていくことを化学的に説明。検察側はこのメカニズムに反論することはできず、弁護団側への批判もことごとく退けられた。
検察側は静岡地検の一室を使い、みそ漬け血痕の変色を調べる実験を実施。注目すべきは、高裁の大善文男裁判長ら裁判官が試料の確認に出向いたことだ。決定で高裁は、検察官が血痕の赤みが残りやすく見えるように白熱電球で照らして撮影していたことを暗に批判。袴田さんの犯行着衣とされた「5点の衣類」について、高裁が「捜査機関がみそタンク内に隠匿した可能性が極めて高い」と踏み込んだことに通じている。
弁護団は今回、高裁の積極的な姿勢を評価した。ただ、現行の再審法(刑事訴訟法の再審規定)には請求審の進め方についてのルールはなく、裁判官に委ねられている。担当する裁判官の積極性の違いによって審理の進め方、ましてや判断に「格差」が生まれることは再審の請求人にとっては不合理でしかない。袴田さんの請求審は法改正の必要性も浮き彫りにしている。
鑑定人「良かった」
東京高裁が袴田巌さんの再審開始を認める決定をしたことを受け、みそ漬け血痕の赤みが消えるメカニズムを鑑定書で示した旭川医科大法医学講座の奥田勝博助教は13日、「裁判官に鑑定内容を理解してもらえ、良かった」と受け止めを話した。
奥田さんは清水恵子教授とともに弁護団の依頼で鑑定人を引き受けた。清水さんも事前の取材に「赤みが残ることはあり得ない。化学的に正しいことを主張したかった」と語っていた。
特別抗告断念を 袴田さん救援議連
東京高裁が袴田巌さんの再審開始を認める決定をしたことを受け、袴田巌死刑囚救援議員連盟の塩谷立会長(衆院比例東海)は13日、「3人の裁判官の英断に敬意を表する。弁護団、支援者の粘り強い努力が再び実を結び、喜ばしい限り」とコメントした。袴田さんの身分は今も死刑囚のままだとして「真の回復には再審無罪がどうしても必要。検察が決定を重く受け止め、無益な特別抗告を断念することを強く求める」と強調した。
答える立場にない 静岡県警
東京高裁が13日に再審開始を認めたことを受け、県警刑事企画課は同日、報道機関の取材に対し「あくまでも法曹三者で審理しているため、県警は関与しておらず、お答えする立場にはない」とコメントした。決定骨子で5点の衣類について「第三者が隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できず、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高い」と指摘した点は「組織として決定文を見ていないため回答できない」とした。
識者解説 元裁判官 西愛礼 弁護士 証拠捏造示唆に意義
非常に踏み込んだ決定文でした。
東京高裁は、最重要証拠である5点の衣類をタンク内に隠したのは袴田さんではなく「捜査機関の者による可能性が極めて高い」として、捏造(ねつぞう)を示唆しました。これは、袴田事件に関する2014年静岡地裁再審開始決定の「捏造の疑い」という示唆をさらに一歩進めたものです。過去にも、弘前大教授夫人殺人事件や松山事件という冤罪(えんざい)事件において、捜査機関が証拠品に血痕を付着させた疑いが問題視されたものの、裁判所はその疑問や推察が否定できないとするだけで捏造に関する言及を避けてきました。だからこそ、裁判所が捜査機関による捏造の可能性が極めて高いと認定した意義は大きいと言えます。
これまで裁判所が捏造について積極的に踏み込めなかった原因の一つに立証や認定の困難性があります。捜査過程において何が行われたのかということを知り得ない弁護士と裁判所にとって、捏造の事実がやぶの中になってしまうのです。特に、再審に関しては証拠開示を定める法律が存在しないため、検察官は法律上の根拠がないとして証拠の開示を拒むことになります。
冤罪の疑いがある場合に裁判所が職権で促すことによって証拠開示がなされるものの、冤罪を晴らすための証拠を捜査機関から得るためにはまず冤罪であることをある程度立証しなければならないという本末転倒な現状があります。これは本来、法改正が必要です。そのような厳しい状況の中、袴田事件では弁護団の熱心な弁護活動が功を奏し、静岡地裁が証拠開示を勧告したことによって、今、ようやく真実が明らかになり始めています。
当然、踏み込まれた捜査機関側としては、過去の不正行為を承服することに抵抗が生じることだと思われます。しかし、警察・検察が正義を追求する組織であるからこそ、身内を含めて不正に対して厳正に対処しなければならないのではないでしょうか。市民は一日も早い再審公判の開始を望んでいます。