回り続ける園の日常 早期再開望む声に孤独感【届かぬ声 子どもの現場は今⑥/第1章 河本千奈ちゃん④保護者説明会】
「何でこんなことになったんだろう」。2022年9月9日。送迎バスへの置き去りで長女の河本千奈ちゃん=当時(3)=を亡くした父は、牧之原市内の火葬場でぼうぜんと立ち尽くしていた。まな娘を荼毘(だび)に付す炎は無慈悲に燃えさかり、ごう音を響かせていた。

3日前の6日午後10時ごろ。警察の司法解剖が終わり、千奈ちゃんの遺体が自宅に戻った。父はバスを運転していた当時の園長ら認定こども園「川崎幼稚園」の関係者9人を自宅に呼び寄せた。
「亡くなった千奈の顔を見て、思うことを書いてください。書きたくないなら何も書かず帰ってくれても構わない」
A5サイズのノートを渡した。
<廃園を願います。園を辞めさせていただきます>
<廃園に致します>
職員から園長まで全員がペンを走らせた。
翌7日に同園で初めて開かれた保護者説明会。園側が事件の経緯を説明し、質疑応答に入った。参加者の質問は事件の詳細から、徐々に今後の方針を問う内容へと変わった。園側の回答に「廃園」の2文字はない。
だまされたような気持ちになった。
「すみません。廃園にしないんですか?」
父は会場の一番後ろから手を挙げたまま発言した。周囲がざわめく。意を決して前に出た。前夜、園長らが自宅でノートに書いた内容を伝えた。閉じ込められたバスの中で、幼い娘がたった一人、水筒を飲み干し、服を脱いでまで生きようとしたことも涙ながらに明かした。
話の最中、最前列の保護者が悲鳴を上げて倒れた。その後も体調不良者が相次ぎ、説明会は中止になった。
「会を壊してしまい申し訳ありません」
父は頭を下げ、あらためて訴えた。
「この園でいいのか、もう一度考え直してください」
説明会は23日に再設定された。父はその前に転園費用の補助を園側に確約してもらおうと考えた。安全管理が徹底されていない園にもう子どもを預けられないと考える保護者はいるはず。そのときに新しい制服の購入費などが負担になっては申し訳ない…。増田多朗理事長らと内々に面会し、補助を要望した。
迎えた説明会当日。ふたを開けてみれば、転園を希望する保護者の数以上に、園の早期再開を望む意見が多かった。改善点は何か-、どう示してくれるのか―。再開を前提とした園と保護者のやりとりが続いた。
「被害者は僕らだけなんだ…」
指定された別室で見守っていた父は、言いようのない孤独感に襲われた。分かってはいた。他の親子に罪はない。でも、娘を奪われた自分との意識の差はあまりに大きかった。
父は悔しさを押し殺し、肩を震わせた。事件から28日後の10月3日、園は再開した。