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町職員として復興の力に 福島・双葉町 浜松に避難の女性、再び故郷へ【再生への道標 東日本大震災12年㊤】

 2月上旬、福島県双葉町役場。陽光が差し込む開放的な庁舎の2階に生き生きとした佐藤葉月さん(22)の姿があった。「(今まで働いていた)いわき支所に比べて広く、課と課の行き来も大変なんです」。そう話す表情にうれしさがにじんでいた。昨年8月、一部で避難指示が解除され、約11年5カ月ぶりに住民が町に戻った。JR双葉駅前の新庁舎での業務は間もなく半年がたとうとしている。

町職員として復興に携わる佐藤葉月さん。帰還困難区域のフェンスから約1キロ先に自宅がある=2月上旬、福島県双葉町
町職員として復興に携わる佐藤葉月さん。帰還困難区域のフェンスから約1キロ先に自宅がある=2月上旬、福島県双葉町
福島県双葉町
福島県双葉町
町職員として復興に携わる佐藤葉月さん。帰還困難区域のフェンスから約1キロ先に自宅がある=2月上旬、福島県双葉町
福島県双葉町

 2011年3月11日、小学4年生だった佐藤さんは学校で被災した。経験したことのない揺れ。児童は全員無事だったが、原発事故が起きているとは思いもしなかった。
 翌12日、全町に避難指示が出された。同居の祖父母とは行動を別にし、家族5人で親族が住む浜松市に身を寄せた。「2、3日すれば帰れるだろう」。当時は放射能の怖さを理解していなかった。
 浜松では、佐鳴台小と佐鳴台中に通った。ソフトテニスに打ち込んだのが一番の思い出だ。地元の協会が練習場所を提供。「大好きなテニスができる環境をつくってくれたことには感謝しかない」
 16年、両親がいわき市に家を構え、自身は仙台市の専門学校に進んだ。住む場所が変わっても双葉町への思いは消えなかった。祖父に背中を押され、復興の力になろうと決めた。
 19年に入庁し、総務課で入札の受け付けや職員の健康管理を担う。再び町で暮らし始めた。都会の騒音や息苦しさがないふるさと。「空気の違いってこのことなんだな」。ようやく帰れた実感が湧いた。
 ただ、中心街は空き地が目立つ。解体を控えた住宅も点在し、商業施設や学校はない。8割以上は帰還困難区域のまま。佐藤さんが暮らしていた自宅も区域内にある。先が見えない福島第1原発の廃炉や除染土の最終処分問題が復興を阻む要因の一つになっている。
 それでも、住民帰還は復興への確かで大きな一歩。産業拠点は先行整備が進み、災害公営住宅も入居が始まった。「今の双葉、少しずつ変わっていく町並み。一つ一つの過程を町民や県外の人に発信していくことは帰還や移住につながるはず」
 佐藤さんは前を向いて思い描く。将来の町の姿を。
   ◇
 防潮堤や高台移転などのハード整備がほぼ完了した被災地。東日本大震災から12年。新たなまちづくりに奮闘する人たちを訪ねた。
 

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