岩手・山田町 商店街活性化 静岡の支援に報いる再建【再生への道標 東日本大震災12年㊦】

 岩手県山田町の中心部。沿岸の国道45号に面した一角にコンビニ店や写真館など9店舗が並ぶ新生やまだ商店街がある。「幹線道路沿いに店がないと、町外から来た人は寂しい町と思うでしょう」と同商店街協同組合理事長の昆尚人さん(48)。三陸鉄道の陸中山田駅を中心とする商業エリアから約200メートル離れているが、あえてこの場所に商店街を構えた。

中心部の活性化をけん引してきた昆尚人さん。国道45号沿いの新生やまだ商店街は観光客の立ち寄り場所になっている=2月下旬、岩手県山田町
中心部の活性化をけん引してきた昆尚人さん。国道45号沿いの新生やまだ商店街は観光客の立ち寄り場所になっている=2月下旬、岩手県山田町
岩手県山田町
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中心部の活性化をけん引してきた昆尚人さん。国道45号沿いの新生やまだ商店街は観光客の立ち寄り場所になっている=2月下旬、岩手県山田町
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 震災当時、中心部で写真館を営んでいた。地震後、家族の無事を確認し自身も避難所の小学校に逃げた。ふと、店にカメラを忘れたことを思い出し、戻りかけた時、坂を手押し車で上る高齢女性を見かけた。女性と一緒に校庭までたどり着いて、振り返ると津波は中心部の住宅や店舗を押し流していた。「この数分がなかったら自分も流されていただろう」
 かつての職場から機材を譲り受け、仮設テントで営業を再開したのは3カ月後。顧客からの応援が後押しにもなった。2年後、「新生やまだ」を設立した。移動販売や震災の語り部活動などを展開し、中心部の活性化をけん引してきた。2015年、今の場所で本営業を始めた。被災した事業者の中では早い方だった。
 一方、かさ上げのための区画整理で、中心部は仮設店舗の移転が繰り返された。本格的な店舗再建も遅れ、規模縮小や廃業転出が相次いだ。
 津波による火災の延焼を免れた4軒のうち1軒で小売店を営んでいた男性(62)もその一人。店を修理して商売を始めたが、区画整理のために仮設店舗への移動を余儀なくされた。工事が完了し、土地が引き渡されるまで7年ほど。コロナ禍も重なり売り上げは震災前の2割まで減った。元の場所での再建はあきらめた。静岡出身の祖父が始めた商売だが、継続も難しいと感じている。
 復興事業に携わる人の需要が減ってきた中でのコロナ禍。人口増は見込めず経営は厳しさを増す一方だ。「それでも命があるから商売ができている」と昆さん。多くの支援があって店が再建できた。語り部活動でつながった静岡市清水区のボランティア団体「清水うたい隊」とは毎年交流を重ねている。いつも山田のことを気にかけてくれている。「震災前よりも魅力的な町にしたい」。支援に報いるためにも。

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